需要と供給と中華丼
一部にある意味、残酷な表現が含まれております。
「これで、よしっと」
しばらく一人ぼっちだった、サラ様の家。
今日は七日に一度の『ドヨウの日』。
戸閉まりをしっかりとして、いつもの森の奥へ向かって歩いていく。
女の子の独り歩きは怖いというけれど、もうすっかり慣れっこになるほど良く知る道になっている。
この花はもうすぐ咲きそうだとか、あそこの木の実はまだ熟れないのかなとか、さえずる小鳥が飛ぶ方向を眺めては歩みを進めると、長い道のりも苦ではなく、楽しい散歩のように感じる。
今日のマスターが作る食事は何だろう、きっと美味しいのだろうな、と自然に笑みが漏れる。
意味もなくクルクルと回ってみたり、知らない間に歌を口ずさんでいたりする。
……いつもならば。
今日はなんだか、ネコヤの扉までなかなかたどり着けない。
次第に嫌な汗が流れて、息が切れてきて、歩くのも辛くなってきた。
「早く行かなきゃ、遅れちゃう」
朝の掃除や準備に間に合わないとマスターに迷惑をかけてしまう。
気ばかり、焦っていた。
歩き続けなくなると、木の幹に背中を預け、息が整うまで短い休みをとっては、再び歩み始めることを繰り返している。
「体が動かない……。息苦しい……。何だかおかしい……。風邪も熱もないのに……」
風景が次第に涙で霞んで見えた。
足かせをつけられたように、なかなか進まない。
私、何も悪いことをやっていないのに。
心細くなり、我ら魔族の神よ、私をお護りください、と心の中で祈ってみたりした。
このまま、病に倒れるんじゃないのだろうかと、不安を胸にしながら、やっとのことで黒いネコヤの扉が目に入ると、少しほっとする。
やっとの思いで扉をひらくと、足が思うように動かず、顔面を下にして崩れ落る。
びたん!
「むぎゅう~」
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扉の開いた後の妙な音に気づいて、店主が厨房から出てくる。
「いらっしゃいま……、あれ?」
カエルのように床に貼り付いている物体を発見した。
あわてて肩を貸して起こそうとしたが、すぐに起き上がれないようで四苦八苦した。
「お客様、大丈夫……ですか?」
遅れて飛び出してきたサキも、店主の反対側で肩を支えて助け起こす。
息も絶え絶えに、倒れた女性はやっとのことで話し始めた。
「私……アレッタ……です……」
店主とサキは口をそろえて、こう言った。
「「うそぉっ!」」
ぷに、ぽっちゃり、でっぷり、どすこいの四段活用。
ぽっちゃりを通り越したアレッタは、シルエットだけ見ても、ぱっと見で誰なのか分からない。
まさか枝が折れそうなほど細い魔族の娘のアレッタが、たった一週間で丸みを帯びた恰幅の良い魔族の女、自称アレッタになるとは誰も思うまい。
明らかに別人である。
「マスター……私……死んじゃう……かも……しれません……」
弱々しい声で目を潤ませ、脂汗をかきながらハァハァと繰り返す、明らかに異常な呼吸量。
「おい、大丈夫か。 大丈夫か、アレッタ。 一体どうしたんだ?」
「おじさん、お医者さんを呼んだほうがいいじゃないの?」
「そうだな。医者を呼んでも、アレッタが向こうの世界の人間というのは誤魔化すんだぞ」
「わかっているわ、それじゃ、電話かけるわね」
厨房では、朝食を作っている最中で、良い香りの中に焦げた臭いが混じっていた。
「しまった! 火を止めないと!」
店主があわてて厨房に戻ろうとする。
すんすんとアレッタの鼻が動き、それに反応して体をゆっくりと起こし始めた。
「おい、アレッタ、大丈夫か?」
「……………」
ぽよぽよした体をゆっくり動かすと、無意識で近くのテーブルの長椅子まで這って、当たり前のように着席していた。
普段は広いはずの席が、実に窮屈に見える。
テーブルに置かれたスプーンを右手に、フォークを左手に握って立て、楽しみにしている料理を待つ行儀の悪い子供のように構えていた。
しかし、反応は乏しく目は虚ろ。
店主はアレッタの様子を伺い、反応するかなと実験的な意味合いで、テーブルの上に水と朝食のチーズオムレツ、サラダ、スープを並べてみる。
「アレッタ、朝食、食べてみるか?」
虚ろな目の奥にわずかな光をたたえると、無言のまま、スプーンをチーズオムレツに突き刺して、始めはゆっくりと口に運ぶ。
次第に、口に入れる速度を速め、最後には流れるように朝食と格闘をしていった。
「サキちゃん、これならもう大丈夫だろ」
店主は半ば苦笑しながら、サキに伝えた。
サキは近所の医者に電話をかけようと、最初のゼロのボタンを押して、受話器を持ったまま硬直する。
静かな店の中に一定のトーン音を響かせていた。
「ぬなっ……」
サキは開いた口が台形になったまま、奇妙なセリフを思わず発していた。
普段のアレッタからは想像がつかない豪快な食べ方をしていたので、朝食用に用意したものが、あっという間に消え去った。
