赤い髪の巫女──その2
「ぅ、うっっっっ」
何とも言えない不愉快な感覚。気を緩めれば即座に胃の中の全てをこの場でぶちまけてしまうようなナニカが蠢くような嫌な感覚だ。
例えるならば、腹の中に手を突っ込まれてかき回される、っていうのが近いのかも知れない。そんな経験はあるはずもないのだけど。
「我慢してくだはれ、最初の記憶を繋げる部分だけ凌げば問題はないはずですからなぁ」
リーベの声が聞こえる。
そう、これはあのおかっぱ頭の童女吸血鬼さんのブラッドリーディングとかいう能力によってもたらされた状態。
「ネジ、ムリすんなよ」
レンの声が聞こえる。
心配そうな声しやがって、お前らしくもない。いつもの強気で傍若無人なお前は何処いったよ?
「し、んぱいすん、な」
精一杯の声は、むしろ逆効果だったかも知れない。
まぁ今更だけど。
ああ、真っ暗だ。
だけど目を閉じている訳ではない。
目は見開かれてる。ただ、視界がないだけ。
多分、神経とかの接続が変わってる状態、テレビの出力入力端子が抜けている、或いは緩んだ状態みたいなものか。
そうこうしてる内に、視界の色は真っ暗から血のような赤に、そして白く輝き────意識は遠くへ飛んでいく。
◆◆◆
「…………」
目の前に広がるのは燃え盛る炎。
見渡す限り、全てが火に包まれ、灰になっていく様。
そんな光景を私はただ見ています。
私にはかつて家族がいました。
とは言っても、私の事を忌み子だと嫌い、そして何よりも現実を見ない彼らとは縁を切って一人で当て所もなく各地をさまよい歩いただけなのですが。
そんな私でも何とか生きていけたのは、それぞれの土地で出会った人々のおかげ。
この島国の人々は基本的に善良でした。
家族はこの島国の人々を野蛮で品性の欠片もない蛮族、蛮人だと嫌っていましたがそんなのは勝手な解釈でしかありませんでした。
「おお若い人、こんな辺鄙な場所で一人とは心配だ。せめて夜が明けるまで我らの村に来るといい」
「腹が減ったのかね。ならこれを食べなされ」
「うん変わった髪の色だ。それはきっと何か神様から与えられたモノに違いない」
彼らは異邦人である私を厭わず、それどころか助けてくれました。
だから、でしょうか。
私はいつしか彼らの中で、一緒に生活したいと思うようになってしました。
そこは小さな小さな農業によって生活を営む人たちの暮らす農村でした。
お世辞にも生活は楽とは言えず、毎日毎日田畑を耕す毎日。
朝は日が昇ってすぐに出かけて、日が沈めば早々に寝入るだけの毎日。
あの人たちからすれば決して送りたくはないであろう毎日。
でも私はそんな暮らしが嫌いではありませんでした。
毎日毎日身体はクタクタで、手足は泥だらけ。化粧なんてするような事もなく、ただ日々を生きる。
たったこれだけ。
これだけの事がたまらなく楽しかったのです。
村の人たちはこの赤い髪を厭わず、親しくしてくれます。
聞けばこの村の成り立ちはあちこちから様々な事情で故郷を追われた人たちが開拓して始まったのだそうで、その中には罪人もいたのだそう。だから私みたいな見た目の女にも彼らは分け隔てなく接してくれる、呪われた子供じゃなく、一人の人間として受け入れてくれたのでしょう。
何年もの日々が流れる内に私には好いた人も出来て、彼もまた私を好ましく思ってくれる。
こんな私でも将来、生涯を共に過ごせる大事な人が出来た事に心底から幸せを味わえた。それはそれは素晴らしい日々でした。あの日が来るまで。
どういったキッカケでこのような事態になったかは分かりません。
ただ目の前にあるのは打ち壊された村。手当たり次第に殺された皆の骸。田畑は荒らされ、農作物は奪われ、そして生き残ったのは僅かな女子供だけ。
将来の夫になるはずだった彼は今や首のない肉の塊です。
「──」
それはまさしく獣の所業。
若い、まだ男を知らない少女を獣のような鼻息で襲撃者は襲っていきます。
聞くに堪えない悲鳴、嗚咽。それを聞きながら満足していく獣の群れ。
子供達は奴婢として売られ、女は獣の慰み物として毎日を過ごす。
ですが私にだけは何も起きなかった。
獣の群れは私にだけは一切手を出す事をせずただニヤニヤと笑うだけ。
本当に嫌な笑顔でした。よく見覚えのある笑顔でした。
理由が分かったのはそれから程なくしての事。
「ようやく見つけたぞ」
最悪でした。私の大事な場所を奪ったのは私の父母を始めとした一族。
彼らは私が離れて程なくして、とある豪族との間に縁を築いたのだそう。
そうして豪族の息子に献上する為、私を探し出し、村を滅ぼしたのです。
「全く手間を取らせよって」
父は宝玉を襲撃者に手渡します。
「あなたを向こうが所望なの。育てた恩に報いなさい」
母の言い分はまるで自分が育てた、とでも言いたげです。
襲撃者達の正体は所謂山賊。周辺地域で様々な乱暴狼藉を働く悪人の群れ。
(ごめんなさい。私のせいで……)
私が外に出ようと思わなければこんな事にはならなかったかも知れません。
少なくとも村の皆が殺され、慰み物にされる事などなかったでしょう。
私は心から憎みました。
こんな事を平然とした様子で行う山賊に。そして自分達の利益の為なら他者を平然と踏み潰す一族郎党を。
(滅びればいい。こんな人達がいるから皆が────)
そしてその願いは程なくして呆気なく叶いました。
「話が…………ち、が」
父は言葉を言い終える前に喉元へ刃を受け絶命しました。
一族郎党の悉くは斬られ、裂かれ、そして捕縛され、今まさに滅びようとしています。
地面へ伏す父の目には光はもう有りません。
ただどくどく、ととめどなく血を流し続けるのみ。
そしてそれを指示したのは、この近隣にて勢力を張る豪族の嫡男。
つまるところは私を引き渡そうとして接触した当の本人だったのです。
その若君は血のこびりついた剣を父の纏っていた服で拭き取ると、
「諸君は大陸からのお尋ね者だと聞く。そのような厄介者の頼みなど聞くとでも思うたか?
