思わぬ助っ人
「ハァ、ハァ、」
息は切れ切れになっている。
その全身は極度の緊張感からだろうか、汗でびっしょりになっているらしく不愉快極まりない。
シュン、という風を切る音がし、顔を逸らす。するとほんの一瞬の差で頬のすぐ横を矢がかすめていく。
「ふうっ」
同時に引き絞った弦から矢を放つ。狙いは寸分違わずに相手の喉笛を射抜き、相手は木から落ちるのが見えた。
「っさあああ」
すると今度は物陰からダガーを握り締めた男が飛び出す。その突きの狙いは腹部だろう。
だが僕には問題ない。相手からすれば不意を突けた、とでも思っているのかも知れないが、こちらにはそこに潜んでいたのはお見通しだ。振り向き様に弓で相手の手首を叩く。バシン、としなりを持った弓はさしずめ簡易的な鞭のような物。相手は「ぎゃ」と声を出し、手にしていたダガーを落とす。その隙に僕は右手を腰に回して鞘からナイフを取り出すと横へ凪ぐ。相手はポカンとした表情のまま喉を切り裂かれそのまま、どうっ、と倒れ込む。
これでかれこれ十人は倒したはずだ。
だが相手はまだこの倍以上はいる。
一対一でならそうそう遅れはとらないつもりだが、コイツらは野伏せりの類らしく、なかなかに手強い。一応足音はこの耳で聞こえはするが、それもよくよく意識を傾けないと聞こえないレベル。少しでも気を抜こう物なら即、自分が死ぬ事になるだろう。
(だが、危なかった)
そう、僕は危うく死ぬ所だった。
ついぞさっき。死神の手に依って。
◆
(数分前)
四本のダガーが向かって来る。完全に意識の外から放たれた必殺の投擲を前にして、ロビンは自分の死を悟る。
(くそ、何て無様な────)
だがただでは死なない。だからこそ彼は矢をつがえ、放とうと試みる。時間に換算すればほんの一秒と少し。普通であれば到底矢を放てるような時間的猶予など存在しない僅かな一瞬。
だが彼にとってはそれで充分だった。
まさしく神速のような手さばきで鏃をつがえ、放つ。
これまでで最速の一矢。そしてダガーはもう眼前にまで迫っている。
(死に瀕して至高の一矢とはな、我ながら笑える)
死が迫る中で、ロビンは驚く程に冷静で心穏やかだった。
◆
エルフ族は幼少より弓に長ずる者が多い。
それは彼らにとってそれが生きる為に一番必要な技術であるから。
そして彼らが生まれながらに他種よりも優れた”聴覚”を持ち、風の加護を受けられる”先天的素養”を持っている。誰かが言っていた。この世界で最も髪に愛された種族、それがエルフなのだと。
そしてロビンはそのエルフ族が持ち得る様々な特徴を他者よりもより濃く、強く扱える。
だからこそ彼は幼少時より周囲から期待と羨望の目で見られ続けてきた。
誰もが彼に期待した。次の長老を彼に。
そういった期待が嫌だった。
エルフ族、である事自体には誇りを抱いていたが、もっと自由になりたかった。
気付けばロビンは里を飛び出していた。
あてなどあるはずもなく、ただあちこちを放浪する日々。
大陸を渡り、様々なモノを目にした。
各地にて善いモノも悪いモノもそれぞれ目にした。
そんな日々が何年も続いたある時だった。
突如として魔族が自分達以外の全種族に対して宣戦布告をした。
魔王は全世界へ同時に戦争をしかけ、世界は文字通り血の海の中に落ちていく。
当初ロビンは戦争に参加するつもりなどなく、ただ傍観を決め込んでいた。
エルフ族は他の妖精族よりも達観した部分があり、人間にせよ魔族にせよ別にどうなっても構わない、それが大多数の考えであり、ロビンもまたそう考えた。
戦争は激化し、多くの街や城が陥落。住人は容赦なく虐殺される。
妖精族の中でもドワーフ族は魔族と激しく戦い、そして王自らが戦線に出る事態になっている。
人間の大陸もまた、王国の中心だった”セントラル”は既に陥落。王とその一族の大半は処刑。
辛うじて生き残った人々と騎士は東西南北へ逃れ、各地に砦を構築。何とか持ちこたえていた。
ロビンがいた北部はそんな中でも最悪の状況であった。
ここにはそもそも大きな街はなく、この大陸でも未開の地。
しかも場所がマズく、魔族が大陸へ進軍するに際してこの地を通る。
つまりはここは死地だったのだ。
ここに来た住人や騎士は何も知らされないままに、敵の真っ只中へ放り込まれた。
日々、死んでいく人々を見ている中、ロビンは己の存在に疑念を抱くようになる。
(エルフ族は他種族の争いには関知しない、確かにそれは自分達にいらぬ犠牲を出す事もなく、一見すれば平穏に過ごす知恵なのかも知れない。実際、そうやって長老達は今日まで生きてきた。
だが────)
視線を巡らせればそこには砦とは名ばかりの廃墟といっても差し支えない小さな建物に、多くの天幕が所狭しと置かれている。
そして酷い悪臭を放つのは打ち棄てられた無数の遺骸。
住人の人数に対してあまりにも多くの死傷者が出るので、弔う事すら出来ない。
丘の上にある砦跡に、少し離れた洞窟。今やそれだけがここいらの全員なのだそう。
点在していた集落はその殆どが焼かれ、陥落した。
(だが──それでいいのか? 我らエルフが自分の身を守る事だけに徹している内に人々の犠牲は増す一方。このままでは世界が変容するのではないのだろうか?)
