Melt into me
会場の最寄りのカフェは、同じようにウキウキしてる人たちでいっぱい。
本当はもう少し喫茶店っぽいところが良かったんだけどな。
ジンくんカラーの青いニットに、グレーのパンツ。
悩みに悩んで決めたコーディネートに袖を通すだけで、胸が高鳴る。
ぎゅってなる胸に手を当てて、深呼吸。
まだ、始まってないから、落ち着けぇ。
少し並んで待つと、背の低いテーブルと深いソファの席が空いた。
しっかり確保して、注文に向かう。
頼んだのは大好きなサンドイッチとカフェラテ。
まだ夏の香りが残るのに、今日は少し肌寒い。ホットにしたカフェラテがマグカップの中でゆらゆら揺れていた。
「ねぇリンちゃん!そういえば昨日すごいことあったの!」
もぐもぐとサンドイッチを食べながら、わたしはリンちゃんにテンション高く話し始めた。
目の前のクリームたっぷりのパンケーキを頬張りながら「なによ」といつもの調子で目だけこちらを向けるリンちゃん。
すれ違う男性の視線がリンちゃんに奪われたまま歩いていく。あ、見惚れてるな。
そりゃそうだよね。
でも危ないから、前見たほうがいいよ。
リンちゃんは、華やかでユウキくんカラーの真っ赤なワンピースがよく似合う。
スタイルも抜群だけどすごくたくさん食べるから、いつも羨ましい。
「あのね、メッセージアプリで、ジンって人から明日何時だっけ?って来たの!」
「え?なに?どゆこと?」
リンちゃんは手を止めてちょっとわけわからないって顔してるので、昨日起こったことを事細かに説明してみた。
「なにそれ、ジンなんじゃないの?」
リンちゃんはちょっと意地悪そうに笑う。
「そんなわけないでしょ!」
つい吹き出してしまった。
「でもすごく良い人なの。ジンくん推してくれるみたいだし、またお話しするんだぁ!」
開場時間も迫ってきて、カフェを後にした。リンちゃんとふたりで既に出来ているファンの波に飛び込んで、会場への道を歩く。
さっきの温かいカフェラテの香りが、風とともに遠ざかっていく。
ふわっと目の前で何かが落ちた。
慌てて拾うと、綺麗なハンカチだった。
「あのっ、落としましたよ。」
目の前を歩く、Famousファンであろう若い女性の肩をとんとんっと叩く。
バッグから、うちわの柄が見えてる。
赤ってことは、ユウキくんファンか。
一瞬でそこまで考えるのは、オタクの性かな。
「え?あ。」
チラッと見て、バッとわたしの手からひったくるようにハンカチを取った。
足早に人波に消えていく。
「なにあれ、感じ悪っ!」
小さい声でリンちゃんが言った。
「ふふ、ちょっとびっくりした。」
こういうときは、きっとお腹痛くて急いでるんだって思うようにしてる。
それはリンちゃんにもナイショ。
「同じユウキ推しとして、恥ずかしいよ。ありがとうくらい言えばいいのに。ミオ、笑ってるけど、今のは怒ってもいいやつだよ。」
小声でも明らかに下がるトーンに、ちょっと怒ってるのが分かる。
「リンちゃんが代わりに怒ってくれたからいいかなぁ。それに、ほら、徳が拾えたからラッキーじゃん?」
わたしが笑いながら言うと「出た!ミオの徳拾い。ポイントかなり溜まったんじゃない?」
リンちゃんは少しからかうように言ってきた。
まっすぐな道をどんどん進んでいく。
「えーどうしよう、ユウキ……」
冷静なリンちゃんがそわそわと可愛い声を出すと、いつも胸が高鳴ってくる。
何がとかじゃなくて、どーしよう!なんだよね。わかる。
周りの人が「今日なんか寒くない?」って、腕をさすってるくらいなのに、心は熱くて、なんなら汗が出そうなくらい。
——今から、ジンくんに会えるんだ。
席はどこかなぁ。
リンちゃんも緊張していて、二人とも小さなため息ばかりついて、何も言わなかった。
今日出すうちわは何にしようかな。
名前うちわだけ?
