赤髪の美少年
「く、ぎゃあああああ」
敵の一人が絶叫しながら地面を転がる。
見ればその顔はひどく焼けただれている。まるで一定時間炎に焼かれたように。だが、それを為したのはたった一発の拳だけ。一瞬だったけど″燃える拳″によってもたらされたモノだ。
誰か、はまるで踊りでもするかのように周囲を動く。叫び声をあげながら襲い来る賊の振るう斧の一振りをくるりと回りながら躱し、そのままの勢いで肘鉄を肋骨へ叩き込み、さらにその後ろから襲いかかろうと身構えていた別の賊へ、ほとんど一瞬で間合いを潰して強烈な前蹴りを鳩尾へ突き刺す勢いで喰らわせる。
「──あ、」
何とも間抜けな声だったけど、それが俺の偽らざる本音だった。
激しい戦いだと言うのにどうしてだろう?
思わず魅入ってしまう。
それはあまりにも美しく、何処か愉しげにすら思えた。
それが俺とアイツとの出会い。
このフライハイトで出会った最初にして、最高の相棒との最初の出会いだ。
◆◆◆
「な、んだおま、え?」
我ながら何とも間の抜けた声だった。
だってそうだろ?
俺はついぞ今さっきまで暴行を受け続けていた。
ゲームのはずだってのに、全身が酷く痛んであちこち腫れ上がって熱を発している。
その上、何度も何度も丁寧に腹を蹴られたからだろう、これまた酷い吐き気がする。
目の前の焦点が合わないのは、VRギアの不調なのかもしれない。
でも、そんなの関係無い。
ここは間違いなくゲームの世界だ。
だって今。
俺の目の前にいる少年の拳は″燃えて″いるのだから。熱が肌に伝わる。ゲームのエフェクトにしては何ていうかリアル過ぎる。
「おいアンタ大丈夫か?」
ソイツはまだ声変わりすらしていないのか、妙に声が高い。
燃えるような赤髪は短めだ。その目元に口元などに薄い眉などの顔立ちはかなり整っており、これなら間違いなく美少年と言える類だろう。
瞳の色も赤い。随分と凝ったキャラメイクしてるらしいな、コイツ。
ただ、顔立ち以外は何て言えばいいのか色々残念極まりない。その理由は簡単で服装が服装だからだ。
まるでボロ布みたいな薄汚れたフード付きのマントをばさり、と羽織っておる、まるで浮浪者みたいだ。
ん、何だかこっちを訝しんでるみたいだ。ああ、そっか、あっちの問いかけに返事していないんだな。
「ああ、な、んとかな」
「そっか、じゃあさ……」
そう言いながらソイツは燃える手を動かし……俺の手足を縛っていた縄をあっという間に焼き切る。
不意に近付く顔、目が一瞬合う。如何にも勝ち気そうなつり目と、睫毛は男にしちゃ長めだ。
「……そこでちょっと大人しくしてな」
手早く拘束を解くと、こっちの返事も聞く事もなく、美少年は外へ飛び出す。
そうだ、ここは悪人共のアジトだ。
「俺も手伝、うべきか。ううっっ」
全身に痛みが走り、改めて俺が自分が怪我人だと認識させられた。
そう、赤髪の美少年はこう言ったのだ。大人しくしてな、と。つまりは足手まといになるから何もするな、という忠告だったのだろう。
癪に障るが実際のとこ、その通りなのだから仕方がない。
「いいさ、休ませてもらうよ」
耳を澄ますと、外から聞こえるのは、何とも野太い悲鳴。
「まぁ、そりゃそう、だよ、な」
少し冷静に考えれば分かる事だ。
俺がいたのはあの髭面連中の、正確にはオランウータン野郎のアジトだ。
少なくとも数十人からの厳つい連中がいたはずだ。
そんな中で、俺がこうして拘束を解かれるなんて状態になる条件はこうだ。
″誰かがこの場所に襲撃をかけた″。それも外から聞こえる音から察するに大勢の連中に大混乱を招くだけの誰か。
「…………」
さらに耳を澄ます。
聞こえるのは野太い悲鳴と怒号、これは多分オランウータン野郎の声に違いない。
そして俺はどうしても外の様子が知りたくなってしまった。だから、折角に忠告を差し置いて俺は何とか外の状況を知りたくて、重い身体を動かす。
