ロビン──その2
「貴様、遂に気でも違えたか。自分が何を言ってるのか理解しているのか?」
「うるせぇよ。よーく分かってるぜ。それとも何か?
あんたは俺が怖いのか? それならそうと言ってくれればブン殴らずに済ませてもいいんだけどな」
「上等だ貴様、たかが人間風情が僕に勝てるなどよくも言えたものだ。吠え面かかせてやる」
金髪エルフは顔を真っ赤に染め上げ、怒り心頭らしい。思った通り、こいつはプライドが高くて、沸点が低いらしい。
にしても今の言い口。やっぱエルフってのは人間とかを見下してるんだな。ゲームとかファンタジー小説の設定も案外合ってるもんだ。
だけど、どうすべきか。
一発殴る、とは言ってはみたものの、体格の差は大きい。こっちが一七二センチ、あっちは多分一九〇センチはあるだろうから単純に二十センチは違う。
まともに殴り合ってたらまず最初に殴られるのは俺に決まってる。
不幸中の幸いは、やっぱりコイツのパンチがそれ程重くないって事位だ。
「うおっっ、ぶっっ」
とか何とか考えてるそばからこれだ。顔面めがけて踏み込みながらのストレート。何とか腕を上げて直撃は避けたけども、それでも衝撃は走るし、いてぇ。
「ふん、どうした? 威勢がいいのは口だけか人間」
腹立つぜ、あの金髪エルフ。思いっきりこちらを見下してやがる。
だが悔しいが返す言葉もない。今んとこ俺はロクな反撃も叶わずに一方的に殴打されてるのは事実なのだから。
「ぐっ」
前蹴りが腹部にめり込む。身体が前のめりになる。
「まだだぞ」
金髪エルフは崩れ落ちそうになった俺の胸ぐらを掴み上げるや否や膝を叩き込んできた。
「う、げっっっ」
「ふん、くだらん」
思わず口から吐瀉物を吐き出す。
あ、……何も食っていないはずなのに、こんなにも色々出ちまうんだな。
「己の身の程をわきまえるんだな。それから二度とレンと話すんじゃない」
見えなくても分かる。完全に見下しているのがありありと分かる。
ここでうずくまる俺の頭を踏みつけたりしない分だけ分別がある、とでも思えばいいのか。
「ふん、ここまでだな。出来れば出て行け、と言いたい所だが流石にそれは無理か。フリージアに辿り着いたら僕達の前から姿を消せ。いいな」
ロビンは立ち去ろうとしている。
そうだよ、俺は負けちまったんだ。
ああ、何だ。やっぱ人間変われないよな。そんな簡単に変われるんだったら人生苦労しないよな。
ちぇ、身体中、口の中にまで泥とか色々入ってるし、ゲロは吐いちまうし。
くっそ、みっともない。何でこんな目に合ってるんだ。何だよ、よくこんなんで戦おうとか思ったよな。みっともねぇ。
いってぇ。本当にいてぇ。
「はは、くそったれ」
この痛み、やっぱこれはゲームなんかじゃない。現実なんだって思い知らされる。
俺は、今までずっと色んな事から逃げて来た。
不良がいたら見つからないように目を背けた。
幼なじみがイジメで困っていても、巻き込まれたくない一心で関わろうとはしなかった。
街で暴れてる酔っ払いが誰かに絡んでいても、見て見ぬ振りをして立ち去った。
だってそうだろ?
厄介事なんか真っ平御免じゃないか。
人生ってのはもっとこう、何て言うか無難に、無理せず、効率良くやるもんだろ。
痛いのとか、しんどいのとか、そんなのは誰だって嫌に決まってる、そうだろ?
だってのに、どうしてなんだ?
「待てよ、金髪エルフ」
「な、に?」
何で俺は立ち上がってるんだろうか。
こんなにも痛くて、みっともない醜態を晒してるってのに。
「ま、だ終わっちゃいないぜ。お、れはまだやれる」
足に力が入らずに、ガクガク震えていやがる。まるで生まれたての小鹿みたいだ、笑えるよ。
「ふん、少しばかり手加減したのがいけなかったらしいな……では骨の一本二本折らせてもらうとしよう」
振り返った金髪エルフがこっちへ向かって来る。
ゆっくりとした足取りなのは、俺がもうボロボロでマトモに動けやしない事をお見通しだからだろう。つまりは余裕綽々、そういうことだ。
「来いよ、来いよ」
俺は精一杯の挑発を試みる。
勝ち目なんて殆どありゃしない。十中八九負けるに決まってる。でも、そうじゃない。勝つか負けるかじゃないんだ。
(顔を上げろ、相手を見ろ。俺はあいつに一発喰らわせるんだろ?)
ガクガク、と震える足を両手でバチン、と叩いて止める。金髪エルフは拳を握り締め、ストレートを放って来る。さっきよりもえげつない早さだ。マトモに喰らえばKO間違いなしなのはボクシングとかに詳しくない俺でも理解出来る。
ああ、ヤバい。フラついた。くっそ、やっぱりダメなのか?
