赤い髪の巫女──その1
「さてネジはん。これから言う──いんや見る話は他言無用でお願い出来ますかえ?」
やけに神妙な顔でリーベは訊ねてきた。
いや、違う。訊ねたのではなく、これは了承を求めている。
俺に覚悟を決めろ、という事だろうか? でも一体何の話で?
分からない。
ただ分かるのはレンの奴の表情には不安の色が見て取れるのと、こうして俺が予期せぬ時間に目覚めたのはこの話を聞く為なのじゃないか、って何故か思ってしまったって事。
だからなのだろうか。
「わかった。約束する」
俺は柄にもなくそんな返事を返していた。
「ならあちきの手を取っておくれやす。それで事は足りますからねぇ」
童女の手が差し出され、俺はその手を掴む。
すると何を思ったか、リーベは俺を引き寄せるとその手首に噛みつく。
「いつっ」
「──ブラッドリーディング」
視界が変わる。これは────。
◆
それはそれはある世界の話ですえ。
まだ国が一つにまとまりきってない水と木々の豊かな島国でのお話どす。
ある一族が海を越えた大陸から渡ってきましたんや。
やんごとなき事情で名跡は向こうで捨ててきたそうで、あるのはそれぞれの名前とあとは自分達の身体一つだけ。
元々はそれなりの力を持った一族だったのが嘘みたいに何もかもを失って、逃げ出して来たんだそうですえ。
一族の長老は島国の豪族の元へ庇護を願い出たんやけど、にべもなく断られたそうどす。
まぁ、無理もあらはりまへん。大陸を治める大国の影響力は海を挟んだ島国にも及んでいましたんや。それにその豪族がよりにもよって大国の支援を得て島国を支配しようと画策しとりましてな。逃げ出して来た一族をこそ捕らえたりはしまへんでしたけど、助ける事は出来ない、と追い出されましたんや。
一族は見知らぬ土地をさまよい歩いて、何処からも助けてはもらえまへんでした。
あの一族を下手に庇い立てでもしてしまえば大国から目を付けられるのは勘弁。それが理由で何処に行っても彼らには安住の土地にはならなかったんどす。
そうした生活を続けていく内に一族はその人数を減らしていきました。
まずは最高齢の長老が病を得て没し、それを皮切りに誰が残された一族を纏めるのかで言い争いとなり、争う始末。
そんな同じ一族、同じ血を引く身内同士が殺し合い、足を引っ張り合う様を一人の少女が見ていましてなぁ、赤い髪をしたまだ年端もいかない少女はそんな一族の姿に嫌気が差して、気が付けば一人旅をするようになりましたんや。
さてさて、前置きはこんくらいにして…………話を始めます。
◆
「あ、それはおいらの取ったリンゴ」
「うるせえ、お前みてぇなガキに食わせるもんなんかねえ。さっさと失せろ!」
それはとある山中にある小さな小さな集落。
人里からはずっと離れ、狩りを生業とする人々がひっそりと住まう場所。
だが今、この集落は危機に陥っていた。
原因は獲物である動物達の減少。近年の天候不良の影響で小動物が減り、それらを糧とする動物が冬を越せない結果だった。
食うものがなくなれば当然ながら狩りで生計を立てている彼らにとっては致命的な事態となる。
無論彼らとて何の対処もしなかった訳ではない。
獲物が減っている、と察知した狩人達は少ない獲物を塩漬けにし、燻製にして少しでも長く保たせる努力をし、さらには今までよりも遠くの山々へ足を運びもした。
だがそれでも彼らは窮地に立たされた。
理由は大人にリンゴを奪われた子供の視線の先に映っている禿げ山。
周囲の山々と比べても明らかに木々の彩りがない山。
そう、追い打ちとなったのが先だって起きた山火事である。
その火事は三日三晩続いた。