それが始まりだった。
自分という存在に、在り方に疑念を抱いたロビンは、この後エルフ族の中で最初に大戦に於いて人間に与する者となる。
◆
(どうやらヤキが回ったか。あんな三十年以上前の事を思い返すとは、な)
ダガーの刃先が迫る。もう躱すのは不可能。この後に及んでは目を閉じ、心静かに最期を迎えるだけ。そう思い、目蓋を閉じた。
「────あんれまぁ、随分とあっさり諦めよるんどすなぁ」
聞こえたのは馴染み深い声。
独特の言い回しは、かつてフライハイトに来たビジターから国の言葉を習ったとか何とか。
「は、どうやらまだ死ねないようだ」
耳を澄ませばドッ、という矢が相手に命中した音が聴こえる。
「あんさん、はよう目を覚ましなはれ」
冷めた声音に苦笑いしながら目を開くとそこにいたのは冒険者ツンフトフリージア支部の長。
着物に身を包む見た目十歳位の童女ことリーベ。
ダガーはその全てが目の前で止まっている。
これはリーベの魔法による結果。彼女が得意とするのは。
「【アイゼン】」
それは鉄を操る魔法。一種の属性魔法であり。一度唱えれば周囲のあらゆる金属を自在に引き寄せられる。魔法、という区分こそされているが誰もが担える類のモノではなく、正式には”固有魔法”なのだそう。特定の一族、個人にしか扱えないらしく一説には”特典”の名残とも云われる。
『貴様、何故ここに──』
「あんれまぁ、これはこれは怖い怖い死神はんどすかぁ」
予想だにしない人物の登場に驚いたのはロビンだけではなかった。骸骨の仮面で表情が窺えなくともその声、そして態度で分かる。肩には矢が突き刺さっており、ダガーの投擲は有効ではない。死神との異名を持つ暗殺者は己の不利を理解すると即座にその場から退く。
「助かった、礼を言わせてくれ」
「そんなんはええんどす。それよりも大勢いらはりますなぁ」
「ああ、何とかするさ」
「お任せしますなぁ」
「え?」
ロビンが驚く前に童女はスタスタとその場を離れていく。
リーパーと共に襲撃をかけてきた連中の何人かは堂々と無防備に背中を向ける相手へ矢を放つ。しかしそれは全くの無意味。
「あんれまぁ、無駄な事をしはりますなぁ」
そう、童女に矢は届かない。
それどころか、
「折角の歓迎、お返しせなあきまへんなぁ」
リーベはにっこりと微笑むと指を向こうへ指し示す。するとその鏃は向きを変え、そのまま射手へと襲いかかる。
「──!」「な、」「ばか、な」
まさかの一矢に射手は対応出来ない。その上矢の速度は彼らが発したものよりも早く、鋭い。
血飛沫を上げながら数人の相手が倒れる。
「はい、ウチはここまでどすな。あとはロビンはんよろしゅうにぃ」
リーベはそう告げると適当な樹木に背中を預け、休み出す。
そしてそれはサボった訳ではないのをロビンは知っている。
リーベがここに来たのは”空間転移魔法”を用いたから。
空間転移魔法は一瞬で別の場所へ移動する大魔法。
だが安易には使えない。
座標となる魔法陣が定められていれば問題はないのだが、そんなのは限られた大都市や城にしか用意されはしない。
ましてここは単なる辺境の集落。当然ながら座標などあるはずがない。
つまりは座標分の魔力、精神力を移動者は肩代わりしなければならない。表情こそいつ通りでこそあれどリーベは相当に消耗している。
「分かりました、休んでいてください」
そうしてしばらく後。
「ハァ、ハァ、ハァ────」
最後の一人を射抜き、ロビンは遂に膝を付く。
完全に限界だった。しばらくは休息しないと動く事も叶わない。
「お疲れ様どすなぁ」
リーベが差し出したのは回復用のポーションの入った瓶。
それを受け取ったロビンは瓶の蓋を開けると口に運ぶ。
「レモン、ですかこの味わいは?」
「ええ、そうどす。どうやら向こうも終わったみたいですしウチは帰ります」
「いいのですか、彼らに会わなくて」
「いいんどす。それにあちゃらさんを待たせるのも悪いですしなぁ」
言うや否や、リーベの後ろに扉が出現。童女は「そな、フリージアで」とそのまま姿を消す。そのあまりの慌ただしさにロビンは苦笑しながら、「助かりました」と感謝すると集落へ向けて歩き出すのだった。