「あ、ぐぐくうっっ……」
駄目だ声が出ちまう。
地面を這うように動いて、壁によりかかる。
まるで芋虫にでもなった気分だった。
全身が痛む、全然動けない。何でこんなにも痛い? 大体ゲームだってのにこんなリアル過ぎる痛覚があるとかおかしいだろ。せいぜい振動とかでそういう処理済ませろよ。くそっ、とんでもないクソゲーだぜこれはよ。
痛みに悶えながらも、それでも耳だけは澄ますのは状況判断の為だ。何せこの状況が本当にいい意味なのかどうかも分からない。さっきの小柄な奴は敵ではなさそうだったが、だからって信用するにはあまりにも判断材料が少な過ぎだから、な。
ギギギギィィィィ、
くそっ、オンボロ小屋め。慎重に静かにドアを開くはずだってのに思いっきり軋みやがる。
ステルス系の潜入アクションゲームなら絶対敵に発見されるレベルの音を出しやがるぜ。
「ま、それどころ……じゃないか」
ゆっくりと外に出て壁に寄りかかると、状況は鮮明になった。
髭面連中は、文字通りにバタバタと倒れている。
人数はひぃふぅみぃ、おいおい倒れているだけで二〇人近くいる。俺が見たのは総勢の半分位だった訳か。ったくここから単独で逃げようとか思ってたが冗談じゃないぜ。まず無理だったな、こりゃ。
で、残った髭面連中の中をさっきの美少年が駆け巡っている。
「────あ」
その、何て言えばいいんだろう。
それは戦っている、という印象を感じさせないモノだった。
厳つい武器を構えた悪党の包囲する中を、
ソイツはまるで物ともせずに、あろう事か破顔一笑、にっこりと笑いながら縦横無尽に翻弄していやがる。
「破っっっ」
気合いに満ちたかけ声と共に。
肩口めがけて上段から振るわれた剣を躱しながら繰り出すのは、回転しながら相手の鳩尾への左肘。躊躇のない一撃は自分よりも頭二つは大きな男を一撃で倒す。
「唖ッッッ」
今度は反対側にいた敵へ素早く身を屈めると膝を蹴りつける。
「うがっ」と呻きながら態勢を崩された相手のその下がった顎先へ、今度は突き上げるような右肘が直撃。ありゃトンカチで殴打したのと変わらないだろう。
実際、やられた相手は口から泡を吹きながらバタンと前のめりに倒れ伏す。脳震とうを起こしたに違いない。
「何やってやがる数で勝ってるんだぞ。さっさとぶち殺せ野郎共ッッッ」
オランウータン野郎が口から泡を飛ばしながら怒鳴っている。まぁ、当然だろうな。
如何にも、な荒くれ集団がたった一人の、それも小柄な相手に好き放題されてるのだから。
だが、正直言って髭面連中にあの美少年に抗する術があるとは思えない。
何せ段違い過ぎる。
あの小柄さから察するに俊敏さが優れてるのはまぁ、妥当だろう。だがアイツが凄いのは、その単純な速さを上手く利用してそのまま攻撃に活かしている事だ。如何に体重が軽かろうとも、躊躇の全くない速度のついた肘での殴打の威力はトンカチなどの鈍器と何の遜色もない。そんなのが目にも留まらぬ速度で正確に顎先や鳩尾、肋骨などに叩き込まれるのだから喰らう側はたまったモノじゃないだろう。
「…………」
思わず無言で魅入ってしまった。
さっきから何人もの髭面が倒されてるのを目の当たりにしてて理解したけど、実戦経験も全然違うんだと思う。あんなの一体何時間ゲームをやり込んだらなれるのか全く見当も付かないぜ。チートじゃないのかありゃ。
「ク、クソッッッ」
オランウータン野郎が顔を真っ青に染めながら後退りしていた。
数を頼みに繰り出した手下連中がもう一〇人を切ったのだからそれも当然だ。
「テメェら絶対に食い止めろ」
そう叫ぶや否や、オランウータン野郎は逃げ出す。
「え、アニキ」「冗談でしょ」「あの野郎」
頭目が一目散に逃げちまったらダメだろう。
これじゃ残った手下達は唖然とした様子と共に混乱状態に陥るのももっともだ。
そしてアイツは、そんなの見逃さない。