うーん、見えそうなところだったら、ファンサうちわ出そうかな。
そんなことを考えていたら一瞬で会場についた。
入口付近にメンバーの“のぼり”がずらりと並んでいた。
あ、ジンくん!
リンちゃんに「写真撮ろうよ」って言おうとした瞬間に、ぱっと視界が揺れた。
「ジンです。笑」
昨日のジンさんの文字と“ピロン”というスマホの音、通知が来たときの光がなぜかふと、目に浮かんでくる。
慌てて頭を振る。
今からジンくんに会うんだから。
「ミオ、なにしてんの?テンション上がり過ぎた?」
わたしの不自然な動きを見てリンちゃんが笑ってる。
「なんでもない!ドキドキしちゃって」
そのまま入場列に並んでチケットを発券した。
あ、“のぼり”の写真撮るの忘れちゃった。
終わったら撮らなきゃ。
そんな能天気なことを考えながら、同時に確認したくて、裏返しのまま1枚、チケットをリンちゃんに渡した。
「「せーーのっ!」」
チケットを突き合わせながら、勢いよくひっくり返した。
……え?
息が止まった。
見開いた目を閉じるのも忘れて、視界がぼやける。
「ミオ!!ミオー!!」
いつも冷静なリンちゃんが泣きそうな声で抱きついてきた。
「やばい!」
リンちゃんの声は聞こえてるのに、何も返事ができない。
震える手と脚でチケットに描かれた座席に向かう。
薄暗い場内は、少しスモークがかかっていて視界が悪い。
でも今のわたしには、目の前の全てが鮮やかに映った。
遠くの方からは「きゃぁぁ」と喜ぶ声が聞こえた。きっと良い席を当てたんだろうな。
何度もリンちゃんと「間違いじゃないよね」って確認しながら、一つずつパイプ椅子の後ろに貼ってある座席番号を追っていく。
席をみつけて、荷物を置いた。
一つ息を吐いて、ステージを見上げる。
メインステージ下手の最前列。
ジンくんの立ち位置だ。
Famousがデビューして10年。
ずっとライブに来てたけど、こんな席初めて。
ふと、さっき拾ったハンカチを思い出す。
ユウキくん推しのお姉さん、徳拾わせてくれてほんとにありがとう。
「リンちゃん……生きててよかったね」
涙が込み上げてくる。でもメイクが落ちちゃうから泣きたくない。
「ミオ、本当にありがとー!!」
美人なリンちゃんは泣いてても可愛いなぁ。
ユウキくん、どうかリンちゃんを見てあげてね。
ステージのセットがすごく近くて、全体が分からないくらい。電飾の数を数えてみたくなったけど、何考えてんのって、自分で現実に引き戻す。
このあと、ここにジンくんが来るんだ。
スポットライトがぐるぐると、色んな方向に光を当てている。
パッとわたしに光があたると、一面真っ白で何も見えなくなった。
何も見えないのに、ものすごく綺麗。
頭の中も一緒に真っ白になる。
音も気配も何もかもが、全部わたしのものみたい。
あぁ、きっとジンくんの見てる景色は、こんな感じなのかなぁ。
ファム!ファム!ファム!
どこからともなく掛け声が始まった。
ライブ前のいつものコール。震える声で、一生懸命大好きな人達の名前を呼んだ。
そのとき会場が一気に真っ暗になった。
キャーー!!!!!
