城塞都市フリージアその2
「ういいいいいいいい」
満点の青空の下。
丘の上で爽やかな風を切り裂く、のは俺の情けない叫び声。
ただ今、乗馬の特訓中な訳だが、こいつがとんだ暴れ馬だったらしく、教えられた通りにしたってのに、この馬がいきなり走るのを中断、前足を掲げて止まろうとしたものだから、
「うげっっ」
勢いよく馬から投げ出された俺は地面に落ちた。
これで一体何度目の落馬だろうか?
もう数えるのも面倒臭くなってきた。
てな訳で乗馬の結果はご覧の通り、全然上手くいかない。上手くなるのは落馬から身を守る為の受け身ばかりだ。
「アッハッハ、そうそうその調子その調子」
レンの奴、本当に嬉しそうな声だな。
くっそ、何でこの馬。やたらめったら暴れるんだよ。
「ネジ、諦めたらそこで試合終了だよ。って、え~っとカントクとか何とかってエラい人がいってたんだってさ」
おい、何だよ今のセリフはさ。某バスケ漫画から拝借したのかよ。でもよく考えたら、俺以外にも″来訪者″ってのはいるらしいし、そういった奴の中にはマンガを見てた奴だっているだろうから、ソイツから聞いたのかも知れないな。
「ネジ、早くしないと日が暮れちゃうぞ」
ハイハイですね。とにもかくにも、今はまず。
「よっ、と」
目の前にいるこの馬に乗れるようにならなきゃ、だな。
◆◆◆
すっかり陽も暮れた丘の上。
夜空を見上げれば、満点の星空が広がっている。
今更ながら、やっぱりここの夜空は本当に綺麗だ。
まぁ、比較対象が中世世界風のフライハイトと二十一世紀世界の人口過密都市とじゃ当然っちゃ当然なのだけどな。
「アッハッハ。いやぁいやぁほんっと面白かったなぁ」
カラカラと高らかな笑い声は赤髪の美少年(偽)ことレンの奴だ。
くっそ、本当に愉快そうに笑いやがって。
ちら、と横目で金髪エルフの方へ振り向くと、
「「あ!」」
丁度互いの視線が交わる。
「プッ、──フフン」
で、今度は金髪エルフの奴が俺から目を逸らして笑い出す。くっそ。だがレンとは違い大声で笑わないだけまだ僅かばかりながらも、こちらへの配慮とかがあるのかも知れない。
「くっく、こっちを見るんじゃない。ぷ────」
うん。気のせいだ、そんな優しさなんかはない。はぁ、やれやれだな。
パッカパッカとした蹄の音。
結論から言えばそう、俺は馬に乗れた。
生まれて初めての乗馬。
ここで話を終わらせたら何ともスマートに聞こえるのだが、実際には悪戦苦闘の末、やっとこさだ。
要するに、だ。
散々乗るまでに四苦八苦し、やっとこさ乗ったらで全然このクソ馬、いやお馬様のヤロー、こっちの指示なんかこれっぽっちも聞かずにいきなり走り出し、動かず、およそ数時間もの時間を散々翻弄された末にようやく今はこうして軽く走る位は出来るようになったって訳だ。
「アッハッハ」
レンの奴は一体しつまで笑ってやがるんだよ。確かに我ながらみっともないとは思うけどもだぞ、いくら何でも笑い過ぎだろう。
少し腹が立って思わず後ろから睨んでいると、
「はっは──あ、そうだ」
赤髪の偽美少年は馬を止める。
やっば、もしかして俺がジト目で睨んでいたのがバレたのか? いやだから何だ? そもそもあっちがいつまでもだぞ………………。
「今日だけどさ、おかみさんの店に泊まるからな」
振り向いたレンの表情は何ていうか、その、十代の少女らしいかわいいものだった。
それからしばらく馬で薄暗い丘を下っていく。
うん、やっぱりここは俺がいた二十一世紀世界と全然違うんだな。
当たり前だけど、ここには電気なんてモノはない。だから、周囲を見回せども灯りなんてモノは殆ど見えない。辛うじて見えるものは微かな……か細い灯りが遠くに見える位だ。
「ふん、あれは監視塔に灯った灯りだ。もしも敵が来たら監視塔の兵士が──────」
金髪エルフはそんな事も知らんのか貴様は? と鼻で笑いやがった。はいはい悪かったよ悪かったな。
だけど、そうだよな。俺の知ってる世界じゃ監視カメラだとか衛星写真だとか、ドローンとかでやってる事をここじゃ人の目でやるしかないんだ。
ゆっくりと首を回して周囲を、今度は上じゃなくて下を見回す。
日中はまばらにでも分かった農村らしき集落は殆ど見えない。丘の上から下っている訳だが、見えるのはデッカい城壁ばかり。
レンの奴が言うような″街″らしきものなんか見えやしないのだが、本当にあるのかよそんな街はさ?