だが心配するな。諸君らはここで跡形もなく燃え尽きる。今、これよりな」
怯える郎党を前にして、ゆっくりとした動作で剣を腰に備えた鞘に納めます。
そうして「放て、」という合図の言葉と共に一族を押し込んだ小屋に一斉に火矢を放ちました。あっという間に火の勢いは増していき、中を灼き始めます。
「さて、瞬きすら惜しんで観ておくがいい。主の家族の末路をな」
若君はそこから何もかもが燃え尽きるまでその光景を私に見せ続けました。
心は痛みませんでした。彼らとて同じように村の皆を殺させたのです。因果応報、己のやった事のつけが回って来ただけなのですから。
「では参ろうか。巫女よ」
若君は私をそう呼びます。一体何の話をしているのでしょうか?
「巫女とは何なのです?」
「細かい話はどうでも良かろう。大事なのはお主のその髪の色よ。聞きしに勝る、まさしく見事な赤よ。その鮮やかな色こそが重要なのだ。お主にしか出来ぬ役回りがある。国を救う為に手を貸すがいい。もっとも断らせはせんがな」
「御随意に」
「クック。素直なのはよき事よな。どうやら薬が効いたようだ」
若君は下卑た笑みを浮かべて笑う。
分かっていませんよ。私にとって彼らはとっくに縁を切った人達なのです。
どうやら彼は物事の表面しか見ていないようです。
父や母が目の前でどのように無惨な最期を迎えようと、私の心は全く動じなかったというのに。
むしろ感謝すら覚えていたかも知れません。
「さて参ろうか。先も申したがこれよりそこもとは巫女だ。神をなだめ鎮める為に役立ってもらう」
我欲にまみれの5嫌な目だと思いました。
何を考えているかは知りませんが、それがろくでもない事なのは流石に分かります。
若君は方々で少女を集めているらしく、日が経つにつれその人数は増えていきます。
最初こそそれなりの扱いではありましたが、人数が増えれば問題も大きくなるもの。
水や食料は不足していき、若君、そしてそれに付き従う者達は自分を優先し、私達は疲弊の度合いを強めていきます。
「ふん。所詮は物事の道理も知らぬ下卑な者共よな」
大きな声で私は目を覚まします。ああ。また、ですか。
どうやらまた惨事が起きたみたいです。
誰が何をどうしたかのかは知りませんし知りたくもありません。
ただ起きた事実だけを説明するのであれば、若君が癇癪を起こして誰かを殺した。それだけの事です。
「くははは、死ね死ね死ねっっっ」
絶叫にも似た歓喜の声が轟きます。
あの若君は簡単に人を殺します。まるで子供が嬉々として蟻を踏み潰しでもするかのように。
理由など何でも構わないのでしょう。彼にとって殺す、という行為は日課のようなモノ。食事でもするかのように誰かを容易く殺すのです。
「いいぞ。精々逃げ回ればよい。その方が楽しめるというものだからな」
今宵はこの小さな集落の住人が餌食となるのでしょう。
哀れな話です。
一晩の宿を貸しただけだというのに。しかもここの住人の何人かとは面識もあったとの事ですのに。
「そうよ。女子供は捕らえよ。もののついでというヤツだ。神への供物としてやろう。
喜べ卑小な者共。貴様らはこの我の功績の為の尊い犠牲となるのだ」
本当に自分勝手な理由です。
しかし誰も彼を止めようとはしません。お付きの者共もまた制止するどころか殺戮に興じているのですから。
野蛮、いいえ。残酷極まりない獣よりも凶暴な人の群れ。
私はあまりにも無力です。
◆
翌日、血にまみれた集落を後とした若君の一行は目的地である山の麓に至りました。
「…………」
そこにあったのは石で象られた鳥居。
そして一体どのような技法で作られたのか推測すら出来ない、巨石を積み上げた祠がありました。
恐らくはここは何らかの神様への信仰の場所、聖地なのでしょう。
「おお、いたな」
若君が歓喜の声をあげています。
そう、ここに彼がいました。
『────』
その姿はまるで七色の虹のように無数の色。
ゆらゆら、時に激しく猛り狂う。
「さぁ、その力を貸してもらうぞ神よ」
そこにいたのは人の形をした焔でした。