即興劇
気が付けば、辺り一面地獄だった。
耳を澄まさずともイヤでも届くのは無数の悲鳴に断末魔の声。
鼻を使わずとも濃厚な血の臭いに、焦げたような、火の臭い。
「ハァ、ハァ、」
オレは走った。ただがむしゃらに走った。
宿を飛び出し、無我夢中に一目散に手を振り、足を動かす。
(急がなきゃ、はやくいかなきゃ)
頭の中にあったのはただただそれだけ。
急がないと、流れてしまう。多くのモノがなくなってしまう。
以前までのオレなら、きっともっと冷静だったように思える。
少なくとも、飛び出す前にネジなり、ロビンなりに何か言った上で、動いたと思う。
(でもそれじゃ遅いんだ)
そうだ。遅い、僅かな時間の遅れで救えるモノが救えなくなっちまう。
守れたかもしれない命を、守るコトが叶わなくなっちまう。そんなのはイヤだ。
ただがむしゃらに走り続けた。
最初こそ狭い道を走り抜けたけど、やがて人の出入りが増えるに従って、速度はハッキリと落ちていく。皆、一体何事かと飛び起きたのだろう、大半の人々は着のみ着のままで、飛び出してきていた。
「ふ、クッッッ」
でもオレは何事が起きたのかを理解している。だからこそ焦る。このままじゃ間に合わない。間に合わせるにはこのままじゃダメだ。
だから最短距離を選ぶコトにする。具体的には建物の屋上へ向け一気に跳躍。一番高くても六階、せいぜい二十メートルなら身体を燃やせばイケる。
「は、────ッッ」
着地して即座に全身を燃やす。全身を巡るモノ、レンの中のモノを燃料と変えて一気に走り出す。
視線の先にはハッキリと火の手が上がってる。
そして、門近辺の動きは明らかに異常だとも分かる。
ああ、やっぱりか。やっぱり、何かが起ころうとしてる。悪い、とても悪いコトが起きようとしている。
「急げ、」
足を上げろ。もっと高く、大きく歩幅を取れ。
「急げっっ」
腕を振れ、もっと勢いよく、風を切り裂くように。
「急げ────」
全身を燃やせ、もっと、もっと熱くなれ。この瞬間、オレ……アタシは──。
◆◆◆
「火を消せっっっ、急げっっっ」
「一体何が起きたッッ」
「くっそおおおおお」
怒号とも悲鳴とも取れるような大音声が場を支配していた。
フリージアの街は守りに易く攻めに堅い。理由は攻撃する為の経路の少なさである。
その堅固さはかつての大戦に於いて既に実証済。まだ大きな洞窟の延長線上でしかなかった当時でさえ、魔族の大軍に対して多くの人々の命を守り切った。
この洞窟はまず一方向からしか攻めかかる経路がない。その上、入り口は一度にせいぜい数十人が入れるかどうか。下手な城門よりもずっと堅い岩を砕くには相応の準備が必要であり、破城槌などの攻城兵器を使おうと試みても、守り手からの火矢で燃やされる。
さらに付け加えるのならば、仮に入り口を越え、先に進もうとすれば今度は幾重にも張られた関所。決して頑丈な造りでこそないものの、洞窟の中に入ってからの道幅は更に狭く、通り抜ける前に待ちかまえていた住人や兵士の前に屍を積み重ねるのみ。
大戦の最終盤、に於いて魔族軍は数万もの死傷者をここで出したとも云う。
そう、だからこそ彼らは知っていた。この街を陥落させるには外からの力攻めでは無理であると。
三十三年間もの間、彼らは備えていた。いつかの日にこうした事態に備えていた。
じっくり時間と手間をかけ、住人として溶け込み、そして今夜動いたのだ。
「我らの悲願の為に」
当初、彼らが何を言っているのか警備に当たっていた民兵には意味が分からなかった。
何故、いつも見知った顔が今日、こんな深夜に出歩いているのかが分からず。
何故、いつも見知った顔のはずなのに、まるで熱に浮かされたかのような、恍惚とした表情だったのかも分からず。
