一般的なお話
現状として今を生きていく事が僕には困難を極める。
難しい言葉を並べて、拙い文章を書き綴ってもこの”今”を抜け出す方法が在るものか。
「社会不適合者」「社会生活不適合者」
呼び名は幾らでも存在する。形容詞として新たに造語を作るのであればインターネットの掲示板に多数存在している。
まさに僕はその通りだ。
「不適合者」としての意味合い。
単に犯罪を犯すだけでは社会悪としての一言で終わってしまう。
しかし僕の場合。
「生きていく意味」「生きる権利」が見つからないのだ。
ここまででばただ単に、遺書としてか見えてこないし、大した意味も感じないだろう。
生きる意味を考え、個人の範囲内で達観し、自ら命を絶つ、絶とうとしている人がこの世界に何万人いるだろうか。
自分自身で思い描いた将来とかけ離れた生活。ちょっと前までは普通の、漫画やドラマの中でしかない「幸せな家庭」を築けると思っていた。
世間一般でいう立派な学歴。
生涯に渡って付き合い、共に助け合い、お互いを高めてくれる友人。
色々な恋を経て、一生涯守り抜けると誓える恋人。
いずれは結婚し、子供にも恵まれ、大型連休ともなれば家族旅行やお互いの両親の元へ帰省し、大きく育ててくれた自分の両親の偉大さを身に染みて感じる。
そして自分の子供達が日に日に増して大きくなっていく様を目に焼きつけながら年齢を重ねていく。
これが世間一般でいう「幸せな家庭」というものではないだろうか。
僕の生きてきた中でこんな家庭は数えるほどでしかない。
それは僕が人生の半分も生きていないのだからかもしれない。
でもこのモデルハウスのような家庭像ではなくても幸せと呼べる家庭事情は当然のように存在する。
フォローや嫌味などではなく、実際に僕が感じてきた体験談である。
母子家庭。端から見れば可哀相な状況かもしれない。男の子二人に女の子が一人。長男次男長女。そして母親。
この三人の父親はそれぞれが別である。種違いといもいうのか。母親は水商売。子供らにしたら母親は一人だが自分の兄弟の父親は違う。
二つ目が自分の父親も母親もいない男の子。この子は祖父母に育てられていた。
もし世が世なら、心ない人間達に囲まれていたら、この二つの家庭の子供達は社交的な生活だけでなく、上手く感情を表現できない性格、人格形成になっていたのではと感じている。
ドラマや物語に出てくるいじめっ子や心無い大人達に逢ってしまえばきっとどうなっていたかは誰にもわからない。
こうしてみるといじめの材料。社会的に”悪い意味”での注目の的になることは明白だった。
前者の父親が腹違いの三人兄弟。
長男との出会いは中学だった。
僕の通った中学校は割と最近建てられたもので、僕が住んでいた学区内に新しく立て直された中学校だ。
もし時期が違えば僕は違う市内にある別の中学校へ進学していた。
僕が住んでいた地域は新しく建てられた中学とまた別の中学、どちらにでも進学できた。
片方の中学の方が僕が通っていた小学校からの進学者が多く、在校生も多い市内でも有数の大きい中学校。そしてもう一つが割りと最近建てられた中学校だ。
僕は小学校はサッカー部で、県大会でも良い成績を残していた。一応選抜等の経験もあった。
在校生が多く、友人が多数進学した中学校はサッカー部が強く、県でも優秀な成績を残していた。
対して僕が進学した中学校だが、サッカー部の人数は少なく、小学校からの経験者が少ない為か大きな大会では毎回一回戦敗退が当たり前の弱小チーム。
普通の考え、サッカーというものに熱心に打ち込める事ができたのならば間違いなく強いチームでレギュラーを狙うであろう。
しかしながら僕には最初からサッカー部が強い中学校への進学は頭に無かった。
「弱いチームでも俺が入って強くしてやるよ」程度にしか考えていなかったのであろう。もしくは「弱小チームならすぐにレギュラーになれんじゃね?」といった具合だった。
