北へ
「…………あ、あーあ」
ガタガタ、とした馬車の揺れにも随分と慣れてきた。
出だしこそ、その揺れで酔ってしまい、思わず草陰に駆け込みはしたものの、人間ってのはどんな環境にも慣れちまうものなんだな、と実感する。
あのリーパーとの戦いから既に二日が経過していた。
◆◆◆
一日前。
「う、…………」
ガタガタ、とした揺れを感じて俺は目を覚ます。
「あいたっっ──ぐくうううう」
その途端、俺は何かに頭をぶつけ、身体を九の字に折り曲げながら悶絶する。
どうやら俺が頭をぶつけたのは木箱のようだ。
木箱が周りに積まれている事と、この揺れ。
耳を澄ますとポッコポッコ、とした規則正しい足音が聞こえてくる事から、
「馬車か、」
そう思った俺は後ろの幌を捲ると、目の前に見えたのは黒い馬が二頭と、手綱を握る見知らぬ誰か。
間違いなく馬車に乗っているらしい。
「よ、目ぇ覚めたかネジ」
そこに前から誰かから声がかけられた。
痛みを我慢しながら涙を拭ってその誰かへと視線を向けてみると、そこにいたのは赤髪の美少年、名前は確か…………レンだっけか、が少し前に座っていた。
「ここは何処なんだ?」
「ん? ああ、ここは街道だよ。で、今は馬車の中」
「そうか、……いや、そうじゃなくて。何処へ向かってるんだ?」
「北の【フリージア】だよ」
「……北、フリージア?」
聞いた事のない地名を聞いた俺は、傍にあった荷物から地図を取り出すと、その場で広げてみる。
バサリ、としたボロボロの地図を確認してみる。
「やっぱりだ。フリージアなんて地名はないぞ」
「うんん? あ、ホントだね」
「ホントだね、じゃないっ。どこに向かってるんだよこの馬車はさ」
緊張感の全くない赤髪の美少年に呆れ返りそうになりつつも、務めて平静さを装う。まぁ、相手は年下のガキだ。俺は年長者なのだから、鷹揚に鷹揚に。
だが俺の、そういう忍耐は。
「ち、五月蝿いぞバカが」
心無い、あまりにも辛辣な言葉であっさりと限界を突破した。
「おい誰だ? 今誰がバカだって言った?」
「言ったのは僕だが、何か文句でもあるのか?」
ガサガサ、と前から顔を覗かせたのは金髪の、あれ、やたら耳の長い…………こいつエルフか?
へぇ、このゲーム初めてまだどの位かは分からないけど、エルフってやっぱりいるんだな。
思わずしげしげと眺めていると、
「何だ貴様。僕にケンカでも売ってるのかよ?」
エルフ男は剣呑そうな雰囲気を全く隠すつもりもないらしい。今にも殴りかかってきそうな目つきでこっちを睨み付けてくる。
「まぁまぁ、二人共、少しは落ち着けって。な、ロビン?」
「ち、分かったよレン」
ロビン、っていうのかあいつは。まぁとにかく、レンのおかげでいきなりケンカにはならないみたいだ。
いや、多分俺が負けるだろうけども。
脳裏をかすめたのは、あの夜、リーパー、とかいう不気味な相手を弓で吹っ飛ばした光景。
あんなの喰らったら絶対死ぬ、間違いない。
「話を戻していいか? この地図を見る限りじゃ北にあるのはそんなに大きくない集落だよな?」
「そうだね」
「じゃあさ、そのフリージアってのは何処だ?」
「ここだよ」
レンは何の躊躇もなく地図上で、俺が指し示す集落を指し示す。だがそこにはフリージアって地名はない。あるのは全く別の名前のみ。何だよ、頭がこんがらがって来るぜ。
そんな俺の困惑を、レンはにへへ、とか言いながらわらっていやがる。コイツ、楽しそうだな。
「まぁつまりさ、その集落が今じゃフリージアなんだよ。もっとも、集落って例えはもうおかしいんだけどな」
「どういう事だよ?」
「まぁそこら辺はもう一日もすりゃ分かるからいいとしてだ、何か他に聞きたいコトがあるんじゃないか?
今ならトクベツにタダで答えてやるよ、どうする?」
そのレンの問いかけで俺は我に返った。
そうだ、俺はここの事を何にも知らない。
聞くべき事は山ほどある。
「分かった、色々聞くが教えてくれよ」
「オッケー、まぁ分かる範囲でね」
それから俺はレンに様々な事を訊ねてみる事にした。
「ここは一体何処なんだ?」
「ここかい? 【フライハイト】だよ」
その名称は聞き覚えがある、間違いなくあの新作VRゲームの舞台となる世界だ。
ようやく一安心出来た。やっぱりここはゲームの世界なんだって思えた。リアル過ぎる感覚が気にはなるけど、その一点で安心した。
「あ、大事なコトを言っとくけど、ここは【現実】だからな」
「え?」
レンの言葉は俺の、安堵した気持ちに冷や水をかけた。何言っているんだお前は?
