焔の巫女その1
煉、という名の赤ちゃん。煉。つまりはそういう事──か。
それでここから一体────。
「うぐうううっっっっ」
ズキン、とした痛みを覚える俺の視界は元に戻る。
「大丈夫か?」
煉の奴は心配そうに俺をのぞき込んでいる。何ていうか…………そんな顔もするんだな、って思ってると互いの目が交錯。とっさに顔を背ける。
やっば。今のはヤバかった。
ああ、くそ。
俺は大人だぞ。二十過ぎてるんだぞ。女の子の顔を見る位、全然平気……じゃねぇ。
そうだよ俺は引き籠もりだよ。インドアの極みだよ。基本的に二次元ばっかだったわ。
だから正直、こんな赤い髪の美少女に近寄られちゃ色々と緊張するのは至極当然、うん。そうだ。当然だよな。俺は大人、大人だ。それらしさを醸す為にもっと堂々とした対応をしなければ──。
「ああ、平気」
オイオイオイオイ。何だよ。素っ気なさすぎだろ俺。何が大人だよ。これじゃラノベの主人公のあたふたを見ながらこいつ馬鹿だなー、何て言えやしねぇぞ。
だが仕方ないじゃないか。免疫ないんだし、俺免疫ないんだし。
そしてそんな俺の有り様を、
「あんらあんら。随分楽しそうどすなぁ」
忘れてました。ここそう言えばあなたのお部屋でしたわ。
おかっぱ頭の童女吸血鬼、いや吸血童女? 何でもいいや。このツンフトの主たるリーベが心底から楽しそうにからから笑っていやがりました。
「それで何処まで見ましたかぇ?」
差し出された緑茶を口にした俺におかっぱ童女吸血鬼は話を切り出した。
レンの奴はリーベの薦めに従い、一足先に部屋を後にした。
正直、まだ少し頭痛がする。さっきの記憶、或いは記録はそれだけの負荷だったんだろう。
緑茶の苦味に気持ちが安らぐ。
リーベもこちらの体調を留意しているのか、性急さはない。
俺はしばらくずず、と緑茶を嗜んで気分を落ち着かせ、
「ああ、見た、っていうよりは見せられたって感じだけど……」
自分が見たモノを説明出来る限りで口にした。
◆
「──以上だ」
俺は自分の見たモノを説明した。所々曖昧な言葉だったかも、とは思うけどそこは勘弁して欲しい。
「…………」
リーベは何か思案しているのか、目を閉じている。
寝ている訳じゃないのは時折緑茶を口にしているから分かる。
ここで聞くべきではないのかも知れない。
でも俺には気になる事がある。
「ところでレンの母親はどうしたんだ?」
そう。俺が見たのは生まれたばかりのレンを抱えた母親がフリージアへ向かう所まで。
レンがこうしてここにいるから願いは叶ったんだろう。
だけど、少なくとも今、その母親はいない。
詳しい話は聞けなかったが、それはあいつが王家の養女になっている事からも明らかだろう。
それをレンに聞くのは流石に気に引けるし、だからって今は王様になったあいつに聞くのは立場的にも難しい。
だけどリーベは違う。
手段はどうあれ、こうしてレンの母親について教えてくれた。
レンが何を背負ってるのか、その全てはまだ分からない。謎だらけだ。
でもリーベがさっきの事を仕組んだのは俺に教えたいからだろう。
リーベは沈黙を守る。
何か言いたいのを抑えてるようにも見える。
俺はただ待つだけ。
時間がどの位経過したのかは分からない。何分にも何十分にも感じられた。
「……そうどすなぁ。煉のお母さんはもうこの世にはおりません」
「………………」
重々しい空気の中、予想された回答が出た。
分かっていた。そうだろう、って思ってはいた。
だけどそれを実際に耳にするとやはり何とも言えない苦さを感じる。
「そうか」
そうとしか言えない。
だってこれ以上聞いてもどうしようもない。
「ネジはん。あんさんには話しときます」
「?」
「レンのお母さんがどうして亡くなったのかです」
「え、?」
気付けばリーベは俺の手首に噛みついていた。
これはブラッドリーディング? どうして?