「よそ見すんなぁっっっ」
完全に戦意喪失した髭面連中へ問答無用の攻撃が叩き込まれていく。
何だか髭面連中が可哀想にすら思える。
全く同情するよ、ほんと。
そんな事を思った時だった。
ザシャ、という足音。すぐ近くだ。
何だ、おい。嫌な予感と共に振り返る。
「ガキィィィ、いいとこに居やがるじゃないかよ」
オランウータンだ。あの野郎、逃げるんじゃないのかよ。何でここに居やがる。ヤ、バイ。コイツはマズい。
「丁度いい、テメェを盾にさせてもらうぜ」
「う、ぐうっ」
その丸太みたいな手が伸ばされる。抗す術を持たない俺は、そのままガシッと掴まれる。
そこに、あの美少年が姿を見せるや否や、慌てて俺を自分の前に差し出して人間の盾の完成ってワケだ。
「オイテメェ、動くな。コイツをブチ殺すぞッ」
「…………ち、」
ハッキリとした舌打ちを鳴らしながらも、美少年は足を止める。
俺は何て間抜けだ。アイツは大人しくしてな、と言ったんだ。それは邪魔だからすっこんでろ、という意味のはずだ。それはこういった事態を警戒していたからじゃないのかよ。それなのに、くそっ。
「よ、よし。それでいい、絶対に動くなよ」
オランウータンはようやく自分の優位を確保出来たのに気を良くしたのか、さっきまでの青ざめた顔色が一変、不気味なにやけ面を浮かべている。
「テメェ誰に雇われた?」
「…………」
「無言かよ、まぁいい。誰が雇ったかは想像が付く。大方、北の村の奴らだろうよ。まぁ、今度タップリとお返ししてやるさ」
オランウータンは、ニヤニヤと実に嫌な笑顔を見せつつ、少しずつ距離を取ろうとする。
赤髪の美少年が、じり、と前に出ようとすれば盾にしてる俺の喉元にナイフを突き付けて牽制。ゆっくりと後ずさっていく。
この野郎、どうやらこのまま夜の森へと逃げ込むつもりらしい。確かにいくらあの美少年が強かろうが、深い森の中に入り込まれれば土地勘がないから捜索するのは困難に陥るだろう。その隙に逃げようって事かよ。
「くはは、がははは。そうだ、絶対に動くなよなぁ」
オランウータンに盾にされたまま、俺はゆっくりと森へと入っていく。
「う、あ……」
ヤバイ、傷が熱を発しているらしい。
あれ……おかしい、な。何で熱を発している、とかそんなの分かるんだよ? だってコイツはゲームだってのにさ。
「ち、死にかけてやがるな。まぁいい──どうせもうテメェには用なんざないんだからよ」
え、コイツ今何て言った?
だがその事に思い至る時間はもうなかった。
理由は簡単で、オランウータンが俺を力任せにぶん投げたから。
「ぐ、がっっ」
痛烈な衝撃で肺から息が抜けていく。
完全に無抵抗状態の俺はそのまま地面に背中を強かに打ち付ける他ない。
「い、っテェェェェ」
声すらまともに出ない。どうやらすぐそばにある木の根に俺の身体は落ちたらしい。手触りから相当に堅いのが分かり、ぞっとした。もしも頭から落ちていたらどうなっていた? 全身が震えちまう。想像するだに恐ろしい。
そう、まただ。また俺は恐い、と思っていた。
いくら精巧に造り込まれてるからって所詮はゲームだぞ、これはよ。
だからここで死んだから、って別に何の問題もないはずだ。そうだよ、そのはずだ。
(なのに、何でこんなにも恐ろしいんだ?)
分からない、いや、何かが違う。でも何なんだ。
ガササッッ。
誰かが来た。
俺の意識が、その物音で切り替わる。
「あのガキ来やがったな。いいぜ早くこっちに来いよ」
オランウータンの声はさっきまでとは違い、何故か自信に満ち溢れている。おかしい? 何故逃げようとしないんだよコイツは?
そしてその自信の理由はすぐに分かる。
「──え?」
思わず俺は自分の目を疑った。
それは信じられない光景だった。
そして俺はこの世界についての単純なルールを知る事になる……文字通りにこの身体で理解するのだ。