もう1つの「ハンバーグ、ふたたび」
あの話の視点を変えたものです。
私は山方早希、大学生、まもなく成人式を迎えようとする二十歳。
目的意識もなく大学に入り、将来何になるか、どこの会社に入りたいかなどと、未だにぼんやりとしか考えていない。
小さい頃から両親が共働きの家なので、気がついた時には、夕食の料理をするのが自分の役目になっていた。
毎日、当たり前のように繰り返される夕食を作り終わると、薄暗くなるまで電気もつけずに一人ぼっちのまま待っている……。そんな生活が変わったのは、中学生のときだった。
それまでは、盆暮れにしか会うことのなかった曾祖母、暦おばあちゃんが私の家で同居することになったのだ。
暦おばあちゃんは、終戦後の灰燼の中で曽祖父とともに食堂を始め、守り、生き抜いてきた。
生まれは聞いていないが、キレイで茶目っ気があり、未だに若々しく年齢不詳の人で、芯の通って強い女性。
それが、あこがれであり、私の自慢でもあるおばあちゃんだ。
唯一な欠点は食堂を営みながら、料理がまったくといってよいほど作れないことかもしれない。
暦おばあちゃんが言うには、旦那さんである曾祖父が凄腕の料理人で、食べるのがわたしの役目だから料理をしなかったのよと、うそぶいていたが果たして、その真相は闇の中。
そんな普段は温和な暦おばあちゃんが時々放つ、視線と、さりげない一言に逆らえない重さを持つことがある。
大学では最初の二年間で割と真面目に授業をうけて、早くも必修以外の選択科目の単位を取りまくったおかげで、ハタから見ると自堕落な生活に見えたのだろう。
三年目からは大学に行くのは週に二日程度になっていた。
実家から離れて一人暮らし。 一見、ニートのような引きこもり生活を謳歌し、授業もなく自分の部屋でゴロゴロしていた時に、暦おばあちゃんが突如現れた。
部屋の中を一瞥して、「まあ、ひどいねえ……」といいながら、あきれた表情を見せると、叔父さんの店で社会勉強をするよう、鋭い眼光で有無も言わせない圧力を放っていた。
話を通してきたので、土曜日の昼にアルバイトの面接に行くようにと、暦おばあちゃんから店の鍵まで手渡された。
「これで扉の鍵を開けて店に入りなさい。だらけ気味だけど、早希なら多分大丈夫だから」
アルバイトだというのに、大げさなんだから。
嵐が過ぎ去った後、あっという間に土曜日になった。
出不精になっていたので、出かけるのに服を着るのも気が重い。駅まで歩くのも何だか重く感じる。
電車を乗り継ぎ、目的の駅まで着くと、週末の閑散としたオフィスビル街を通り抜けた。
周囲の建物を見回しながら、商店街内の喫茶店から徒歩三分、やっと、大きな羽の生えた犬が描かれた看板のあるビルを見つけた。
叔父の店は、そこの地下一階にある。
形だけの面接だといわれたが、それでも緊張してしまう。
階段を降りると、少し薄暗い場所に着いた。
『洋食のねこや』
暦おばあちゃんが曽祖父と一緒になる前から続いている、ネコの絵が描かれた黒い扉の洋食屋さん。
今は叔父さんがここの店主だ。
本日定休日と書かれた看板があるのに、店の中からにぎやかな声がする。何かやっているのだろうか。
扉に鈍い金色の鍵をさして回すと、カチャリと音が返る。
ドアノブに手をかけて、ゆっくり開ける。
軽やかにカランカランと鳴る。
「こんにちわー。面接にきた早希です。叔父さん、いますかー」
暗いと思っていたのに、急にまぶしい店の中に入って、目を凝らす。
店の中には、定休日のはずなのに、人があふれているようだ。
ようやく光に目が慣れて、視界を認識しようとしたが、何かおかしい。
周囲を見渡し、思考が十秒ほど停止したあと、私はやっと一つの結論を得て、上ずった声で叫んでしまった。
「こぉ、コスプレ大会ぃ?」
「あ、あの、いらっしゃいませ。ようこそ、ヨーショクのネコヤへ」
身動きできなかった私の背中から声を掛けられ、あわてて振り返る。
そこにいたのは、困った顔で笑みを浮かべようとしている、金色の髪の外人の女の子だった。
猫のアップリケのあるエプロンをかけた制服が映え、良くわからないけど頭につけたアクセサリーがかわいらしい。
どこかの学校の留学生なのかな?
