1ヶ月後
ある日。雲一つない青々とした空の下。
微かに風が前よりも冷たく、いや涼しくなったような感じがする。
ついぞさっきまで昼寝でも洒落込みたいなぁ、とか思っていたんだけど。そうは問屋がおろさないらしい。現実ってのは過酷なものさ。だってさ、目の前で起きてるのは──。
「ネジッ」
「おう」
レンの声で俺は走り出す。その先にいるのは犬の頭を持った獣人、亜人の方がしっくりするだろうか。ともかくコボルトだ。
「ウギィィ」
犬っぽくない声。まぁ犬、っていうよりは狼みたいなんだけど、その口から出たのは呻き声。理由は簡単で俺の手にしたナイフが腹部を貫いたから。苦痛からだろう、コボルトの顔が歪んでいる。だけど、まだだ。
「────っっっ」
柄を両手で押さえるとナイフを刺し込みながら一気に上へ切り上げる。ズブゾブ、という肉を裂く感触。何回体験しても慣れそうにない嫌な感触。ともかくも俺は敵の心臓をも切り裂いた。
「クギィイイイイ」
コボルトは、そう断末魔の叫びをあげるやダラリと力なく寄りかかる。俺はナイフを引き抜くと次の相手へ視線を向ける。
そう。今俺達は戦闘中だった。
あのゴブリン軍団との戦いからおよそ一カ月が経過した。
気付けば、何度もこうしてツンフトの依頼でフリージア国内のモンスター退治を行っている。
「ネジ、大丈夫か?」
「ああ、平気だ。そっちは……まぁ大丈夫だよな」
一見美少年に見える、実の所は美少女の赤髪のレンとの息も最近は合ってきた。
ついさっきまでレンがいた場所だが、ざっと二十体のコボルトが倒れ伏している。うん、まぁそうだよな。こいつ強いもん。
か細い華奢な体格とは違い、レンはガチガチの近接戦闘タイプだ。尋常じゃないスピードで突貫して、さらに痛烈な打撃で敵の群れなどお構いなし。戦士、というよりは戦車みたいな奴だ。ともかくも一対一でこいつに勝てる奴なんているんだろうか? いや、冗談抜きでさ。
視線をよそへ向ける。
「きえぇいいいいいいいい」
独特の猿声を発しながら敵を蹴散らすのはキリセ。大柄のどう見てもヨーロッパ系の彼が振るうのは大剣ならぬ大太刀。つまりは日本刀だ。キリセは何だかんだで俺達の仲間になった。
とにかくあいつもかなりデタラメだ。
あの大太刀はあいつ自身とそう変わらない長さだ。つまりは相応の重量がある。俺もこの前持たせてもらったが、あんなもん構えるのも難しい。いわゆるクレイモアに比べたら軽いんじゃないか、とかいう考えはもう木っ端微塵に消え失せた。
そんな重量武器をあいつは棒っきれみたく軽々と振り回す。
ちなみにレンはそんな重量武器を振り回せたのだが、
「うん、これはオレは使えないよ」
と言うと苦笑した。しばらくしてリーベが話していたのだが、
「あれはキリセはんにしか扱えんですえ。そういったモンどすからなぁ」
何でもあの大太刀は一種の呪具にも似た特殊な武器らしい。使い手を選ぶ類の武器だそう。そう言えばキリセもあの刀は代々伝わっているモノだと言っていた。
「次じゃあ、こんかおんしら──!」
キリセは笑顔を浮かべながら周囲にいる敵の群れを一喝。いやぁ、あいつもレン程じゃないけど戦闘狂の気があるな。うん間違いなく。
コボルトの群れも恐れを為したのか、キリセに近付こうとはしない。それどころか戦意を完全に喪失したんだろう、逃げ出し始める。
「待たんか」
キリセの叫びも虚しく、敵は我先にと逃げの一手だ。うん、確かにその選択は正しい。正しいと思うのだけど、生憎とそれは悪手だぜ。だって、お前らの逃げる先にはな──。
「ギャニッッ」
突如、先頭を切っていたコボルトが倒れる。倒れる、というより後ろへ転がる、という表現が正しいかな。
「ぬぎゃ」「ぎいぃ」「アビャ」
それを皮切りとして、先頭集団を構成していたであろう複数のコボルト達が続々と転がっていくのを目の当たりとしたコボルト達はその足を止める。ああ、そうなるわな。でもそれも悪手だぜ。何せ、止まっちまえばあいつから見れば眠っていても当てられるんだから。
「バカめ。狙ってくれ、とでも言うのか」
耳を澄ませばシュンとした風を切る音。
そして次の瞬間には数体のコボルトが倒れる。原因はそれぞれに突き刺さっている矢。
ここからおよそ五百メートルは離れてる樹木の上、そこから矢をつがえる金髪エルフのロビンの仕業だ。
「うわあ、えげつないな」
思わず口をついたのはそんな言葉。
遅ればせながらコボルト達に追い付いたものの、そこで展開されるは凄惨極まる有り様。
逃げ出そうにも矢をいかけられ、かと言って足を止めればキリセが振るう大太刀のなぎ払い。
「じゃあ行くぜっっ」
その上ここにレンまで突っ込んでいったんだから、哀れなコボルト達に同情したい位だ。
まるで無双系のゲームみたいな光景が繰り広げられ、ものの数分もしない内に、俺達は依頼を達成した。
「ありがとうございます。おかげさまで村の収穫は上々です」
村長から労いの言葉と一緒に渡されたのは、カゴ一杯に入った、ついぞ今し方採れたばかりの野菜の詰め合わせ。
今回の依頼は収穫の妨げになるコボルト達の群れの撃退。
まぁ、撃退どころかほぼ全滅させてしまったんだけど。
これって大丈夫なのか、その生態系的にさ?
