現実
俺は自分の知っている限りの事を話す事にした。
何て言うのか、その……変な気分だった。
普段こんなに他人に色々な事を話したりなんか決してしやしないってのに。
「ふんふん、それで?」
俺は素直に気が付いたらここにいた、って事を話した。
そしてこれがゲームとばかり思っていた事を話した。
ゲームのイベントだとばかり思ってあのオランウータン野郎のアジトに連れて行かれても最初は緊張感を抱いていなかった事を話した。
それで、あの夜。
黒い外套を纏い、白い髑髏の仮面を被ったあのリーパーに一度殺されたはずだ、という事を話した。
「──うん」
レンの奴は何度も頷きながら、俺の話を聞いてくれる。
(コイツは俺の、俺なんかの話でも聞いてくれる)
人の話をちゃんと聞く。子供の頃に親とか祖父母、あとは学校だの幼稚園の先生とかに散々っぱら言われたに違いない事。
そんな事は極々当たり前の事なのだろう。
でも、そんな当たり前の事が何て言うか凄く嬉しかった。
だって俺の話なんて……ずっと誰も聞いてくれなかったんだから。
レンは黙って俺の話を聞いてくれる。
言葉を返したりはしないものの、俺の目を真っ直ぐ見据えて聞いてくれる。
でもそんな何て事のない当たり前が何故だか凄く嬉しかったんだ。
思えば、俺は一度だって自分の事を…………。
◆
今までの、現実世界、あっち側での俺は何て事のない毎日に嫌気が指していた。
周りの世界は真っ黒だった。
あれはいつの頃からか。
いつの間にか俺は集団、というモノが億劫になり、他人との関わり合いを避けるようになっていた。
現実ってのに面倒臭さを感じた俺はとりあえずそこそこの大学を出て、就職した。
でも結局は同じだった。
会社ってのに入っても面倒な事ばかり。
上司はバカみたいに俺たち部署の連中に怒鳴ってばかりで、それでいて部長だの何だのにはヘコヘコと媚びへつらう。
仕事が終わっても、くっだらない付き合いってのがあってそれを断ってたら、いつからか同僚に無視されるようになった。
別に今までと変わらない。
俺はずっと一人だったんだ、今更何を気にする必要があるってんだ。
それに俺にはこんな場所よりもずっと楽しい場所があったんだから。
オンラインゲーム、そしてVRゲームは俺にとって楽しい場所だった。
そこでの俺は、誰からも頼られるリーダーであり、有名なゲーマー。
サークルとかパーティーの連中をクエスト攻略に誘ったり、そこでボスモンスターとの対決で協力して倒すあの達成感。
──リーダー最高だよ。
──アンタやっぱすっげーわ。
──ウチらあんたについてくよ。
パーティーメンバーからの声が嬉しかった。
──さっすがネジネジだなぁ。
──あのダンジョンどうやってクリアしたんよ?
──くっそ、次は負けねーからな。
他のゲーマー連中からは賞賛され、またライバル視されるのが心地よかった。
くだらない現実よりもVRの方がずっと楽しい。だってそこじゃ毎日が充実してた。
だから、
俺にはあっちの世界こそが現実に思えたんだ。
それで″フライハイト″をやる時だってこれで新しい何かが始まる。そう思っていたってのに。
◆
「そうか、なるほどねぇ」
俺の話をひとしきり聞いたレンは、俺をバカにするでもなく、かといって何かしら文句を言うのでもなく、幾度もかぶりを振るのみ。
どうしたんだよ? 何か言えよ。いいよ、言わないなら自分から言ってやる。
「そうか、かける言葉もないってんだな。分かってるさ。俺の人生なんてのは負けっぱなしの負け犬……」
「──は、アンタバカでしょ?」
「な、」
思わぬ剣幕で即座に言い切られた。
バカ、って言われたけど何故だろう。睨まれてるってのにちっとも悔しくないし、腹も立たない。
「何をそんなに自分を卑下するのさ?」
その言葉からはこちらに対する、その何ていうか気遣いみたいなモノが感じ取れる。それから、怒ってるのか? こっちを睨んでいるようにも思えた。
「だってそうじゃないか? 俺は現実じゃ何一つだって出来ない負け犬なんだ。そんなのが嫌で嫌で仕方がなくて、それでゲームに依存して、いい気になってるような、そんなろくでなしなんだ。どうだよ、つまらないだろ?」
そうだ、これが俺の紛れもない本音だ。現実じゃ誰からも無視され、見下され、それで……くそっ。
だってのに、どうしてだ?