そしてそのサッカー部で出会ったのが兄弟全員腹違いの長男だ。
この長男をKとする。
Kはとても明るく、むしろガキ大将、問題児とされていた。
それに反してか女子にも男子にも高い人気があり、輪の中心には必ずKがいた。
僕とKはサッカー部で一緒になった。
弱小サッカー部らしく練習は適当。この場合の適当は「テキトー」という文字面だろうか。
全く上達する要素が無い練習ばかり。サッカー経験者なら分かると思うがシュート練習がゴールからボールを転がしてそれをダイレクトでシュートするという意味の分からない練習をしていた。
今思い返せば本当に意味のない練習。キックベースの練習のようにも感じていた。
もちろん基礎練習なんてものもなく。経験者が圧倒的に少ないのに監督は何を考えていたのだろうか。もしタイムスリップできるのなら当時の監督を小一時間問い詰めたい。
そんなずさんな練習の中でもKは上達をしていた。元々の運動神経が良いのだろう。
そして一年生の時からいい意味でも悪い意味でも目立っていた。
Kの家庭環境を知ったのは中学二年の時。お互いの家に行き来するようになって知った。その時の僕の感情としては「ふーん」くらいしかなかった。
特に不思議な感情も無く、唯の「情報」として僕に頭にインプットされた。
それほどにKから発せられるオーラにマイナスという点は見られることもなく、むしろそれを隠す必要性はKにとって「意味のない事」になるのかもしれない。
そして両親がいない男の子。Yとしよう。
Yは同じ小学校から中学校へと来たいわば同級生だ。しかし小学校の時に遊んだ記憶もなく、僕自身、特に記憶に残るような事もなかった。
小学校や中学校、高校や大学の卒入式は殆どの親、もしくは保護者が来るものだろう。
そのYの場合は白髪の老夫婦が来ていた。僕は単純に「Yのお爺ちゃんお婆ちゃん」とだけ思っていた。
だが僕と何名かの友人でYの家に遊びに行った時の事だ。Yがそのお婆ちゃんを「母ちゃん」と呼ぶのだ。
僕は意味が分からず、どう考えてもYの母親である訳がない。性に目覚め、性教育を受け始めていた中学生であれば誰しもが分かる事であった。
それでもそれを質問としてYに投げかける事はできなかった。人には話せない事情があるのだろう。子供ながらに大人染みた思考を巡らせ言葉を飲み込んだ。
「婆ちゃんじゃないの?母ちゃんなの?」
一緒に遊びに来ていた一人の友人が言い放った。
僕は瞬時に思った。
「(え?それ聞く?)」
内心では心のどこかで気になっていた問題を解決に導ける質問だと思ったのは事実。
「おまえさ、普通そういう聞かないだろ」
もう一人の友人が言い放った。
空気の読めない友人が言った質問でこの場がどうなるかは大体が予想ができた。
しかし予想に反した言葉をYは言った。
「俺を生んだ母ちゃんはいるよ。でも今は婆ちゃんが俺の母ちゃん」
意外にもすんなり答えてくれたY。
この言葉が表す本当の意味。母親はいる。しかし祖母を母親と呼んでいる事実は何かあるのだろうと幼心に分かっていた。
それでもYも明るく、ひょうきんな性格で同級生はもちろん、先生方にも人気の的だった。
たった二つの例だが、「一般的な幸せな未来」とは形は違うかもしれないが、笑って暮らし、そこにいる人達が十分に笑顔でいられる。
表面的かもしれない、苦しさや生活の困難さを周囲に悟られないように明るく振舞っているだけかもしれない。それでもそこで生活している人が幸せであれば十分なのではないのだろうか。
今更だが、僕は至って普通の人生を歩んで来たつもりだ。
根暗ともいえる冒頭から始まったこの「どうしても生きなきゃ駄目ですか?」
僕の今までの生き方を読者の皆様に伝えてみたい。ちっぽけな思い浮かびから今こうして書いている。