狩人達は必死に消化しようと試みたが火の勢いは一向に収まらず、このままでは自分達の集落のある山にまで延焼しかねない。そして彼らは木々を切り倒した。その結果があの山の有り様である。
第三者から見ればたかが山一つ、とも云えるのかも知れない。
しかし彼らにとってその山は神の住まう神聖な場所であり、信仰の対象。
自分達を守る為とは言えその山が燃えるのを止められず、あまつさえ木々を切り倒した事実が後になって問題化。
「馬鹿やろう、食い物は分担しろといったろうが!」
「るせぇ。俺はここ一番の狩人だ。これまでどれだけの獲物を仕留めてきたと思う? 散々貢献したんだから食い物も多くよこせ」
「ふざけんな。今じゃ何も獲物を穫ってきもしない奴が。今じゃお前こそ穀潰しなんだよ」
「てめぇ言わせておけば!!!」
住人達の対立は深刻だった。
それまで互いを支え合い、困った時には手を差し伸べて生き抜いてきたはずの彼らの団結には亀裂が生じ、今や残り僅かな備蓄を巡って殺し合いにまで発展しかねない状況にまで追い込まれていた。
「おおい大変だ。大変だぞおおお」
そんな一瞬即発な状況の彼らの元へ来訪者があった。
「今日はここで休ませてもらうとする」
居丈高な物言いでそう声を出したのは馬にまたがった一人の若者。
その年の頃は二十台の半ばから後半、といった所だろうか。
「誰ぞ何か儂に食い物を持って来るがよいぞ」
その若者はさも当然とばかりに住人達へそう要求する。
それから数分の後、
「うむ、何とも嫌な臭いじゃのう」
若者は鼻をつまみつつ顔を背ける。
彼の前に出されたのは集落にとっては貴重極まる干し肉。
だがそれを、
「こんなものを食せというか無礼者め」
皿に載せた肉を払いのけた。
「く、」
それを目にした住人達だが、こみ上げる怒りをこらえる他ない。
何故ここまでされて反発すら出来ないのかと言えば、それはあの若者の正体はこの一帯を治めるとある豪族の嫡男だからである。
もしも彼の怒りを買えばこんな集落は皆殺しの憂き目にすらあいかねない。
だからこそ、耐えた。
残り少ない貴重な肉を払いのけられても。
「これだから山猿共は困るのぅ、皆の者よ。わはははは」
その高笑いに追従するように笑い声が辺りに響く。
若君が引き連れているのはいずれも腕の立つ護衛の為の武人達。
武器こそ様々なれど、刀や弓、そしてこの時代には珍しい穂先が鋭く尖った長柄武器、つまりは槍を持った者もいて、人数こそ少なくともこの集落の住人達は自分達に勝ち目がないのは理解している。
「まぁ良い。元よりお前らのような下賤の者からの施しなどは受けるつもりもない。
ただ今宵の宿代わりに立ち寄っただけの事よ。あれな山へ至る前のな」
若君がそう言うと立ち上がって指差したのは、あの神聖な山。
「何でもあの山は神の住まう場所と聞く。今、我が領内は酷い有り様でなぁ。それこそここの比ではない程の飢えの為に多くの民草が野垂れ死んでおる。
そこで父上は一計を講じた。神に奉納するのだと、な。神に捧げる儀式を執り行うのだ。
【巫女】を使って、な」
住人達は一向の中に幾人ものうら若き女性達がいた事を思い出す。
しかし気になる点があった。巫女、と言うにはその女性達は……。
「ですが神様への奉納をするにしては……」
「汚れている、か? 確かに。だが問題はない。むしろ丁度いい」
「?」
若君の笑みからは含みのようなものを感じたのだが、集落の長老はついぞ何も聞く事は叶わなかった。本能的に理解したからである。疑問を抱いてはならぬ、訊ねてはならぬ、のだと。
◆
簡単に言えば私が今ここにいるのはそれが定めだから、……なのでしょうか?
