ネジとレン
「…………ふぅ」
話は終わった。
正確には話している、のではなく俺の脳に直接情報を流し込んだ、というのが正しい表現らしい。
「今夜はもうお疲れでっしゃろ? ゆっくり寝て下さいまし」
リーベもこれ以上の話をするつもりはないらしい。まぁ俺も何ていうかいっぱいいっぱいで余裕なんか全くない。
「ああ、そうするよ。お休み」
素直に従って部屋を後にする。バタン、とドアが閉まる寸前。
「────どうもありがとなぁ」
背中へそんな声がかけられた。
俺はただ黙って、その場から出て行く。返す言葉なんか浮かばない。そもそもどんな言葉をかければいいのか分からなかった。
ただ頭の中で色々な事柄がぐるぐると周り巡っていた。
「よ、大丈夫か?」
「!」
声を受けて振り返るとそこにはレンの奴がいた。
確か先に部屋に戻ったはずだってのに。
「もしかして……ずっとそこにいたのか?」
俺の問いかけにレンの奴は「ん、ああ」と言葉を返す。
「休んでろ、って言われたろ。どうして?」
「だって気になったから……そのオレの……」
「お母さんの事か?」
レンの奴は首を縦に振る。
「その、さ。オレ、母さんがどんな人だったのか知らなくてさ…………」
おずおずとじた物言いはまるで別人みたいに弱々しい。でも考えてみればレンの気持ちは当然なのだと分かる。
レンは母親を知らない。生まれてすぐに亡くした。確かにリーベが最期を看取ったのだが、あの出来事をそのまま伝えるのを躊躇ったのだとしてもおかしくはない。
「だからさ、その、オレ聞きたいんだ」
「お母さんの事を?」
「うん。その、…………ダメかな」
「────」
正直どうしたらいいのかは分からない。多分、知らない方がいいのかも知れない。
でもこのまま隠しておいてもダメな気がする。このままレンが何も知らないまま、っていうのはあまりにも残酷だと思うから。
「分かった。でも話は長くなるぞ」
「──!」
レンの目が見開く。教えてくれる、とは思っていなかったみたいだ。
「ほら、教えろ」
「え?」
「二人で話せる場所だよ。お前ならいい場所だって知ってるだろ?」
「──あ、ああ」
目の前の少女の顔に笑顔が戻る。ああ、そうだよ。お前には笑顔がよく似合う。しょぼくれた顔なんかするな。
「で、どうなんだ?」
「うん。じゃあこっちだ」
レンは嬉しそうな顔で俺を案内し始める。
これから話すのは多分つらい話なのだろうに。
ああ、分かったよ。そんなに笑うなって。何にせよ今の俺に出来る事なんてのはこれ位しかないんだ。
上手く話せるかどうかは正直分からない。あの記憶だって全部理解した訳じゃない。だけど、やれるだけやってみるさ。
「ここならどうだ?」
「ああ、いいじゃないか」
レンが案内したのは建物の屋上。へぇ、結構見晴らしがいい。それに洞窟内だってのに、何ていうか開放感がある。
レンは据え付けられたベンチに腰掛ける。俺もそれに続き隣へ。
「じゃあさ、話してくれよ」
「…………」
「どうした?」
「いや。何でもない」
いやいやいやいや。何でもなくない何でもなくないから。
今更ながらに気付いたけど、俺、今こいつと二人きりなんだよね。表情こそいつものポーカーフェイス(多分)だが心臓はバックンバックン鳴りっぱなしだから。
レンの奴、無自覚なのか?
お前、いつもよりも可愛いんだよ。くっそ。
いつもみたく男装してりゃそこまで思わない。
だけど今、俺の真横にいるのは間違いなく赤い髪をした美少女だ。
いいか。俺だって男の子だよ。そりゃ向こう側じゃコミュ障気味で、いわゆる草食系男子だったけども、さ。俺にだって狼の部分はあるのだよ。だってこれでも健全な男の子だからね。
いかんいかん。落ち着け、落ち着け。俺の中の狼。まだお前の目覚める時ではない。
「…………どしたの?」
レンの奴が俺の様子を訝しんだのか、のぞき込んでくる。
うっわあああああああ。やめろやめれおやめになっておくんなまし。これ以上、内なる狼の目覚めを促進させないでよ。
「だ、だいじょびゅ」
うん。噛んだ。思いっきり噛んだよ俺。恥ずかしいわぁ。ほんともう嫌になるわ。こんなはずじゃないだろ。真面目で、深刻な話をするんだろ?
「ぷ、あっはっはっは」
「へ?」
突然レンは笑い出したので、俺は面食らう。
「だいじょびゅって何だよ、何だよキンチョーしてんのかよ」
それはそれは大笑いなさいました。何ていうかここまでの俺の中の緊張感全部まとめてぶっ飛ばされる位に豪快に。
「うっせ。俺だってな緊張する事はあるわ」
「はっはっは。いつもじゃないの?」
「うっせぇよ。お前のせいだからな」
「ん?」
「何でもないよ」
ったく、何だかんだと煩悩に悩まされたのが馬鹿みたいに思えるな本当に。ため息出そうだわ。
「落ち着いた?」
「?」
レンは笑いながら俺に問いかける。それで理解した。こいつは俺の緊張感を見越していたんだって。
ああ。何だよチクショウめ。気遣うつもりが気遣われたのは俺かよみっともない。
「ああ、おかげさんでな」
「へっへ、なら良かった」
ヘラッと笑う赤髪の少女。ああ、全く困るぜ。
そんなに明るい顔をしてるってのに。俺はその顔を歪ませる話をしなきゃならないなんてさ。
だけど話すって決めたのは他でもない俺自身。このまま何も知らないってのは残酷に思える。
決してリーベを批判する気はない。話せなくても不思議じゃない。
ひょっとするとリーベは怒るかもな。何せずっと隠してきた事を俺は明らかにしてしまうんだから。
このまま黙ってちゃ何も進展しない。
「あのさ。お前の母親なんだけどな…………」
「ネジはん。おおきにな。あんさんならあの子に教えてくれるって思うてましたわ」