何故、いつも見知った顔のはずの彼らが、その身体に火をまとって向かってくるのかなど、ましてや抱き抱えているモノが大量の火薬などとは夢にも思わなかった。
ただ見知った誰かが、自分諸共に門へと突っ込んでいき、爆ぜる様を呆然と見ていた。
四散した知人と共に吹き飛んだ関所の破片が飛び散ってくる様を目の当たりとし、事態の深刻さに気付いた民兵達は急いで消火しようと動き出すのだが。
「我らの悲願の為に」
さっきと同じ言葉を叫びながら向かって来る隣人が殺到。その動き出しを遮られる。
そうして火の手は拡大し、街は混乱状態へと陥っていく。
「何なんだよ、一体何が──ぐあっ」
民兵は激痛に呻き、何が起きたかを確認する。
「な、んで?」
背後にいたのは自分にとって一番大切な、愛する妻。心から信じ、愛していた存在。
「この街は滅ぶべきなの」
彼女の口をつくのは呪詛にも思える、深い深い怨念のこもった言葉。
手にした短刀をついさっきまで愛していた夫に幾度となく突き刺し、そして。
「でも心配はいらない。わたしもすぐに逝く」
虚ろな目をして見上げる夫に見せつけるかのように己の喉を一突き。そのまま覆い被さるように倒れていく。
完全に街は混乱していた。隣人だったはずの、善人だと思っていた人がいきなり凶刃を振るい、建物に火を放つのだ。一体誰を信じればいいのかが分からなくなっていく。
「お前、動くな」
「でも火を消さないと……」
「いやお前が敵じゃないって保証がない」
「そんな」
疑心暗鬼に駆られ、動きは鈍くなり、そしてそうした間隙を敵は見逃さない。
死神は闇に紛れて蠢き、彼らを引き込み、或いは引き込んだ者達もまた動く。
誰もが互いを疑い、刃を突き付け合うそんな最中。
「皆何やってんだよッッ」
赤髪のレンは渦中へと飛び込む。
彼女には分かっていた。何があったのかを知っていた。
「いいか、今ここで睨み合ってるヒマなんてないんだ。コレは単なる陽動ってヤツで、本番はコレからなんだぞ?」
その叫びは悲痛さに満ちている。
民兵達は、普段と違う赤髪の少年の言葉に驚く。
「だが、どこに敵がいるかが分からないんだぞ」
「そうだ、後ろを向けたらいきなり刺されるかも知れない」
だが誰も動かない、動けない。長年心を通わせたはずの、信頼していたはずの隣人が突如として襲いかかる状況。
いくらレンが声をあげようとも、一度生じてしまった不信感は容易には拭い切れない。
◆
(くっく、いいザマだ)
そんな状況をほくそ笑みつつ、眺める者がいた。
この異常な事態はこの人物の特典によって引き起こされていた。
数年前より、フリージアに潜入し、この機会が来るのをずっと待ち続けていた。
(いつになるか分からない仕事ってのはキツいもんだ)
彼が雇われたのは二年前。死神達の長から多額の報酬を約束され、欲に目がくらみ、二つ返事で承った。
だが自分の役割は指定された状況下での混乱を誘引する事であり、その状況にならない限りはただひたすらに待機し続けなければならなかった。
(まぁ、善人を演じるのはなかなかに面白かったがな)
愚鈍だけどいい奴、という周囲からの評判を作るのには時間がかかった。
ギフトを使う為の条件付けにも時間がかかる。ゆっくりと手間暇をかけ、少しずつ、ほんの少しずつ仲間を増やしていく。
(これもまた巡り合わせ、だろうな)
かつて彼は舞台俳優兼任の演出家だった。
一から立ち上げ、仲間と一緒になって十数年活動、それなりの人気を得て、生活に窮する事はなくなっていた。
だがいつしか彼は舞台に立つ都度、思うようになる。
”これが私のしてみたかった事だったのか?”
