虚ろなる自身──ホロウワンセルフ
こいつは最高だ!!
それが、ワシがこの力を実感した時にまず思った事だ。
このフライハイト、というこの世界に来た当初はワシもマトモにやっていこうとそう思ったものだ。
何せ前にいた故郷じゃお尋ね者で、表を堂々と歩けない暮らしだったからな。いちいち周囲を確認しながらの怯えた暮らしには戻りたくなかったからな。
だが、所詮は身に染み込んだ習性というモノはそうそう簡単には洗い流せはしないらしい。
結局は元の木阿弥、いつの間にか元いた世界と同じ道を歩む事になっていた。
そのキッカケは実に単純でワシはここでも殺したからだ。
大陸中部にある山村で真っ当に生きていたワシの前にとある盗賊団が襲撃をかけてきた。
連中の一人に問いただした所、ヤツらは先だって″お勤め″に失敗したらしく、その結果としてお上から逃げる途上でこの村に気付き、急きょ急ぎ働きって事で襲撃してきたそうだ。
金目の物はもとより、何よりも食い物を確保しようってつもりだったそうだ。
そいつは酷い有り様だった。
夜中の襲撃ってこともあり、平和で無警戒な村は完全に奇襲された格好。
ほとんど無抵抗な村人に連中は何の躊躇なく手にした剣や斧で切りかかり、次々と殺していく。
ワシはと言えば、たまたま村でも一番奥まった場所に小屋があったから、異変に気付いて逃げる時間もあった。
「くそっ、何なんだ?」
まずは状況判断からだ。
大体何が起きつつあるのかは理解したが、肝心な事が分からないままだ。
こっちは何の武器も持っちゃいない。
素手でも一人や二人なら捻ってやるが、数えた所その人数は九人。モタモタしてたら四方八方から切りつけられてそれで終わりだ。
様子を窺いながら、逃げる事も選択肢に入ったその時だった。
ガサッ。
後ろから足音がした。
「しまった」
背後にいたヤツに間合いに入り込まれた。
顔を布切れで隠した盗賊が切りかかってくる。
大振りな切りつけ、これを躱す位は出来る。しかしそこまでだ。
「ここにいるぞっっ」
その叫び声、で他の連中が気付いた。
不意打ちの上、無理に躱した事で体勢を崩したワシは後ろへよろめく。
そこに左右の二人が突き刺すつもりか剣を突き出す。
これで終わりだな、そう思ったワシはどうせ殺されるというならせめて華々しく散ろう、と思った。
だが、そうはならなかった。
何故なら、ワシはその″名″を知ったから。
「ぎゃああああ」「くえええべがっ」
何とも聞き苦しい耳障りな悲鳴があがる。
これがワシが自分の力に気付けた瞬間。
ワシが再度″奪う側″に戻った時だった。
ああ、何のこたぁない。
結局同じってこった。この村人連中は確かに善良なヤツらだった。ワシもこいつらにゃあ随分と世話にもなったしその事にゃあ感謝だってしてる。
だけど、ここも同じだ。
弱い者は強い者にとっての餌でしかない。
強ければそれだけ人生を楽しめる。
そうだ、それにせっかくの力だ。
せいぜい使ってやらないとな。
By リッソ・ゴールドソン(ある山賊の頭)
◆◆◆
「姿よ溶け込め【虚ろなる自身】」
オイオイ何だか厨二っぽいワードが飛び出したぞ。……大丈夫かこのオランウータン野郎は?
だが異変はすぐに起きる。
ゾゾゾ、とした音を立てながらオランウータンの姿がまるで冗談みたいに消え失せたからだ。
「な、何だよソレ? おいどうなってるんだ?」
それは信じられない光景だった。何せ、目の前から人が消えるなんて。ステルス、なのか。それとも透明化したとでも言うのか?