「ニシシ、ネジはオレの言葉を疑っていらっしゃるみたいですなぁ」
いつの間にかすぐ横に馬を付けていたレンが悪戯っぽく笑う。どうやらかなり訝しそうな顔をしていたらしい。
「だってな、全然街なんて見えやしないじゃないか?
確かにここがデッカい壁に囲まれた、堅固な守りの城だってのは分かったさ。だけどな、肝心要の街らしき光が全く見えないんだぞ?」
「ああ、そっかぁ、確かにこっからじゃ見えないよ。
でも心配いらないぜ。だってさぁ……」
ほら、と言いつつレンが急に馬の速度を上げた。
俺も慌ててそれに付いていく。
「う、おおおっっっ」
さっきまでのゆっくりとした歩みから打って変わっての走り。冗談みたいな速度でみるみる内に丘を下り、最初にあった城門が見える。
にしてもこれは一体どういう事なのだろう?
「な、さっきまでと全然違うぞっっ」
『ふん、ようやくその馬も貴様に慣れたらしいな』
ロビンの奴の声だ。例によって″声″を飛ばしてる。
「え? 慣れただ、っ?」
何言ってやがる。慣れたのは俺じゃないのかよ。
でも待て、妙だぞ。何でこんなに急に馬を手繰れるんだ?
『何を言ってる。馬が貴様を【覚えた】からこそ走れるようになった。当然だろそんなのは』
ロビンの声からはそんなの常識だろ? っていう響きが聴き取れる。
つまりは逆。俺が馬に乗るのに慣れたんじゃなくてこの馬が俺、という乗り手に慣れたからこそのこの走りって事なのか。うーーむ。どうにも分からんな。
「難しい顔しないでこっち見ろよな、もう着くからさ」
レンの声で我に返った俺が顔を上げるとそこにあったのは洞窟。そしてその入り口を覆うようにある門。その門なのだが、一見すると銀行にあるような金庫みたいにも思える。
ガチャ、と音を立てたのは門の傍にあった小屋のドアが開いた音らしく、革の鎧を纏った老人と中年オヤジの二人組。手には槍を持っている事からこの二人は門番らしい。
それで恰好とかから判断するに二人はどうやら城門にいたような兵士ではないらしい。
「よ、門番おつっかれ爺さん」
馬を降りたレンが気安そうに門番の一人である老人に話しかける。
「おおレンか。ようやっと帰って来たのだな。
お前さんなら符丁などいらん。今、門を開くから待ってな」
どうやらレンの奴と老人は顔見知りらしい。
もう一人の中年オヤジの門番に何やら話しかけると、そいつと爺様が門の左右にいくと首にかけていた鍵を穴に入れ、回す。
ガチャン。
思いの外に軽そうな音。
で、ギギギ、という重々しい音と共に門が開く。
「──さぁお前ら入れ」
そうして門が開いた途端、光が洩れ出した、いや溢れ出した。今の今まで薄暗かった世界が一転する。
「じゃ二人共行こうぜ」
そのレンの声に従い、俺とロビンは馬に乗ったまま後を付いていく。
門の奥はどんどん明るくなる。
まるで夜から朝になるかのように。
距離にして、そうだな百メートル程だろうか。
うねうねした通路を歩いていく。
その間に左右に幾人かの見張りか警備だかがいた。
それもやっぱり兵士じゃなくて、街の住人らしい。
そして、俺はそこに辿り着いた。
「うっわ、……すっげえな」
思わず口から出た偽らざる本心だ。
まるで別世界に見えた。
眩いばかりの光がこの薄暗い闇を切り裂いているように見える。そして何よりも目を引くのは、
「レン、ここがフリージアなのか?」
そのとんでもなく巨大な洞窟の天井だった。
「ニシシ、やっぱりびっくりしたなぁ」
横にいるレンの奴は悪戯っぽくいつもの笑顔を見せながら、
「ここがフリージア、北の街へようこそ」
って手を差し出した。
かくして俺はフライハイトに来てから初めての街、北のフリージアに到着したのだった。