ホブゴブリン
形勢は完全に変わった。
俺が射手を倒し、レンがゴブリン達を操っていたであろう何者かを倒したのが決め手になったらしく我に返ったゴブリン達は一気に統率を喪失、一目散に我先にと逃げ出した。
操っていたのが一体誰だったのか、目的は分からない。
ただ言えるのは本来なら未だに優位のはずのゴブリン達は完全に戦意を喪失したって事。
これで戦いそのものは俺達の勝利ではある。
だけどただ逃がしたりはしない。
連中は恐らくは単にいいように使われていただけなのだろうが、数百以上のゴブリン達がこの後になって周辺に住み着かないとも限らない。そうなっては厄介な事だって起こり得る。
だからここからは追撃戦だ。
先だって火を放った理由はゴブリン達を脅かすのに加えて、連中の逃げ道を制限する為だ。
集落を真っ直ぐに突っ切って逃げられないように油を撒いて火を付けたので出口まではうねうねと曲がらないといけない分手間がかかる。まぁ先に逃げ出した連中は仕方ないけど、今脱しようと試みる奴らは別だ。
「きええぇぇぇいいいいいい」
そこへキリセが独特のかけ声をあげながら大太刀を振る。その刃の餌食となるゴブリン達は文字通りの意味で一刀両断され、または吹き飛ばされていく。ちなみにあいつは火を突っ切って先回りしていた連中からすればまさに驚愕だろう。
しかしあの刀、一体どれだけの数を切った? 軽く考えてももうとっくに刃こぼれ位してもいいはずなんだが。
「破ッッッッ」
それからレン。お前はどんだけ動き回るんだ? さっき矢を食らってたし、それまで相当に消耗してたはずだってのに。
まるっきり無尽蔵の体力なんじゃ、って勘違いしてしまう位に赤い髪をした(偽)美少年は拳を叩き込み、飛び膝を喰らわせ、ゴブリン達を蹴散らしていく。
「あ~、絶対あんなのとは戦いたくはないな」
そんな呟きを漏らしつつ、俺もまたゴブリン達を倒していく。我ながらこうも適応しているのには驚くばかりだな。中でも一番驚いてるのは戦いながらこんな風に考え事なんかしてるって事か。
そうやって何体かを倒した所で、一体のゴブリンが進み出る。
「何だお前?」
「ガ、ウウウウ」
鋭く細められた目で俺を睨むそいつはこれまでの連中とは違った。体格も周囲の連中よりも二回り以上デカくて、それに一番の違いはその肌の色。周囲のゴブリン達が紫色の肌の中、という中でそいつは薄緑色。多分、これが話に聞いたゴブリンの上位個体である”ホブゴブリン”に違いない。
「ウ、ガア」
ホブゴブリンが声をあげるとゴブリン達はおずおずと距離を取り始める。やはりコイツは他の連中よりも立場が上らしい。
気付けば周囲には数十体のゴブリン達が集っており、ひょっとしたらこのボブゴブリンは連中の群れの仲間なのかもな。
ザ、ザ、と歩を進めてこちらへと近付くホブゴブリン。
よく見ればその剥き出しとなった上半身には無数の傷が刻み込まれており、それだけ見てもコイツが戦い慣れているのは明白。ゴブリンに限らず大部分の魔物は最初はその種族の一番最低辺の存在として生まれるのだそう。そこから何年も、時にはもっと長い年月を経て、一定以上の力を持った個体が進化するのだと。
無論例外的に生まれながらに上位個体として存在する場合も稀にあるのだそうだが、殆どの場合は底辺からのスタート。
つまり上位個体、とは周囲の下位個体からすれば尊敬と畏怖の対象であり、その命令は絶対なのだそう。そういった意味ではコイツはさながらこの群れのリーダーなのかも知れない。
「グ、ガハアアアア」
仕掛けてきたのは相手からだった。ドスドス、と地面を踏み鳴らしながらこちらへと向かってくる。
「うわっ、と」
荒い叫びをあげながらそいつは棍棒で殴りかかってくる。ちなみに棍棒の長さだけど丁度野球のバット位だろうか。もっともその無骨なゴツさ加減はバットなんかとは全然違う訳だけども。
ゴツンと音を立て軽々と家屋の壁を打ち砕いた様子を見る限り、重量もかなりのモノらしい。
流石にキリセ、と比べるのはやめよう。あれはキリセが多分バケモノじみているんだろうし。
「ウ、ガアアアアア」
ボブゴブリンは棍棒をなおも振り回す。俺は近くにいたゴブリンの後ろへ回り込み、盾にしてみるが無駄だった。薄緑色の肌をしたソイツは容赦なくゴブリンを殴打。哀れなゴブリンは、「ウ、ギュ」と消え入りそうな断末魔の声をあげて倒れる。その首はあらぬ方向へねじ曲がっていて、思わずゾッとする。
流石に強い。だけどこのまま逃げてばかりじゃ勝てない。正直言って自分自身が一番驚いてる。結構なピンチなはずなのに、何でこうも冷静に考えられるのだろうか?