「お客さんじゃないんですよ、私。面接をするんで叔父さん……、店主さんいますか?」
「あ、はい、ちょっとお待ちください」
とてとてと奥の厨房へ走っていった。
黙々と食事をする人たち、話しをしながら笑いあう女の子達、食べ物について熱く語りあうオジサン連中、昼から酒が入って容器になっている夫婦と、視界に入るコスプレヤーの人達が騒がしく幸せそうに食事をしている。
不思議な風景を見ながら、叔父さんの食堂ってこういう店なのか、と半ば納得しながらも、どうしてそんな格好して食べるのだろうと疑問の答えを自分で考えていた。
「あ、叔父さん!」
人のことは言えないが、正月の時の、だらしなそうな叔父さんの姿からは想像できないほど、料理人であり店主らしい顔がそこにあった。
「おー、早希ちゃん来たか。ばあちゃん、何か言ってなかったのか?」
「えーっと、アルバイトの面接してこいと、ここの鍵を渡されたくらいですけど……」
コスプレ喫茶は聞いたことがあるが、コスプレイヤーが集まる洋食屋さんというのは聞いたことがない。
ニッチなところを狙わないと、今時の食堂は生き残れないのだろうか。
「まあー、何だ。後で説明するけど、ちょっと立て込んでるから、ちょっと待ってくれないか? ついでにウチの料理を何か食べていけよ」
叔父さんはウェイトレスの娘に、私を案内するように話していた。
「それでは、お席に案内しますね」
案内された席に座って、じっくりと周囲を見回すと、逆にお客さんからジロジロ見られ、私がTシャツ、Gパンで来てしまい申し訳ありませんといった感じで萎縮してしまう。
「それにしてもよくできたファンタジーなコスプレよねえ」
有名な映画でみたような中世の騎士やお姫様がぴったりの女の子、神官風の女性たち、そして違和感を感じるが何故か時代劇の侍。
何かのイベントの帰りかしらと思いつつ、人にしては妙に小さな「何か」が視界の中に入ってきた。
よくできた玩具にしては何か変だわ、と納得していた何かが崩れそうな、ちょうどその時。
「お待たせしましたー。和風おろしハンバーグですっ」
先ほどのかわいいウェイトレスが、音と香ばしさが爆ぜる肉のステーキ皿を運んできた。
「ライスはすぐにお持ちしますね」
私は五感を集中して、これからハンバーグと格闘だ。
ハンバーグが冷めないように、私はソースを上にかけない。
最初の一口はやや大きめに切る。
ソースも付けずに大きな口を開けて、はしたなく食べる。
一度に風味が口から鼻に抜けていく、あとからお肉の旨さがドシンとやってきた。
「えっ? えっ? 何これ?」
二口目からは、大根おろしをそ崩しながら醤油風味のソースにハンバーグをつけてみる。
お肉と醤油の香ばしさ、大根の甘味と辛味、中の野菜、肉汁、旨みの連続。
今まで、こんなに凄いハンバーグを食べたことが無い。
今まで私は何を食べてきたのだろうか。
ライスが来るまでにハンバーグの半分を胃袋に納め、もう残り半分は勧められるまま、ライスと味噌汁を2回ずつおかわりして、もう、身動きとれない。
食事時間、六分フラット。
もっとお上品に食べなさい、実にはしたない食べ方だ、とおばあちゃんに怒られそうだ。
おばあちゃんも人のことは言えない。これは遺伝だ。
「おいしかったーっ」
面接しに来たことをすっかり忘れて、人生ナンバーワンのハンバーグを堪能した私は、お腹がはちきれそうになっていた。
顔も体も緩み、自然と笑みが出る。
うん、私、ここで働きたい。
ここで修行して、叔父さんのような料理人を目指したい。
今まで、ぼんやりしていた何かが、明るく光りだした。
チリンチリン……。
私が入ってきた方向と逆の扉から、新たなお客さんが来たようだ。
ウェイトレスの女の子が扉へ小走りして、来たばかりのお客さんに、ペコリと一礼をする。
「いらっしゃいませ。ようこそ、ヨーショクのネコヤへ」
「ム。キタ。オムライス。オオモリ。オムレツ。3コ。モチカエリ」
三メートルはある巨大なワニのような怪物が歩いて入って来るのを見て、頭で考えるより先に悲鳴をあげていた。
これは絶対に、絶対にコスプレじゃないっ。
現実逃避をするため、私は意識失って、倒れたらしい。バタリ。
気がついたときには、店の奥にある従業員用の狭い休憩所で横になっていた。
心配そうに覗き込んでいた叔父さんが、私を採用するといってくれた。
そして、このお店の秘密も打ち明けてくれた。
曰く、ここは土曜の日だけ、異世界のさまざまな人々が訪れる洋食屋、異世界食堂であると。
そういえば、中学生の頃、暦おばあちゃんには将来、料理人になりたいと言ったことがある。
その時、暦おばあちゃんは、微笑んでいた。
「早希ならなれるかもね。だって、あの人……ダイキの血を引いているんだから」
次回は、おふざけ要素のものを……。