どれだけの拍手喝采を受け、批評家からも絶賛されようとも、彼の中に生じた疑念は膨れ上がる一方。まるで澱のように蓄積し、いつしか彼は舞台から去っていた。
舞台から離れた彼ではあったが、普通の社会には、仕事には馴染めない。
気が付けば、詐欺師になっていた。
金持ちの女性を騙して、財産を奪い取る。たった一人の騙す相手だったが、得も言われぬ恍惚感を覚えた。もしもバレたら逮捕され、或いは死ぬかも知れない。騙す相手の中には裏社会の大物の娘もいたが、死ぬかも知れないというギリギリの瀬戸際を楽しんで、そしてある夜、夜道で誰かに刺された。血は一向に止まらず、焼けるような痛みの中、思った。
(ああ、次はもっと上手く演じなきゃな)
目を見開いたまま、意識を失い、そして彼はフライハイトに至った。
それはまさに彼の求める最高の舞台。
かつての世界とは異なるこの世界では以前のように細かな倫理観など無用。何よりも与えられたギフト。これさえあればもっともっと最高の演劇が出来る。本当に愉快な日々をしばらく過ごし、彼は自分こそ最強だと思ったりもした。
そして巡り会ったのが、あの男。死神の長であった彼を前に彼は理解した。この男には抗えないのだと。まとう空気そのものが自分とは違う。何かされた訳でもないのに、自然と頭を垂れ、そしてフリージアへ。
(だが、あの男のお陰でこんなにも最高な舞台を演出出来る。感謝しなければな)
男の視線は、新たな出演者へと向けられる。
赤い髪をした少年、レンへと。
(さぁ、次は君の出番だよ)
男は一冊の小さなノートを取り出すと、すらすらと内容を書き出す。
これこそ、このノートこそがギフト。題して”ささやかな即興劇”。一ページにつき、一人の相手の行動を操れる能力。短時間しか効果がなく、おまけに操れるのは一回こっきり。使い勝手としては良くないが、上手く使いこなせれば状況を一変させる事が可能。
(そうだね、君は有名人だ。強いそうじゃないか)
なら、一般人を数人殺させる、というのはどうだろう。味方だと思ってた人が突如、仲間を、隣人を殺す。間違いなく、レンは追い詰められる。
(いや、殺さずとも、いいか)
例えば、関所を完全に破壊すればどうだろう? そもそもこの襲撃に際して、彼がすべきは離反及び破壊工作だ。鉄壁とも思えた守りを内側から崩す。その上で攻めてくる軍勢を、引き入れればそれでゲームセット。有名人から一転、裏切り者として扱われる。生きながらに、地獄を見続ける事だろう。
「いいね、実にいいねぇ」
男はノートを、エチュードにペンで書き始める。
それは裏切り者の話、赤い髪をした、とある美少年の話。
誰からも好かれ、信頼されていた彼が一転、それを粉々に打ち砕き、怨嗟の念を抱かれて苦悶の内で苦しむ最高の喜劇。
感情の高ぶりに任せて一気呵成に書き殴り、〈了〉という締めの言葉を綴る事によって能力は発動。
「さぁ、最高の即興劇をみせておくれ」
手を大きく広げ、その瞬間を余すことなく見届けん、とするのだが。
「……………………何故だ?」
レンは書かれた通りには動かない。
文章通りなら、すぐ近くにいる民兵を撲殺、そして家屋を破壊し始めるはずなのに。
「ばかな」
エチュードを開いて、再度確認する。
一言一句、思った通りに書いている。ならば、その通りに動かないといけないはず。
「く、どうした? 動け、動け動けっっっ」
ならば、とエチュードに再度書き殴っていく、さっきよりも明確に文章を羅列。曖昧な表現は一切使わずに、確実に相手を動かすべく。
「これで、どうだっっ」
これで確実だと男が思った次の瞬間。
「う、あつっっ」
気付けば足元が燃えていた。
「な、なぜっっ」
ここらには火の気など全くなかった。だからこそここから状況を確認し、操作していたのに。何故、火がここにあるのか?
『みつけた。オマエだな』
「へ?」
男は震えを押さえられない。だって、その声は、誰もいない場所から聞こえた。
『オマエごときがあの子に何をしようという?』
その声から感じ取れるのは、明確な害意。自分へと向けられる殺意。
「ま、まってくれ、あんた誰だ?」
周囲を見回すが、やはり誰もいない。不思議なことに火に包まれている足元が全く熱くない。
『オマエのようなモノにあの子を操れるとでも思うたか? 小僧っ子』
耳元で囁かれた声。妖艶な声だと思った。
「あ、あんたは何処に────」
そこまでだった。気が付けば、火は全身を覆う。まるで生き物のように、逃がさぬとばかりに包み込んでいく。
『オマエのようなモノには死すら生易しい。その魔書を消してやろう』
「────!」
すると、エチュードに火がつく。エチュードは本だが、本ではない。これは彼のギフト。自分の意思に寄って顕在するもの。
『これはオマエそのもの。オマエという概念そのものを損なうとよい』
「あ、嗚呼アア猗吁亞…………」
声にならぬ声をあげ、手にあった概念が燃え尽きるのを目の当たりとし、男の中の何かは燃え落ちた。
近くにいた住人が気付いた時、男は何者ですらなかった。ただただ、身を縮め、何かに怯えるのみだった。
「見つけた」
そしてその一部始終を観ている者がいた。
水晶玉にて、眺めながら、男は言う。
「喜べ、【神子】が見つかった」
そう、男達はこの時を待ち望んでいた。
「そうか、では行くとしようか」
奥の玉座のような椅子から腰を上げたのは、数十キロはあろうかという分厚い鎧を纏う戦士。
その手にあるのはドラゴンを模したらしき紋章を刻み込んだ、ハルバート。
「今こそ……世界に挑む時だ」
顔まで鎧で覆った男の目には異様な光が宿っていた。