岩の城──キャッスルロック
「…………」
俺っちの目の前が赤く染まる。
とは言ってもそれは夕日だとか朝日によるモノじゃない。
街へと放たれ、燃え盛る炎が辺り一面を赤く染め上げていた。
視線を動かせば、ひゅひゅんという風を切る音と共に無数の矢が雨のように降り注がれる。
おおおお、という声が轟き、無数の兵士がこちらへと殺到しようとしている。ああ、見覚えのある光景だ。
耳を澄ませば、少し離れた所でガラガラ、と何かが崩れていく音。これは恐らくは城の周囲に巡らせた監視用の櫓が倒壊した音だろう。もしも崩れたのがこの城であれば俺っちに分からないハズがないのだから。
”岩の城”
それが俺っちに与えられた特典の名称。
能力はフライハイトにある岩を自在に操る、というもの。岩、と云われると岩石みたいなとてつもない堅く、武骨なイメージだけど、実際には大地にある岩、石、つまりは土砂をも操る事が出来る。
実の所、このフリージア城は俺っちのキャッスルロックで作り上げた建造物。つまりはギフトで象られたモノで、俺っち自身といっても過言じゃない。
最初はこんな立派なシロモノじゃなかった。何せ城、なんてどういうモノなのか俺っちはサッパリ知らなかったんだから。
敢えて知ってる城って言えば、精々がゲーム中に見る城位のもんだったし、それすらもちゃんと見た事なんて一度もなかった。
ああ、さっきとはまた別の櫓が倒壊したみたいだ。
念の為に兵士には早急に櫓を放棄させておいて良かった。
俺っちは人が死ぬ、っての嫌いだ。自分が死ぬのは当然だけど、この手でそれを為す、ってのもお断りだ。
だから最初は本当に嫌だった。
フライハイトに俺っちが来たのは今から三十五年前の事。
当時フライハイトは迫り来る戦乱を前に誰もが不安を感じていた。具体的には何も起きずとも各地で頻発する様々な災いやら、魔物の大移動に伴う混乱など誰もが漠然と何かが狂いだしている、と肌で感じ始めていた頃にこの世界に来訪者として訪れた。街行く誰もが暗い顔を浮かべていて、来たばかりで右も左も分からない俺っちでも何か悪い事が起きるんだろうな、という漠然とした予感を感じたなぁ。
どど、という音は騎兵隊の進軍。
数千は優にいるだろう、騎兵の攻撃が始まった。
これならまだオーガの群れの方がましだったかも知れない。確かにオーガは個々では人間より遥かに強力な存在だが、集団戦に於いてはその個々の強さが邪魔をする。つまりはオーガに限らず様々な魔物、ひいては魔族全てに共通する事だけど、人類と比べて彼らは戦争には弱い。個々の勇を頼みに向かってくる彼らに対して、弱者である人類は組織で応じる。槍や剣にいくら精通していようが、降り注がれる矢の雨には勝てないし、魔法にも勝てない。遠距離から攻撃、または近接戦闘になっても一対一ではなく、一対多数で応じる。確かに卑怯千万。お世辞にも誉められるやり方じゃないけど、これは命の取り合い。どんなに強くたって死んだら終わり。ゲームみたくセーブポイントからやり直しなんて利かない。
伝令からの報告では、フリージアの街にはオーガの軍団が攻め込んでいる。尋常ならざる敵だけど、あっちは恐らくは大丈夫だろう。被害は出るだろうけども、抑える事は可能だろう。
むしろ問題はこちらへ向かって来る軍団だ。
暗く視野が狭い夜間だからだろう、分かる事と言えば魔物、魔族ではなさそうだという事。そして人類だと言うのなら一体何処の国に所属しているのか、という点だ。
これだけの数、傭兵とは思えぬ整った動き。恐らくは訓練を積んだ軍隊。だとすれば選択肢は限られてくる。
北、フリージア以外の東西に南。いずれかの国が介入している可能性がある。そうなればこれはもう魔族相手ではなく、人類同士の戦争という最悪の事態だという事になる。