どうしてレン、のヤツはそんな目で俺を見ている?
「同情か? いいね、しろよ。俺も遂に同情してもらえるような立場になれたって事だ。哀れな負け犬ヤロウにお優しいレンさんが────」
パァン、という妙に甲高い音が鳴り響いた。
「え?」
頬がヒリヒリと熱い。何をされたんだ今?
一瞬の混乱の後、目端に映ったのは平手。レンの奴が頬を張ったらしい。
「言っとくケド、そういうのやめな」
「なにしやが──うっ」
思わず怯む。レンは真っ直ぐに、真っ直ぐ過ぎる程に真正面から俺を見据えている。
てっきり、こっちを見下しているか、憐れんでるとでも思ってたのに。何でそんなにも真剣な表情してやがるんだよお前。
「アンタが酷い目にあってきたのは分かったよ。充分だ、色々と聞いたこっちも悪かったって思うよ。
今までの事はもう仕方がない。でもさ、そのままでいいと思ってんの?」
「な、に言ってるんだよ?」
「過去に、もう起きちまったコトってのはもうどうしようもないさ。それは変わらないコトだ。
それに傷つき、しょげるコトだってあってもいいよ。
でもいつまでそうしてんだよネジ?
いつまで楽しようってんだよアンタはさ?」
「俺が楽しようとしてる、だと」
「そうさ、アンタが何で負け犬だったか分かるか?
オレにはよく分かるぜ、そりゃアンタがそうやっていつまでもウジウジしてたからだよ。
もう充分じゃないかよ、いつまでも下見てんじゃねぇよ。しっかりしろってのさ!」
何でだよ? 分からない。何でお前はこんなに真剣に……赤の他人の為に怒れるんだ?
何で俺なんかの為に、目を潤ませてるんだよ?
『もういい、これ以上そんな奴の為に時間をかける必要性はない』
ピシャリと斬り捨てるような冷徹さのこもった声。周りには誰もいない。
するとガサッとした草木を踏み分ける足音、その方向を見るとあのロビンとかいう金髪エルフの姿が見える。
だけど妙だ、軽く見積もっても数十メートルは離れてるってのに、さっきの声は間近で言われた、そう思える声量だった。
「聞き耳かよ、趣味が悪いなロビン」
「言っておくがソイツの話など別に聞き入るつもりなど無かったさ。だがこう見えてこの長耳は伊達じゃなくてな。それに僕には【風】の加護もあるからな。嫌でも聞こえてしまう。お前も知ってるはずだがな」
そう言いつつ大仰にその長く尖った耳を人差し指で指し示す。
「レン、これだけは言わせてもらおう。そいつは当てにするな。自分自身で言ってたが、所詮は負け犬ヤロウなんだからな」
「お前…………」
フルフルと身体が震える。怖いからじゃなく、心底からの怒りからだ。本当に腹が立ってるのが分かる。
視線を相手へ向ける。金髪エルフはふん、と言って露骨に見下しているのが分かる。
心から思う、コイツは本当に嫌な奴だって。
レンの奴へ視線を変えると、ハァとため息をしているのが見えた。
「全くさ。お前は本当に口が悪いよロビン」
「ああ、自覚してはいる」
「なら少しは自重しろってのさ」
「だが僕は間違っちゃいない、……そうだろう?
おいそこのお前────」
「う、っ」
金髪エルフはとんでもなくドスの利いた声音で俺に話しかける。
「いいか、これは幻想じゃない。今やこれが現実だ。
まずはそれを受け入れろ。そして覚悟を決めろ。
【特典】を得てしまった時点でお前の行く末は完全に定まってしまったんだって事をとくと認識しておく事だ──【来訪者】」
その後、何を言われたのかを俺はよく覚えていない。
ただ一つだけ言える事があるのなら、この時、俺は理解せざるを得なかったって事だ。
俺はもう受け入れる他ないのだと。
このフライハイトこそが俺にとっての現実なのだと。
そして俺は否が応でも知る事になる。
俺はもう完全に巻き込まれちまったって事を。
生きるか死ぬか、というこの世界の流れに。