そう思った所でもう手遅れ。
俺の意識は途切れていき、遠退いていく。
◆◆◆
「ハァ、ハァ──」
傷が痛み、思わず脇腹を押さえる。ポタポタ、と水滴みたいに血が滴って止まらない。
ウチみたいなモノにとって傷なんてモノが付く事自体滅多にない。
何でってウチは多少の傷なんかはすぐに塞がるんやから。
でもこれは違う。
単なる傷やない。
思い当たるのは多分、呪いの一種。
傷が癒えない呪い。
油断した、訳ではあらへんけど、心の何処かに隙があったんかも知れまへん。
それは特に困難でもない依頼やった。
フリージア郊外に最近見た事のない魔物が出る、という事でツンフトからウチに入った依頼やった。何でもその魔物は複数いて、農作物を食い荒らすらしくて近隣の農業に影響が出てるそう。最初は他のお人に依頼がいったそうやけど空振り。
どうもなかなかに警戒心が強い魔物らしい。一向に倒されない魔物、拡大する農作物への被害。これ以上はツンフトの信頼低下に繋がる、って思うて、そんでウチにお鉢が回ってきた。
結果として討伐は成功したんやけど、罠が待ってた。
そこにいたんは魔物だけやのうて、それを使役する人間も一緒やった。
つまりは魔物がなかなか討伐されへんかったんは、使役する人間の命令で動いていたから。
そしてウチはそこで待ち伏せを受けた。
思えば疑うべきやった。
何でツンフトはウチ一人に依頼を回したんかを。数が複数いて討伐が厄介やったからって、追跡を得手にしてる人材なら他にもおったはず。実力ではウチが一番やったからって、何で一人に任せたんかって。
何の事はない。
ツンフトの支部長自体がウチをここで殺す為に待ち受けてたんやから。
「う、あっっ」
血が止まらない。
厄介なんは血が出ていく事じゃなくて、魔力が損なわれていく事。
吸血鬼にとって血液いうんは文字通り命そのもの。自分自身の魔力そのもの。
単に喉が渇いたとか、お腹がすいたのとは違う。このまま魔力を失えば死ぬ。
待ち伏せてたんは支部長、それから魔物遣いに討伐対象だった魔物が四匹。
見た事のない魔物やった。犬の身体の鷲かなにかの翼。そんで尻尾は無数の蛇っていう気色悪い魔物やった。
多分、誰かが作った魔物なんやろう。聞いた事はありましてん。魔物を作れる能力をもったお人がおるってなぁ。
「ふううう」
あの場にいた全員をウチは返り討ちにした。支部長の正体は噂に聞いた死神やった。強敵ではあったけどもウチには及ばなかった。だけど最後の最後に油断してもうた。
支部長は目の前で自爆した。そしてその際、ウチは傷を負った。
それは小さな短剣。でも見ただけで分かる。呪いがかけられてる、って。
「あかんなぁ」
その結果が今の状態。
すぐに死んだりはせんけども、このままじゃどんどん衰弱していく。
それに戦いは終わってなかった。魔物は他にもいた。それも十数匹。
ウチは魔物に追われてた。逃げようにも血が止まらんから匂いでバレる。人の多い場所なんてもっての外やろうし。
「これはいよいよマズいなぁ」
ヘタヘタと木の幹に背中を預けて一休み。
魔物はウチを見失うなんてヘマはせんみたいや。一定の距離で付いてきとる。
魔物遣いはもうおらん。なのにこんなになってるって事はあの魔物自体知恵が回るっていう事。
「踏ん張れば半分はイケますわなぁ」
でもそこまで。残った半分は弱り切ったウチを喰い殺すに違いない。
されどもうこのままじわじわと死ぬのは嫌や。なら、────とそう思った時です。
「────」
声が聞こえましてん。少し遠いけども間違いなくそれは赤子の泣き声。
何でこんな森の深い場所に? そんな疑問より先に足が動いてました。
何故って、声と一緒に漂う匂い。ウチが今、欲しくて欲しくて仕方がないモノの匂いに本能が刺激されました。
そうしてウチは彼女たちに会いました。
「──来ましたね。お待ちしてました、リーベさん」
燃えるような赤い髪をした彼女に。そして傍らにいる小さな小さなその子に。