『怖いか?』
誰かの声が聞こえる。
あったり前だろ、俺は今までマトモに殴り合いなんてやった事ないんだぞ。
『何が怖いのだ?』
何が、だと? そんなの決まってる。暴力なんて真っ平御免だ。痛いのも嫌だし、痛い思いをさせるのも嫌なんだよ。
『なら何もするな』
は? 何言ってやがる。
『簡単だ、そのまま倒れればいい。今まで通りにすればいい』
おい、何だよお前は?
『お前は自分がどうしてここにいるのか分かるか?』
はぁ? 知るはずないだろそんなのはさ。
『それはそうだ。お前は何も成していないのだから。何一つ成し得ぬ者は何も知る事すらも出来得ぬ』
うるせえ、何だよお前。さっきからえっらそうに上から目線で。何様だよお前は?
『お前は知りたいか?』
るっせえ。意味わかんないぜあんた。
『知りたくば前を向け、……そうすれば道は開かれる』
「ハッッッ」
目の前に拳が迫ってた。一体いつの間に。ああくそ、こうなったら破れかぶれだ。
拳が命中する。
「くうっっっ」
「貴様ッッ」
互いによろめいた。
酷い頭痛がする。何せ拳を喰らったんだ、当然だろう。でも、金髪エルフだってただじゃ済んでない。あの瞬間、俺は避けるのではなくて、逆に前に踏み込んだ。それで向かってくる拳に向かって頭突きを喰らわせた。だからあっちの拳だって無事じゃない。
「うああああああ」
痛いのはお互い様。だけども、どうやら俺の方が相手よりも先に動けたみたいだ。
思いっきり突っ込む。身体をまるで一つの武器みたいに相手の腹部めがけて叩き込む。
「う、っぐう」
手応えあり。予想外の反撃だったのか金髪エルフは後ろへ倒れ込む。俺はそのまま一緒に倒れ込みながら、馬乗りの態勢を取る。所謂マウントポジションってやつだ。
「くっ、」
金髪エルフことロビンは今の状況に苛立ちを隠せないのか、顔を背ける。
「覚悟しろ」
俺は拳を握って相手の顔面へと振り下ろす。
「はいそこまで」
声をかけられ同時に俺の拳は止められた。
一体いつの間にそこにいたのか?
赤毛の少女、レンがそこにいた。
「帰って来るのが遅いと思ったら全く……バカなのかお前らは」
両手の拳骨が落とされる。
「いって」「ぐはっ」
こいつの小柄で華奢な身体の何処にそんな力があるってのか。痛烈な一撃を前に、男二人が悶絶する。
俺もロビンも、しばらく悶えていた。
「で、何が原因でこんな場所でケンカしてたのさ?」
完全に呆れた様子でレンは俺達に問い質す。
正直言って言いたくない。
お前の事で金髪エルフとケンカしたなんて。何かこれじゃまるでやっすい恋愛ゲームのイベントみたいだ。傍目で見る分には鼻で笑ってられるけども、そんな状況と勘違いされかねない今、全く笑えない。
「ええ、と……何でもない。単に互いについて知ろうと思った。ただそれだけだ、な?」
「あ、ああ。そうだ。僕達は互いの友誼を深める為に拳で語り合おうとした。ほ、本当だぞ本当だ」
オイ金髪エルフ、その言い方は何だよ。
お前誤魔化すのが本当に下手くそだな。
これじゃ絶対疑われる、もっと問い質されるに決まってる。
「へぇーー、」
見ろよ疑ってる。完全に、
「何だよそうなのかよ、ったく男ってのは面倒臭いもんだよなぁ」
「へ?」
嘘だろ、今のを信じるのかよオイ。
レン、お前…………どんだけ騙されやすいんだよ。
「ま、そういう事なら問題ないな。それにしても拳で殴り合って仲を深めるかぁ、」
ま、いいや。俺にせよロビンにせよこれで窮地は脱したはず。
「あ、じゃあさ。今からオレも一緒にやるから」
「え?」
「レン、何を言ってるんだ? 今のは冗談だよな?」
ちょっと待て。妙な風向きになってきやがった。
オレ以上に金髪エルフの方が焦ってる。はは、みっともない。
そんな事を思ってたら、「笑えないぞ。レンの体術は洒落にならない、思い返せ」てな事を耳元で囁きやがった。
そしてあの晩の事を思い出す。
そういやレンの奴。たった一人で髭面山賊団を蹴散らしてたよな…………おいおいおいおい。ちょっと待て──。
「じゃあ早速やろうぜ。何なら二対一でもいいよ」
赤毛の美少女は腕をブンブン振り回しながら、明らかにやる気満々であらせられる。
「じゃあいっくよーー」
「ぎゃああああああ」「レン、よせ君の勘違いだああ」
闇夜に男二人の悲鳴が轟く。
そうしてその夜は終わった。
金髪エルフと仲良くなるのは無理だろう。
だが、それ以上に理解したのは、決してレンとは戦うな。絶対に勝ち目とかそんな甘い希望など微塵すらないのだ、という事だった。