「最近出会う【来訪者】に多いんだよね。ここをゲームだか何だかって言うヤツがさー」
「いや、待てよ。ゲームだろここはさ? 俺は【フライハイト探検記】っていうゲームをしようとして、ここにいたんだからさ」
「やっぱりアンタもか、どーにも最近は勘違い野郎ばっか来るなぁ。一体何なんだよね」
レンの口振りじゃ、俺みたいな奴は他にもいるらしく、しかも面識があるみたいに聞こえる。
「なぁレン、聞いていいか?」
「貴様、──レンに馴れ馴れしいぞ!」
するといきなりロビンってエルフが怒鳴ってきた。
ばさり、と幌の向こうから飛び出して来やがる。
で、ずかずかこっちに来たかと思えば、憮然とした表情のまま。俺とレンの間を遮るように座り込む。
コイツ本当に感じが悪い。
とにかく無愛想だし、何か俺に恨みでもあるみたいな感じだ。
「ロビン、だったっけ? 友達になれ、とは言わないけどよ……もうちょい角が立たない言い方ってあるんじゃないのかよ」
「ふん、貴様如きに何故気を使う必要があるのだ?」
見ろよこれだよ。このコミュ障め。お前が誰かなんて俺には全く持って興味ないよ。
それに俺が話をしてるのはお前じゃなくてレンだよ。
「なぁレン、教えてくれないか?」
「貴様、レンに話しかけるな、というこちらの忠告を無視するのだな。上等だ、表に出ろ」
「ああいいぜ。でもここ馬車だよな、表って何処だよ? 馬車から飛び降りるんなら勝手にどーぞぉ」
「貴様ぁぁぁぁぁぁ」
我ながら大人気ないとは思うがこいつは、ぶん殴ってやりたい。そんな事を思ってたその時だった。
ゴッツン、ごっつん。
硬い何かが頭に落ちた。
「いってぇぇぇぇ」
「むう……………………」
「ホンッとうに、お前らはアホなのか。せめて味方同士少しでも仲良くしようってそうした素振りでも見せろってのさ!」
やれやれだぜ、と肩を竦めながらレンは呆れた表情でこちらを見ている。
いってぇ、思いっ切りゲンコツくれやがって。
しかも自分よりも年下にやられるとは……。
いや待て、そもそも俺が悪い訳じゃないよな?
だが抗議は諦めよう、レンの目はこう告げている、いいから少しは仲良くしやがれ、って。
くそ。釈然としないけど仕方ない、ここは俺から譲歩する事にしよう。
「ロビン、だったよな。何か俺が気に障ったのなら謝るよ。だからさ、」
そう言いながら精一杯の笑顔を作りつつ、手を差し出す。これが限界だ、これ以上は出来んからな。
対してのエルフ男の返答と言えば──、
「何が気に食わないかも理解出来ないなら謝るな、バカが」
これだよこれ! 聞きましたかレンさん。コイツ、絶対に俺と仲良くするつもりないぞ。
俺は頑張った、頑張ったけども相手にそのつもりがないんじゃどうしようもないだろ? 見てたよな、な?
「レン、言っておくが僕はこんな奴を認めない。
自分じゃ何も出来やしない愚鈍で奴の面倒など真っ平御免だ」
ロビンは俺を見ようともせず、言い放った。
黙って聞いてりゃ言いたい放題だな。
俺は確かにお前より弱いんだろうさ、けどよ、そこまで見下される覚えもない。でもよ、あんたは弓使いだろ? この距離じゃその得物は使えないぜ。
「ハイハイ、そこまでな。ったく困った奴だなもう」
ため息をつきつつ、レンが俺達の間に割って入る。
「ロビン、とりあえず外に出て。話はオレがするから」
「……分かった」
ロビンは不承不承といった様子ながら、引き下がる。
どうもロビンはレンの奴には頭が上がらないらしい。
「さ、気を取り直して……って、おっとと」
そこで馬車が止まる。
「ああ、どうも今日の野営地に着いたみたいだ。話はまた後で、じゃな」
レンはそう言うと、ばさり、と幌をどけて馬車から飛び出す。
「え、おい」
俺はぽかんとした表情で馬車に一人残されるのだった。