こちらは国中の騒動で兵力を大きく削がれている。いずれは鎮圧を終えて戻ってくるとは分かっていても、このまま籠城という手段には出たくはない。
フリージアの街とこの城の間には地下道があるから、住人を匿う事は出来る。現に今、城内に住人を少しずつ受け入れている。
兵糧もそれなりに備蓄はあるし、敷地内で作物だって育てられる。ある程度の期間持ちこたえる事は充分出来るだろう。
「だけど、それじゃ駄目なんだよな」
そう。駄目だ。確かに守る事自体は可能だ。余分な犠牲を出したくもない。俺っちは荒事が好きじゃない。
でも、だ。
「街がなくなってしまったら皆が困る」
ああ、自分がどれだけ甘っちょろい事を口にしたのか、実感はある。戦争になったのに、こんな状況だというのに。
「でも俺っちはフリージアを守る、って皆に誓ったんだ」
そう。この国の王様になった時に皆の前で誓った。何があってもフリージアを守るのだと。
フリージアは城だけじゃ成り立たない。街に住む皆がいてこそ存続出来るんだ。王様だけいたって仕方ない。皆がいなければ、笑顔で健やかでなければ駄目なんだ。
「出るぞ、皆は守りを固めよ」
悩む必要などない。今、この状況に於いて最も強い者が敵に相対する。それが今回は、たまさか俺っちだっただけの事。
「王、何を仰りますか」
「打って出るならば我らにお任せを」
「王はフリージアの柱。かような戦いで万が一の事でも起これば取り返しがつきません」
皆の意見は至極真っ当だ。確かに多勢の前にたった一人で立ち向かうだなんて頭がおかしいと思われても仕方ないかも知れない。
でも、今はこれでいい。
「任せよ」
出来うる限り、威厳を与えるように低い声で大臣に告げると城壁から飛び降りる。
二十メートルから降りれば普通なら骨折どころじゃない。戦う前に戦闘不能、下手すれば死んでしまうだろう。でも問題ない。
メキメコ、と地面が動き出し、隆起。俺っちを受け止めると今度は元へ戻っていく。常々思う、本当にチートだよ、ギフトってのは。
「さて、戦うのは一体いつ以来だろな」
俺っちは他の英雄たちに比べると、正直弱い。剣聖とか槍王、みたく華々しい戦果なんてまともにあげた経験なんて多分皆無だ。
「でもな、だからって弱いって思われるのは心外なんだな」
騎兵隊はきっと俺っちを馬鹿な雑魚か何かだとでも思っていそうだ。
俺っちみは他の奴らみたいな活躍はない。出来もしないさ。だけどな、勝手に弱いと思い込まれるのは────。
「うああああああああ」
先陣を切った騎兵の一人が気合いをこめた叫び声をあげる。
今日この日の為に準備をしてきた。初陣で華々しい活躍を果たせば主君からの覚えもめでたいに違いない。
(そうだ。ここで戦果をあげれば我が家名もより一層輝く)
彼の家系は代々騎士。時に王に仕え、時には独歩してきた経緯はあるが間違いなく伝統を持った名家。
(フリージアはこのフライハイトを乱す元凶。これを討つのが我らの大義)
跨がった馬は抜群の脚を以て他の騎兵、騎士達を大きく引き離している。誰も彼もが自分の後塵を拝している。
「おおおっっっっっ」
右手に握ったロングソードを後ろへと構え、迫る敵へと一気に振るう。
繰り返し繰り返し訓練し、磨いてきた技術。人馬一体、これを止められる相手などそうそういない。
(とった)
馬と相手がすれ違う一瞬、ロングソードは狙い違わず相手へ。一刀で切り裂く、はずであった。
(あれ?)
おかしな事に視界が反転していく。城壁が見えていたはずなのに、何故か暗闇を。空を見上げている。
更におかしな事に騎乗していたはずの馬もまた、宙に浮いている。
(何だ、夢でもみているのか?)