「アレッタ、おかわり、食べるか?」
アレッタの目に光がたたえ、何故かピキーンと効果音が鳴る。
先ほどまで息が途切れ、自称『死にそうだった』アレッタは、店主を見つめてハッキリと言った。
「いただきます!」
「おじさん、これ以上食べさせるのはマズいでしょ……」
「いいじゃないか、サキちゃん。 アレッタがこんなに幸せそうに食べているんだから」
店主は、いつもよりも大きな皿に数人前の盛りで、お代わりを持ってくる。
生気を取り戻したアレッタは無我夢中で皿と格闘していた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「で、急にどうして、こんなんなっちゃったんだ?」
「実は……」
土曜日以外のアレッタは、サラの家に住込んで身の回りの世話をする仕事をしている。
日常生活がだらしないサラの家の惨状をまともな家にしているのはアレッタのお陰だ。
そのサラの職業は命知らずのトレジャーハンター。
荒くれ者と争い、危険な未知の場所への冒険を繰り返し、まだ見ぬお宝を求めて探す戦う女。
体が資本のトレジャーハンターは、とにかく人一倍良く食べる。 男だろうと女だろうと関係ない。
エネルギーの消費量も半端じゃないので、三人前の食事をぺろりと食べても、そのスタイルは年頃の娘のようにスマートなままだった。
いつも家に帰ってきたらすぐに食事をとりたい、といっていたサラの要望に応え、アレッタもたくさん料理を用意して待っていたのだったが、どういう訳だかサラはここ一週間を過ぎても帰ってこなかった。
「で、メンチカツのお嬢さんの帰りを待って、大量の食事を作っていたと」
「はい。 待ってもサラ様は帰ってこないし、食事もいつまでもとって置けないので、もったいないから……」
「もったいないから?」
「食べちゃいました」
困ったような笑みを浮かべて、アレッタの二の腕がぷるんと震える。
サキがアレッタの目の前に顔を近づける。
「それで、それで、どのくらい食べたの?」
「うーんと……えーと……」
ひとつ、ふたつと指折り数えるアレッタ。
「5人前を毎日、朝昼晩の3回、食べていましたぁ」
「だめだ、これは」
サキは頭を抱えていた。
「魔族って、こんなに急に太くなるんかな? サキちゃんだって……」
「わたしをジロジロ見ながら言わないでくださいよ、乙女のわたしだって気にしてるんですから」
サキはお腹のあたりをつまんで見せた。
店主は腕を組んで、独りごちる。
「どもかく、以前の体型に戻してもらわんといかんな。 ウチに来るだけでも毎週ぶっ倒れても困るから、ダイエットしてもらわないと」
これを聞いたアレッタは反応し、ピキーン、ピキーンと脳内効果音を2回鳴らす。
「ダイエットって何ですか? おいしいものですか?」
サキが頭痛を覚える。
「アレッタちゃん、ダイエットは食べられないものなの。 すごくたくさん運動して、汗を流して、体重を減らすの!」
「具だくさんのウドン? 流しウナ重? ワフウの料理ですか?」
「あー、そうきたか」
頭痛が悪化した。
店主がやれやれといいつつ、
「まずは、いつもどおりに給仕ができれば、結構な運動になると思うぞ。 アレッタ、できるか?」
「はいっ、がんばりますっ」
アレッタが小さくガッツポーズをする。
両方の二の腕がまた、ぷるんと震えた。
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今日も、ねこやに次々と客が現れる。
アレッタを見て、ぎょっとしたり、容赦なく原因を聞く人もいれば、あえて触れない空気を読む人もいる。
注文の声が途切れることがなく続き、戦場となっている厨房で店主ひとりが流れるような手さばきで、複数の鍋やフライパンから料理を生み出していた。
できあがった瞬間から、熱々の料理を運び続けるアレッタとサキ。
ドスドスとした鈍い動きで、サキとぶつかって、料理を落とし皿を割ることもあったが、次第にどうにかウェイトレスらしい動きで運べるようになってきた。
まかないの昼食には、ボリュームたっぷりのまかないを作ろうとしていた店主だったが、それをサキが断固として阻止する。
満足度が高いがダイエットに相応しいカロリーが低めのメニューに作り直させた。
「アレッタ、おかわり、食べるか?」
アレッタの食べている姿を楽しみにしている店主は、おかわりを勧めるが、サキは「ダメっ」と叔父をしかりつけていた。
昼食後もすぐに、デザートや食事目的でやって来る客をテーブルに案内し、注文を聞き、次々とできる料理を運び、サービスのライスやパン、スープを運び、テーブルの後片付け。
食事の進み具合をみて、足りないものがないか、要望がないか聞いてまわり、また追加の注文オーダーを聞く。
時計が止まり、終わりの無い永遠に続くもののように思えた。
目が回る忙しさで、厨房とテーブルの往復はハードな運動に匹敵する。
