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◆鹿屋玲子◆
夕食が終わって、食卓を片付けたあと。
私は、深呼吸を一つしてから口を開いた。
「お父さん、お母さん。
大事な話があるの」
二人が顔を上げる。
「高校は……桑名の高校を受験したいと思ってる。
それと、友達と一緒に暮らす予定」
一瞬、空気が止まった。
恵美に言われた通り、感情を抑えて、淡々と。
理由も、順番も、ちゃんと考えてきた。
「ハンターを続けるために、その方が効率がいいの。
進学も、活動も、全部中途半端にしたくない」
「……玲子」
お母さんが、少し困ったように眉を下げる。
「離れて暮らすのは、寂しいわ」
「そうだぞ」
お父さんも、静かに言う。
「まだ高校生なんだ。急がなくてもいいだろう」
私は頷いた。
「分かってる。
寂しいって言ってくれるのも、嬉しい」
――その時。
「はあ?」
横から、刺さるような声が割り込んできた。
「何言ってんだよ」
兄だ。
「子供が家を出るとか、非常識だろ!
ハンターになったからって、いい気になるなよ」
背中が、ぞくりとした。
「小さい頃のお前を世話したのは、誰だと思ってんだ?
俺だろ?」
その言い方が、気持ち悪かった。
昔からずっと。
私は、兄の方を見ないようにした。
「……話は、お父さんとお母さんにしてるの」
「逃げるなよ」
兄は、椅子から身を乗り出す。
「高校出てからでもいいだろうが!
それくらいで壊れる関係なら、その程度ってことだろ!」
――その言葉で、何かが切れた。
「……違う!」
思わず、声が大きくなる。
胸が苦しい。
でも、止まれなかった。
「友達を馬鹿にしないで!
恵美達は、そんな軽い覚悟で一緒にいようとしてるんじゃない!」
「友達? 笑わせるなよ」
兄の視線が、気持ち悪い。
昔から、ずっと。
「どうせ――」
「黙って!」
私は、兄を睨みつけた。
「あんたには関係ないでしょ!」
「私も、私の友達も……」
喉が震える。
それでも、言葉を止めなかった。
「いやらしい目で見てるくせに!
これ以上、あんたと一緒に生活したくないのよ!」
兄の顔が、歪む。
「そもそも!
私、あんたに世話された記憶なんてないから!」
一歩、兄が前に出る。
今にも、掴みかかってきそうな目。
「や、やめなさい!」
お母さんが、慌てて間に入る。
「落ち着け!」
お父さんも声を荒げるけど、完全にオロオロしている。
私は、震える手をぎゅっと握った。
「……これは、最終手段だからって
恵美達に止められてたけど――」
私は、はっきりと言った。
「覚醒者保護制度を使って、自立します!」
「なんだそれは!?」
お父さんが叫ぶ。
「未成年のハンターの尊厳を守るための法律よ!
ネットで調べて!」
それだけ言って、私は立ち上がった。
もう、これ以上ここに居られない。
自分の部屋に戻って、鍵をかける。
背中をドアに預けて、ようやく息を吐いた。
(……これでいい)
怖い。
でも、戻らない。
私は、私の場所へ行く。
◆
ベッドに腰を下ろして、しばらく動けなかった。
手が、まだ震えている。
深呼吸を一つ。
スマホを握り直して、女子会のグループメッセージを開いた。
『話した』
『揉めた』
『覚醒者保護制度を使って、自立するって言った』
それだけ送って、画面を伏せる。
すぐに通知音が鳴った。
(恵美)『今、声出せる?』
一瞬、迷った。
でも――文字で誤魔化すのは、もう限界だった。
『……うん』
通話ボタンを押す。
コール音が一回鳴って、すぐに繋がった。
「玲子」
恵美の声。
それだけで、胸の奥がきゅっとなる。
「……うん」
平静を装ったつもりだったけど、声が少し掠れた。
「話したんだね」
「うん。
ちゃんと、言った。
桑名のことも、一緒に暮らすことも」
「そう」
恵美は、それ以上急かさない。
ただ、待ってくれる。
「お父さんとお母さんは……寂しいって。
それは、分かってた」
「うん」
「で……」
そこで、言葉が詰まった。
「……兄が、うるさくて」
ほんの一言。
でも、それで十分だった。
「責めてきた?」
「……うん」
少し、音が止まる。
「無理して説明しなくていいよ」
恵美の声は、静かだった。
「言いたくなったらでいい」
その言葉で、張り詰めていたものが緩んだ。
「……私さ」
喉が熱くなる。
「冷静に話そうって、決めてたのに
途中から、全部どうでもよくなって」
「うん」
「友達のこと、馬鹿にされて……」
声が震える。
「それが、一番許せなかった」
返事は、すぐに来た。
「当然だよ」
短くて、迷いのない声。
「玲子が怒るのは、当たり前」
その瞬間、堪えていたものが崩れた。
「……怖かった」
小さな声が、勝手に零れる。
「でも、戻りたくないって思った。
ここに、もう居たくないって」
少し嗚咽が混じる。
「それで、保護制度のこと言った……」
「……うん」
「でもね」
私は、涙を拭いた。
「後悔は、してない」
はっきり言う。
「私、皆と生きたい。
一緒に学校行って、ハンターやって。
それが、私の選んだ道だから」
少し長い沈黙。
そのあと、恵美が言った。
「……よく言ったね」
その一言で、涙が止まらなくなった。
「ちゃんと、自分の足で選んだ」
「……うん」
「怖かったと思う。
でも、逃げなかった」
私は、声を押し殺す。
「私、一人じゃ……」
「一人じゃないよ」
被せるように、恵美が言った。
「もう、最初から一人じゃない」
その言葉に、胸の奥が温かくなる。
「今夜は、ドアに鍵かけて
何かあったら、すぐ連絡して」
「……うん」
「明日、会おう」
「うん」
通話が切れる。
スマホを胸に抱いて、私はゆっくり息を吐いた。
怖い。
でも――独りじゃない。
私は、ちゃんと前に進んでいる。
◆鹿屋家リビング◆
父「準成人扱いか……」
母「まだ15歳なのよ」
父「そもそも、和馬のせいで話が拗れたけど
お前は玲子の決めた事に反対なのか?」
母「それは……あの子が家から居なくなるのは寂しいけど
喧嘩別れする程じゃないわ」
父「だよな。
それと、和馬のあれ、なんだ?
あんなやつだったのか?」
母「あまり喋らないけど、聞き分けは良い子だったんだけど……
玲子が覚醒者になってから酷くなっていったみたい」
父「そうか。玲子が言ってたのも気になるな」
母「なに?」
父「いやらしい目」
母「あぁ……息子を追い出した方がいい?」
父「一応長男だしなぁ……」
母「玲子にお婿さん連れてきて貰った方がよくない?
将来、介護とかしてくれるお嫁さんきてくれると思う?」
父「和馬の嫁だろ? 期待する方がバカだな」
母「でしょ」
父「だけどなぁ……ハンターって危険な職業だと聞くぞ」
母「そうなのよねぇ。私達より先に……なんて事には絶対になって欲しくないわ」
父「無理をしない。無茶をしない。常に安全マージンを確保する。
これを約束して貰って、俺達は玲子を応援しようじゃないか」
母「そうね。そうしましょう。私達の娘を信じましょう」
父「息子は?」
母「人様に迷惑を掛けないようにしましょう」
父「そうだな。それが親の責任だしな」
母「えぇ」




