どうしても生きなきゃ駄目ですか? 逃避
始業式が終わるとすぐさま担任に呼び出されお決まりの説教。
しかしすぐに開放された。そしてそのまま校長室へ。
校長から二週間の停学を言い渡された。
そして校長からの説教。
それも終わり、入れ違いでKが校長室に入ろうとしていた。その瞬間、Kと目が合い、お互いに笑ってしまった。可笑しくて堪らなかった。この時も「良い思い出」くらいにしか思っていなかったのあろう。
等々開放されると思いきや担任が一言。
「今日から停学だから、おまえ帰れ」
思ってもいない一言に驚きを隠せない。
「明日から九時に学校に来い。それから昼の十五時には帰す。」
え?停学なのに学校来るの?
今自分が置かれた状況を理解できていない馬鹿な発想。
この日だけは担任の先生に車で家まで送ってもらい、母親に停学の説明、その後の処置。
その日晩、同じ学校で停学となったKに連絡してお互い笑い合った。結局若いだけでの過ちという事で軽い考えていたのかもしてない。それはJも同じだったようで父親に説教をされ、同じように二週間の停学を食らいながらも以前と変わらない笑い声を上げていた。
そして毎朝一時間遅れの電車に乗り込み他の生徒とは隔離された部屋で本を読み、昼になれば昼食を済ませ三時には帰宅するという味気ない生活を二週間終え、晴れて停学を明けて普通登校した日だった。
以前にも増してクラスの反応はなく。空気のような存在になっていた僕。しかし以前とは心の持ちようがまったく違っていた。特に気にする事なく、たった二年我慢すればいい。二度と会う事もないだろうという楽観主義者になった。
しかし、大きな変化はあった。
普通登校が始まったという事は部活にも参加できる。当然僕も部活の道具は持ってきていた。それでも放課後になっても僕は部室に行くことはできなかった。
先にも言ったが僕の高校のサッカー部は県内屈指の強豪。部員みんなが全国大会を目指して頑張ってる。
ここで僕がまた戻っていいのか?
みんなのモチベーションを下げるだけじゃないのか?
決まりきった台詞を頭に思い浮かべながら、僕は帰りの電車に乗っていた。
結局のところ、きちんとした言い訳も言わずに逃げたのだ。
サッカーは好きだ。でもここでこの考えになってしまうのならば大した想いでもないのだろうと、僕はだだ逃げたのだ。