まさに、知らず知らずにダイエット。
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扉が開くと来客を知らせるチリンチリンという軽やかな鈴の音が響いた。
泥にまみれた靴と、砂だらけ着慣れたツナギをまとい、玄関口でパタパタと手で砂をはらっていた客が現れる。
「いらっしゃいませ。 ようこそ、……あ、サラ様っ」
「なに? あれ? え? あ? アレッタ?」
ぎょっとして二度見した上で、サラは素っ頓狂な声を挙げる。
両手の指を超えた日付で、アレッタが別人のようになっていたとは。心なしか、いつも聞いてたアレッタの声より低く感じた。
「いつものメンチカツ3人前でいいですか?」
「それより、アレッタ。 何かあったわね? 私が出かける前はもっと細かったわよね?」
いつものように、にこやかに席に案内するアレッタにサラが怪訝な顔をしてたずねる。
アレッタは小首を傾げながら、えへへへと困った眉をしながら笑って見せた。
「サラ様がいないんで、たくさんつくった料理をひとりで食べて、こんなになっちゃいました」
「あ……、ごめんなさい。悪かったわ。 もうすぐ仕事が終わるから、帰れるわ」
「はいっ!」
満面の笑みをたたえて、ドタドタと厨房に向かって歩いていった。
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今日も、最後に現れた華麗な赤いドレスで身を包んだ美しい客が、いっぱいのビーフシチューを鍋ごと軽々と持ち帰ると、店主は最後の料理に取り掛かる。
冷蔵庫に入っている材料を確認すると、材料を取り出し、刻み、フライパンにごま油をまわし火にかけた。
鍋振りで炎と戦う。
厨房から香りがあふれ出す。
最後に、とろみを加えて、ご飯を盛った皿の上にきれいにかぶせた。
小さなウズラの卵とサヤエンドウを載せてできあがり。
「おつかれさん、もう用意ができたぞー」
「「はーい」」
同時に声が返ってくるアレッタとサキ。
いそいそと、テーブルにつく三人。
「今日は中華丼だ。レンゲでもスプーンでも使いやすいほうで食べていいぞ、アレッタ」
「わあ……」
目をキラキラさせながら、さっそく両手を組み、目を閉じる。
「我らの魔族の神よ。私に美味しいご飯を与えていただき感謝します。以下省略!」
祈りもそこそこに、スプーンに比べて大きいレンゲを手に取り、ご飯と一緒にすくう。
ぷにぷに弾力のあるクラーコ、面白い感触の不思議なふにゃふにゃした黒いキノコ、黄色い櫛のような形でシャクシャクとした歯ざわりのタケノコというもの。
見たことがあるもの、無いものが集まってひとつの料理になっていた。
艶やかな小さな卵をレンゲですくおうと思うと、転がって逃げていった。
追いかけてやっとつかまえると、口の中に運ぶ。
何故か笑みが出る。
カリュートと、とろみを一緒に食べると、別の食べ物のような面白さ。
いつも漬物につかうというハクサイも、熱い料理になってもシャクシャクとして美味しい。
レンゲにすくい、口を尖らせながら、フーフー息をかけてから口の中に入れる。
はふはふ言いながら、具の感触を楽しみ、飲み込むまで充分味わう。
食べる、熱い、水を飲み口の中の温度を下げて、また食べる。 とまらない。
次第にお腹もホカホカしてくる。
「ん~、おいしい!」
実に幸せそうに食べるアレッタ。
食べながら、じろじろとアレッタを見ながらサキが、
「そういや、アレッタちゃん、朝よりだいぶ細くなっていない?」
「そーだな。 一日でこんなに痩せられるもんかな?」
アゴの不精ヒゲをなでながら、店主はアレッタを観察する。
アレッタは頭の上に?マークを何個も浮かべる。
気がつかないうちに自分に不思議なことが起こっていたことに気づいたようだ。
「そういえば、動いても何だか体が楽になってきましたね。息も切れませんし」
「アレッタちゃんが一日でこんなに細くなっているのに、私、ぜんぜん、かわらなーい」
大げさで自虐的なサキに苦笑しながら、店主が暖かい眼差しになる。
「みんな頑張ってくれているけど、アレッタの燃費の違いかな。 まあ、病気じゃなさそうで良かったな」
実に美味しそうに、そして夢中になって中華丼を食べ終え、名残惜しそうにしていたアレッタに店主は声をかける。
「アレッタ、おかわり、食べるか?」
「はいっ!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1週間後の『ドヨウの日』。
ねこやに現れたアレッタは以前のように細くなっていた。
一方、家に戻った『メンチカツ』こと、トレジャーハンターのサラは明らかに体型が丸くなった。
アレッタの作る料理は定かでない。
犬塚惇平様、異世界食堂のアニメ放送開始、おめでとうございます。
あと数時間後に始まるアニメをリアルタイムで見終わってから、次の話を書き始めます。