コレは向こう側でやってたオンラインゲームじゃなくて、現実だってのに。
「コ、ロズウウウ」
どうも”殺す”と言ったのかホブゴブリンは苛立ち混じりに叫びながら向かってくる。
あの血走った目、あんなの見るのは初めてだ。なのにどうして怖くないんだろう。
あんな明々白々な殺意を向けられてるのに。俺は冷静に以前、読んだ護身術だか武術の本で見たシチュエーションを思い出していた。
(確か、こうだった──っけ)
まずは俺へと振るわれる一撃を後ろへステップバックして躱す。
ブウン、と風を切る棍棒には一切の躊躇も感じられずこんなのをまともに受けたら骨は砕けるだろうし、顔などはグチャグチャだろうな。
やはり他の連中とは強さが全然違う。少しでも気を抜けばあっという間に殺されてしまうだろう。
「ガアアッッッ」
ホブゴブリンが一度振り抜いた棍棒を引き戻そうとする。ここだ、このタイミングを待っていた。俺はすかさず前へと飛び込む。確か、こういう振り抜いた後の引き戻しってのは最初の一撃に比べると威力も速度も劣るって書いてあった。試すのは初めてだけど、正解らしい。オレが相手の懐に入り込むと目の前には無防備な相手の胸元がある。
「あ────」
俺はそのままナイフを目の前の相手の胸元へ刺し込む。
ズブ、と隆起した胸筋の丁度真ん中付近へ入った刃を一気に突き入れ───。
「ウ、ガアゴアアアオオオオオ」
ホブゴブリンは呻きながら、何とか足掻くがもう手遅れだ。俺の手は相手の胸部から滲む血で染まっていく。濃い緑色の血液は見慣れない色合いだからか不思議と罪悪感は覚えない。
俺は突き刺したナイフをそのまま捻るように動かしていき──。
「ウ、ガッッあ、ニンゲンめ────」
憎々しげな声、それがそいつの断末魔となった。
ナイフを引き抜くと緑色の血がまるで噴水のように噴き出して俺を染め上げる。
どの位の時間、そうしていたかは正直分からない。だけど血を流し尽くしたホブゴブリンの成れの果てはやがて力なくその場へ前のめりに倒れていく。
「グ、ガアアアアアアアアア」
すると残されたゴブリン達は悲鳴にも似た、いや、これは多分悲鳴なのだろう。叫び声をあげると今度こそ完全に恐慌状態へと陥って我先にと逃げ出していく。
「ハァ、はぁ──」
終わった、という実感を覚えたその瞬間、俺の中で何かがプツンと切れた。
全身に襲い来る倦怠感の大波。そして気付くと俺はその場へと倒れ込む。
「う、…………」
どうやら目も開けていられないらしい。襲い来る睡魔を前に意識もすぐに途切れそうな中、耳を澄ませてみる。
(ああ、大丈夫)
聞こえるのはキリセの奴の声、そして多分これはレン、だろうか。こっちに向かって来てる?
おい、馬鹿。俺なんかよりゴブリン達をもっとやっつけろよ、────な。
そんな事を思っている内に俺の意識は途切れるのだった。