私には何もありません。
帰るべき国も家も家族も。
いいえ、一つだけあります。それはこの身体。
私は一人であちこちをさまよい歩きました。だってそうする他にやるべき事はなかったから。
あてどもない毎日。いつ如何なる時に命を失うかも知れない日々。
ああ、これでも家族はいました。
だから天涯孤独ではないんですよ。
ただ家族とは何なのでしょうか? それが私にはとんと分かりません。
私が聞き及ぶ限り家族とは互いを大事に思うものだと言います。
親は子供を慈しみ、育てていくものだと聞きます。
ですが私の家族はそうではなかったようです。
私の家族はここより遠い、海というものを越えた先からこの地へと至ったのだそう。
何でも元々は裕福で力を持った名門だったのだそうですが、仕えていた国の統治者に疎まれ当主が死罪を被りました。当主の奥方、子息子女に至るまで連座して死罪。何でも相当に惨たらしい最期であったそうです。
そしてその類が一族全体にまで及ぶであろうと判断した長老の決定で一族全員で海を渡る事を決意。
様々な苦難を経て海を渡ったのだそうです。
そう、私の家族とは一族全て。数百人にも及ぶ大きな家族なのです。
私には国の記憶、思い出というモノが一切ありません。
生まれたのは何処の国でもない海上なのだから。
だから、でしょうか?
私は他の家族とは明らかに違うモノだと目されるのは。
一族には不思議な力を持った人が代々輩出されてきて、その力を持った人が忠義を尽くす事こそがかの国で一族が繁栄出来た理由なのだそうです。
ちなみに私には何の力もありません。ただの人でしかないのです。
その上で私は皆とは決定的に異なっていたのが問題だったのです。
それは風が吹くその都度に舞う赤いモノ。
この赤い髪、これが私が一族、自分の家族から忌み嫌われた原因。
”これは呪いじゃ。一族への呪詛がこうして顕現したものに違いない”
長老はそんな事を言っておりました。
”何でお前だけ違うんだ? 一体本当の父親は誰だ?”
父はそうなじっては母に暴力を振るいました。
”あなたのせいよ。こんなにも酷い目に遭うのはあなたみたいな娘が生まれたからよ。
いいからあっちへ行って”
母は行き場のない怒りと恨みつらみを私を罵倒する事で解消しました。
誰もかれもが私を冷たい目で睨みます。
長じるにつれ私はそんな皆の視線の意味を理解しました。
”お前なんかいなければいいのに”
だから私は彼らから離れました。
別に恨んではいません。彼らはそうやって私を憎む事でようやく精神の均衡を保っていた。
そうでもしなければ彼らは心折れ、とうに死に絶えていたに違いないでしょう。
ですがだからといって彼らと一緒にいる訳にもいきません。彼らの心には日々悪いモノが溜まっていくのです。鬱屈とした黒い感情を積み重ね、やがては私を殺す事が目に浮かぶからです。
それに私はどうしても見て聞いて感じてみたかったのです。
色々なモノを。
水の流れを、風の音を、草花の匂いを、そして…………人を。
だから私は一人彼らから離れました。
多分、遠からず一族は滅びる事でしょう。
理由は簡単です。
一族は向こうでの暮らしが忘れられないから、です。
彼らは向こうでの暮らしを懐かしむあまりに現実が見えてません。ここはもう昔暮らしていた国とは違う土地、なのにです。
文化や風習もまるで違う場所にいるのに、馴染もうとはせずこの地に住まう人々を勝手に未開の蛮族だと思って見下し、それで援助だけは要求するのです。
何て都合のいい話でしょう。
彼らは昔が忘れられない。ただ過去の栄華に囚われているのです。もうここはかつて生きていた国とは違う場所であるのに。
ええ、私は自分の家族を見捨てた薄情な女です。
だからでしょうか。今このような状況に至るのは。
目の前には焔。それが私のこの身を包み込もうとしているのは。