《うるせえな、黙ってろ!》
「うごっ」
誰もいないはずの場所から声が聞こえ、直後にゴツンとした衝撃が頭部に走る。完全に不意打ちの一撃を喰らって、俺はその場に倒れ込む。
くそ、情けない話だ。
「あ、ぐぐ……」
《そこで呻きながらぶっ倒れてろ。丁度いい撒き餌ってヤツだ》
オランウータン野郎は、がははと下品な笑いをあげると静まり返り、その存在を消した。
「──う、あっっ」
いてぇ、ズキズキ、とした鈍痛と何か温かいモノがほとばしる感覚。そっと頭に手をやると、それが自分の血だと分かる。つうか、こんな気持ち悪い感覚までゲームなのに再現するなよ。
(くそ、あのオランウータン。しかしマズい。この暗い森の中じゃただでさえ視界が悪いってのに、相手が消えるとか反則だろそりゃ)
どうやらオランウータン野郎は息を潜めているらしく、周囲に物音やら呼吸音は聞こえない。
このままじゃさっきの赤髪が危ない。だがどうするって言うんだ? 相手の姿が消えるんじゃどうやったって不意打ちされちまう。単純な実力じゃ赤髪の方がオランウータンより遥かに上だろう。だけどこの状況から察するに、ほっとけば確実に不意打ちを貰うに違いない。
ガササ、誰かがこっちに来る足音がした。
マズい、このままじゃ────、
「こっちに来るんじゃない、あぶ──ッッッ」
腹部に丸太みたいなモノが叩きつけられた。
息が出来ず、胃の中のモノが逆流する感覚。そして死ぬ程いてぇ。
だけど効果はあったらしい。
足音が止まったのが聞こえる。
「ふうん、…………待ち伏せってコトか。まぁ予想通りなんだけどさ」
赤髪の言葉からは焦ってる様子は感じられない。
《がはは強がるんじゃねえよ。ここに来たのが運の尽きだ。死んでもらうぜ》
オランウータン野郎が仕掛けた。
ガササ、という草木を踏み締める音だけが聞こえ、次の瞬間。赤髪の腕から鮮血が吹き上がる。
「ち、……成る程。見えないワケだ」
《がはっ、強がるんじゃねぇよ。お前にワシは視えないがワシからは丸見えよ。手下共のお礼も兼ねて、じっくりと楽しませてもらうぞ》
と、下品な笑い声の方向へ赤髪が飛び込む。
一体どんなバネしてやがる、ひとっ飛びで六メートルは飛びやがった。
だが赤髪は「ち、」と舌打ちする。
どうやら相手がいないのを理解したのだろう。
同時に《残念だなぁ、ちょいとばかし遅いな》という声と共にガツンという鈍い音。赤髪の美少年の身体が後方へ転がっていく。
《がはは、華奢な身体だ、軽々と飛びやがる》
オランウータン野郎は自身の優位を確信したらしく、相手を小馬鹿にするような口振りだ。
だが、それも無理はない。
今更ながらこの森にオランウータン野郎が逃げ込んだ訳が理解出来た。
どういう理屈かはサッパリ分からないが、この森は音が反響する。
まるで″やまびこ″みたいに、同じ声が幾度も、あちこちから聞こえる。
これじゃ声で相手の位置を把握するのは難しいだろう。
《ガハ、ガハハッッ。残念だったなぁ、理屈はサッパリだが夜のこの森は音が反響する。ここじゃワシの【特典】は無敵なのよ》
オランウータン野郎は実に嬉しそうな声音を弾ませながら、再度攻撃に移る。
あれ、待てよ。ギフト、って今言ったよなあいつ。もしかしてゲームの特典の事なのか?
ならあのオランウータン野郎は俺と同じでゲームプレイヤーだってのか? おいおいあんなのチートだぞおい。
ガササ、という草木を踏む足音自体、同時に何ヶ所から聞こえる。何にせよどちらが優位なのかは明白。
「く、ちっ」
またも不意に赤髪の身体が飛ぶ。蹴られたのか或いは振り回されたかは見えないので判然とはしない。だが攻撃されてるのは間違いない。
《ガハハハハッッ、軽い軽い。もっと派手に振り回してやるぞォォォォ》
ブウン、という何か重いモノが風を切る音。
これは一体…………?
不意に赤髪が身体を沈ませる。
するとすぐバキャン、という激突音がしてその背後の木の幹がミシミシと折れる。
おいおい、何だよ何を使った?
《何だ何だ、器用に躱すじゃねえか。だが偶然がそう何度も続くとは思うなよッッッ》
ブウン、ブオン。
何か重いモノが振り回される音。
思うに鉄製の棍棒か何かだろうか?
何にせよ威力は抜群だ。あんなのを喰らったら一発でお陀仏なのは確実だろう。
「ふうん、凄いなぁ」
だってのに、何を悠然としているんだあいつ。
絶対絶命のピンチだぞ。負けるかも知れないんだぞ? なのに何で笑っている。
《死ねえええええええ》
オランウータン野郎の声が轟いて、そして戦いは決着する。
勝ったのは────赤髪だった。
あいつは虚空に肘を突き出している。
一見すると素振りでもしたのか、とも見えるし、はたまた攻撃を失敗したのか、とも見える。
しかし結果はすぐに出た。
《おお、──げえええ」
聞くだに嫌な喘ぎ声をあげながらオランウータン野郎の姿が見えたからだ。
強烈な一撃は鳩尾へめり込んでいる。
まさに見事な逆転一発KO。
膝を屈して、泡を吹きつつ白目を剥く巨漢を見下ろしながら赤髪は言う。
「手品の時間は終わりだよ【リッソ・ゴールドソン】」