焔の巫女その2
そん人はウチが来る事を知ってはりました。
赤い、まるで燃える火のような髪。凛とした、でも何処か儚げな面持ちをした美しい人。
同性のウチから見ても惚れ惚れしてしまうような不思議な雰囲気を持っとりましたわぁ。
でもそんな見た目とは違って、命の方は風前の灯火。そうとしか言えない位に衰弱してはりました。
「あんさん、なごうありまへんな」
ウチは単刀直入にそう問いかけました。
そん人の顔には死相が浮かんではりましたから。
理由も分かります。木の幹に背中を預けてはいましたけんど、とくとくと血がとめどなく流れてるんが分かります。
「はい。私はもうすぐにでも死ぬでしょう」
そん人はそれを驚く程に淡々とした言葉で返しました。
「あんさん、何でウチの事を?」
「それは【お告げ】があったから」
「お告げ? 予知なんて出来るのは…………」
未来予知、というのは魔法では出来まへん。
魔法っていうのはこの世の中で起きる、または起こり得る事象をその場で発現させるモノ。
予知、っていうのはこの先に起きる事を予め知る、という事象。それはもう魔法の範疇やのうて、奇跡に近い異能の中の異能どす。
そしてそれが出来るモノは、ウチの知る限り特定の神様に認められた”巫女”だけ。
巫女なんてウチが生きてきた中で聞いた事もない。
吸血鬼のウチが種族特性で血液を自在に使えたり、エルフみたいな恩寵を受けるのとは違う、まるで別次元の存在なんどす。
「お告げ、があったとしてじゃああんさん何でこんな場所で死にかけとるんどすかぇ?」
神様に認められたお人がこんな状況になってるんはおかしい。
おとぎ話で聞いた中では巫女は神様の代弁者、崇められる存在なんどす。
「くわしい、話は出来ません。もう、長くないですから」
「…………」
「言えるのは、あなたがここに来る事はわかっていたのと……」
視線の先には眠っている小さな赤子。
こん人のお子でしょうかえ。
「あの子を守ってくれるあなたの存在です」
「ウチがあの子を?」
何を言いはりますんや。ウチは吸血鬼。血を啜るモノ。人間の、それもまだ生まれて間もない子供なんて近くにおったら、いつ間違いを起こすか分かったもんやありまへん。
「悪いけどウチにはでけへんよ」
ウチは当然のように断りました。
そん子を誰かに預ける分には構いまへん。ですけど面倒までは見れまへん。
これで諦める。そう思ってくれるように強めに言いましたんや。諦めて──。
「いいえ──それは無理です」
「……え?」
ピチャ、と何かがウチの頬にかかりました。
生温かい、独特の匂い。殆どの種族にはその臭いは生理的に受け付けないでしょうけど、ウチみたいなモンにとってその匂いはこの世のどんな果実よりも瑞々しく、どんな美酒よりも芳醇で、どんな料理よりもご馳走足り得るモノ。
ウチは視線をあん人へ戻しました。
戻したらアカン、きっと取り返しのつかん事になるっていうんは分かってました。
でもアカンかった。ウチは傷だらけで、魔力がなくなりそうで、何よりもお腹がすいてた。
眼に飛び込んだのは、首筋から滴り落ちるそのほとばしり。
ツツ、と流れる赤い筋。
あん人の手には小さな小さな尖った石。それでそこを切ったのは明々白々。
「──────あ」
もう我慢が利きまへん。ウチはその赤いモノに完全に魅入られ、飛びかかりました。
無我夢中でした。
こんな経験は生まれて初めて。
そう、初めてよそ様の血を啜った時よりもずっとずっと──。
突き抜けるんは背徳感。
ダメだってわかってるんに。我慢出来へん自分への。
今にも死にそうやった、その人の残された最後の命を絞り尽くしている事への罪悪感。
そして──唐突に頭の中に様々な場面が入り込んでいく。
「く、あ、ぐぃぃぅぅぅ」