だから、ロビンに聞いてみた訳だが。
「馬鹿か? コボルトにせよゴブリンにせよ、あいつらはすぐに数を増やす。それに転がっている連中だが、あれは全部成体。子供はいない」
「じゃあ、全滅って訳じゃないんだな?」
「ああ。迷惑な話だが、下手に全滅されれば他の魔物や亜人が入り込む。だからよほどの事がなければ全滅させるという事態にはならない」
との事。何を当然の事を聞いてる? 馬鹿か? と哀れむような視線を隠しもしないのが腹立つぜ。
まぁ、何て言うか少しだけホッとした。どうにも全滅とかだと、……後味悪いからな。
「おお、これは立派なイモだぜよ」
「じゃあ、今夜は焼き芋だな」
「そうじゃな。分かっとるなレンは」
「あったり前だぜ」
うん。で、気付けばキリセとレンは今夜の野営で焼き芋する気満々だ。何とも脳天気な奴らだよ、本当に。
しかしやっぱりキリセの加入は大きいな。今じゃフリージアツンフト内でも俺達はトップクラスの扱いだ。元々、レンとロビン二人だけでもそういう扱いだったそうだが、俺はともかく、キリセっていう前線で戦う奴がもう一人入った事で、レンにかかる負担は軽減した。俺? ほら俺はさ、頭脳派だからさ。戦うよ、戦うけどさ。あいつらとは一緒くたにはしないでもらいたい。
パッカパッカ、とした足取りで馬車は街道を進む。
相変わらず路面はガタガタ。だけど、治安は良くなってるそうだ。
フリージア国王である、アラシは良くやってると思う。
何だかんだであいつが国を守ろうとしてる、ってのはよく分かる。
確かにこの国はまだまだ歪だ。国、とはいっても実際の所、大きな街なんて国の名前でもあるあの洞窟都市に人口の半数以上が住んでいて、周辺の農村などを加えれば国の七割もの人口がこの一帯に集中している。
だから、国とは言っても実の所、規模を鑑みれば大国とは言い難い。向こう側の世界で例えるなら、そうだな。都市国家みたいなものだろう。
そういった事情からか、フリージアから離れるとその支配権はかなり減退するらしい。
だから、時折ゴブリンだの今日のコボルト達などの群れが繁殖し、田畑を荒らすのだそう。
おかげでツンフトには、そうした被害に対する依頼が多く集まるらしく、俺達の日々の稼ぎにも繋がる訳だけど。
「しかし、今日も数が多かったなぁ」
「ん、確かにいつもよりずっと群れの規模が大きかったな」
「だが、そりゃ何でじゃ? 一斉に大繁殖でもしたのかのう」
「…………」
三人の言葉を受けて、俺は考える。
三人共に共通してるのが、襲ってくる群れが大きい、という点。どうにも気になる。確証も何もない、単なる俺の勘。ひょっとしたら、何か大きい出来事の前触れなんじゃないのか。
気のせいかも知れない。あのゴブリン軍団との戦い以降、暗躍する死神の姿は確認出来ていない。本当にとんでもなく低い確率で大繁殖した、って事も有り得る。
そんな考え込む俺の様子に気付いたのか、レンが話しかけてくる。
「どしたネジ?」
「いや、気のせいだと思う」
「ふーん。そっか」
「ああ、気にするな」
俺はそんな返事しか出来ない。とにかく、情報が足りない。ツンフトに戻ったら、リーベに聞いてみよう。そう結論を出したからだろうか、眠気が襲ってくる。
「う、少し寝る。何かあれば起こしてくれ」
「オッケー」
レンの奴にそれだけ言うと、俺は目蓋を閉じて仮眠する事にした。
この時、俺は何も分かっちゃいなかった。
もっとも気付けるはずもない。フリージアに迫る影を。襲いかかろうと迫る悪意を。
それは俺が考えているよりもずっとずっと深く、暗い闇の底からの来訪なのだから。