だとしたら妙な夢だった。妙に真に迫っているようだし、全身に痛みが生じている。纏っていた代々伝わる鎧はひしゃげ、腕や足はあらぬ方向へねじ曲がっている。
「へ…………?」
意味が分からないままに地面へと叩き付けられ、彼は絶息した。
◆
「な、っっ」「何だ今のは?」「何が起きたというのだ?」
その凄まじい死を目の当たりとした騎兵隊に動揺が走る。
なまじ彼らと先陣を切った騎士との間に距離が空いていたのが仇となった。大分暗さにも目が慣れたとは言えどこの暗さでは何が起きたのかを完全に把握出来ない。
「くそ、」「どうする?」「退くべきか?」
何が起きたのか分からない不安はあっと言う間に彼らの心中に蔓延。急速に戦意を奪う。
「馬鹿め。ここで退いては我らの名折れぞ」
そんな中で気概を見せるのはこの中では一回りは年季の入った騎士。ここにいる殆どの者がまだ十代後半から二十代半ばという年端のいかない、これが初陣となる者であるのに対して、この騎士は年齢は四十代。そしてこれまで幾度もの実戦経験を持っている、という違いがある。
彼こそが騎兵隊の実質上の指揮官。
この騎兵隊、騎士は数こそ多いものの、混成部隊という欠点がある。何せ各地より集められた騎士であり、士気の違いもあれば技量の差も存在する。本来であれば騎馬の強みを活かす意味でも、また個々の負傷率を低減させる為にも全軍での進軍こそが重要にも関わらず、先の騎士のような独断を許してしまったのはそういった事情がある。
「よいか。あの男こそはフリージア王アラシだ。英雄の一人にして、この国の柱。何よりもあの堅固な城を維持している男だ。あの男さえ討ち取れば、そびえ立つ城壁は失われ、残されるのは無防備な中身のみ。さすればこの戦、我らの勝利なるぞ。
油断は禁物。されどアラシは他の英雄と比すれば格が落ちる。我らが一斉にかかれば必ずや討ち取れる。よいか、あの男を討ち取れぃっっっっっ」
おおおおおおお、という歓声が巻き上がり、下火になりかけた騎兵隊、騎士達の士気は火山の噴火の如く一気に噴き上がる。
「いくぞぉぉぉっっっ」
指揮官の声と共に騎兵隊は今度こそ一斉に向かって来た。
その進軍は地響きのように周囲を揺らし、この渦中に巻き込まれれば生身の人間などひとたまりもないに違いない。その勢いはフリージアの街へと向かったオーガの軍団にも比類し、純粋な筋力でこそ及ばぬものの、個々の技量では勝っているであろう。つまりはたった一人でこの進軍に巻き込まれたら、常人であればまず助からない。あくまでも常人であれば。
「悪いけど、……お前たちはここで詰みなんだな」
アラシが足をその場で踏み鳴らした。途端、周囲の地面は大きく蠢き出し、騎兵隊の足元にまで影響は広がっていく。
地面がまるで生き物のように大きく動く。いきなり槍のような、剣山のように飛び出し人馬諸共刺し貫く。
左右両側から巨大な壁がせり上がり、押し潰された。
足元が急激に飛び出して、虚空へと投げ出される。
逆に地面が沈下。そのまま二度と戻らない。
こんな光景が瞬時に同時多発的に発生した。
なまじ密集していたのが不幸であった。騎兵隊、騎士達の大半が一瞬で命を奪われ、それも半数以上は跡形もなくなった。
「な、な、」
「いま、なにがあっ」
「ひ、ひいいいい」
ほんの僅かの差、馬の差、騎乗する側の技量差、単なる陣形の差、生死を分けたのはその程度の差でしかない。
「だから嫌だったんだな」
アラシは自身のギフトの影響に表情を曇らせる。
確かに自分は他の英雄に比べれば戦果を、功績を残してこなかった。それは単純に武芸の技量が彼らには及ばなかった、という点も一つだったが、それ以上に自分のギフトが戦闘に用いた場合、その結果を憂いた結果でもあった。
「それに忘れるな。俺っちはフリージア王である以前に【来訪者】だってな」
時間に換算して僅か十秒にも満たぬ一方的な光景。
それは最早戦闘と云うより災害。襲撃してきた騎兵隊は壊滅。残った者も戦意喪失したのか逃げていく。
「だけど、どうもこれで俺っちは助太刀は無理そうだ。
これが狙いなら、流石ってことだ、な」
アラシはそう言って倒れた。普段から城の維持にギフトを使い続け、その上で今の能力行使。完全に限界だった。城を少しずつギフトから実際の構造物へ工事はしていたが、まだまだ大半はアラシのギフトによって維持されている。本来ならば戦闘など以ての他であった。
「すまないネジ。レンを頼む」
もはやアラシに出来るのは祈る事のみであった。