無理矢理にねじ込まれていく様々な出来事。頭がおかしくなりそう。
これはブラッドリーディング? 何でこんな? ウチはそんなの使うてないんに。
他人の記憶を見るつもりはないんに。止まらない。
「あ、ああっっ」
耐えられへん、そう思ったウチは牙を抜き離れようとしたんやけど、それは叶わない。
あん人が、ぐぐ、とウチを抱き寄せたから。
「だめ、よ」
「──!」
信じられへんような強さでウチは動けなくなりました。首筋に食い込んだ牙が血を流させ吸われてるはずなんに。文字通り命を吸われ、体力なんかないに等しいはずなんに。
「い、いの。これは私がのぞんだから──」
あん人は耳元でそう囁き、笑いましたん。
ウチはその顔を多分、一生忘れられへんでしょうなぁ。
今から死ぬ、そのはずなんに。何でそんなに素敵な笑顔なんやって。
あんなん見てもうたら、ウチはもう────。
「…………」
どん位時間が経ったんかは分かりまへん。
ウチはもう動かなくなったあん人を土に埋めて埋葬しました。それ位しか出来る事はなかった。あん人が逝ってからしばらく、ウチは頭ん中に入った様々な事柄が何なのか考えました。
それは無数にあった風景画みたいなもん。それを時系列やら何やら考えて、並べ直して、理解したんはついぞさっき。
「あんさん、ひどい人やわ」
こん人がどんな人生を送りはったんかウチには分かってもうた。
酷い、言葉にするのも躊躇われる位に酷い人生やった。
でも、探せばいくらでもこん位酷い目に遭ってる人はそこら中で見つかるでしょう。
なんに、どうしてこんお人はこんなに凛としていられたんやろうか?
ウチには分かりまへん。
酷い目に遭うたんなら、その遭わせた相手を恨めばいいんに。
せっかく、ここまで逃げてきたいうんに。子供とろくすっぽ過ごす事すらでけへんかったんに。世界に怒りを抱いてもいいはずや。その権利はあるはずや。
なんに、どうしてこんお人はあんな安らかな顔を浮かべて逝きはったんやろうか?
ただ分かるんは、あんお人がまだ幼いあの赤ちゃんを大事に思ってるはって、それをウチに任せる事に対する申し訳ない、っていう陳謝の念。
あとは何であんお人がここにいたのか、も分かりましたん。
彼女らは狙われました。彼女、いいえ、正確にはそこでスヤスヤ寝息をたててる幼子を彼等は狙ってた。理由はその子が内包しているある火の神様の力。
そこで眠っている子供こそ来訪者にしてこの世界へ送られた巫女なんやから。生まれるその前から力を持った存在
。ただし、内包しているのは特典やのうて異能。
彼等が誰かは分かりまへん。真っ黒な闇のようなモノ、としかウチには分からんかった。
ただウチに分かるんはその子を守らなあかん、っていう事だけ。
あんお人の血を飲んだから、情にほだされたんかも知れへんし、罪滅ぼしなんかも知れまへん。或いは両方かも…………。
「ここから離れなあきまへん、けど──」
ウチを狙ってた魔物達が迫ってくるのが分かります。
回復した今、逃げるのはそう難しくはない。でもあんな化けモンをほったらかしには出来まへん。
「──」
視線をその子に向けると、何も知るはずのない赤ちゃんは寝息を立てながら微笑みを浮かべてました。
「ちぃとだけ待っててな。あんさんはウチが守るからなレン。安心しぃや」
血で作った小さな小さな結界にレンを入れると、ウチは怪物達を迎え撃つ。
でも、ホンマズルいお人ですわぁ。
”煉をお願い”
最期の瞬間、あん人がウチに伝えてきた心からの言葉。
そないに大事な、手放したくなかった、分かってても、手放したいはずない。
もう……充分に伝わりましたわぁ。
だから守ります。
レンが自分で何もかもを知るまで。いんや、その後も。許されるんなら。
「ほな、──行きますかぇ」
そう。これがウチがレンと出会った始まりの日どす。