歓声の中、ステージだけが光ってる。
Famousのシルエット。
シルエットだけでも、どこに誰がいるのか分かる。
一番左のシルエットにだけ、わたしは視線を集中させる。
自分の鼓動だけが聞こえてる。
メンバーを覆っていた幕が一気にバッと下に落ちた瞬間、目の前に感じるほど近くに、ジンくんがいる。
あの優しい笑顔で、ジンくんが立っていた。
あぁ、せっかく我慢してたのに。
涙、溢れてきちゃった。
「ユウキー!!!!」
可愛い声で叫ぶリンちゃん。
鼓膜が震えて、わぁっと歓声が耳に戻ってきた。
わたしは両手にジンくんのうちわとペンライトを握りしめて、声も出せずにただジンくんを見つめることしかできない。
オレンジ担当のコウくんが盛り上げてくれているのに、置き物みたいになってる。
ドクン、ドクン──
イントロが流れた時点ですごい歓声。
1曲目は定番のデビュー曲で、会場のボルテージが一気に上がる。
ジンくんはずっと笑顔で歌っていて、つられて笑顔になる。あんなに震えていたわたしの手も、いつの間にかいつもの調子でペンライトを振っていた。
『夢みたい?』
タクマくんの決め台詞。
大画面に映し出されたタクマくんの決め顔。
会場も空気もピンクに染まり、大きく揺れる。
その瞬間、カメラに抜かれていないのに、ジンくんがウインクした。
──そういうところが本当にずるい。
「ぎゃっ」って、声が出ちゃった。
くぅ……好き。
メインステージ、センターステージ、バックステージ、Famousのみんなは会場を行ったり来たり、色んな場所で全力でパフォーマンスをしている。
目の前の大きなモニターに映るジンくんを見つめていた。
ライブも中盤に差し掛かる。
メインステージのいつもの立ち位置にみんなが戻ってきた。 しっとりとしたイントロが鳴った瞬間に、わたしの胸がギューッと締め付けられる。
大好きな「Melt into me」をまさか目の前でジンくんが歌ってくれるなんて。
夢みたいが過ぎる!
それ以外言いようがないんだもん。
せっかくジンくんがそこにいるんだから、泣かないで聞くんだ。
スポットライトに照らされてキラキラしてるジンくんは、なぜだろう?
たぶんいつもと同じジンくんなのに、わたしだけのジンくんに見える。
まるでわたしを導く光のように。
──月みたいに輝いてる。
『信じてる 誰よりも 強く
キミの全部 僕が ひとり占めして
どこまでも 深く 沈んでみたい
それでもキミは 前を向いて
溺れる僕を 見つめてる
“早く出ておいで?”
どうして ここまで 困らせて
どうして こんなに 甘くして
苦しくてもいい
僕はここでキミといたい
僕はキミがすきでいたい
とけて とかして Melt into me
境目なんてなくしてしまおう
キミの声は聞こえてるけど
キミの光がまぶしすぎる』
切ない声が全身に響く。
ジンくんの表情、ひとつも逃したくない。
わたし、この人が好き。
「ジンくん……」
そっと、リンちゃんにも聞こえないくらい小さい声で呼んだ瞬間──
ジンくんの視線が、まっすぐわたしに向かってくる。
『キミの光がまぶしすぎる』
このときジンくんと見つめ合えてる気がした。
たった数秒が永遠に感じた。
まるでふたりだけの世界で。
ジンくんがわたしに向かって言っている、そんなふうに思った。
光の中で二人は確かにそこにいた。
ライブ終わりの人の流れに飲み込まれながら、リンちゃんとはぐれないように必死に歩く。
「リンちゃん、早く喋りたい!」
「まじそれ!予約してる居酒屋まで頑張ろ!」
雨が降り始めて、寒さがどんどん厳しくなる。
傘もさせずに慌てて居酒屋に駆け込んだ。
「かんぱーい!」
少し濡れた服をタオルで拭いて、今日は普段あんまり飲まないビールでリンちゃんとかんぱい。 きっと今日のことはここでは語り尽くせないだろうなぁ。
ガヤガヤと騒がしい店内は、同じくFamousのライブ帰りのファンの熱気で、外とは比べ物にならないほど暑かった。
半個室の部屋のドアを閉めて、注文も揃った頃、さっきまでの余韻で胸が溢れてきた。
お腹も空かないけど、ビールのためにお通しの枝豆に手を伸ばす。
「ユウキ、ほんとにやばかった。やばい思い出して泣くかも。」
「泣いていいよ!あれは破壊力すごかったもん!」
ユウキくんは、リンちゃんの目の前にしゃがんでハートを描いてから、投げちゅーを飛ばしていった。あれは贅沢だったな。
「ユウキ優しすぎる。ハート描いてって持ってただけなのに、おまけがエグい」
リンちゃんは、だいたいいつもちゃんとファンサをもらえてるのに、毎回こうやっていっぱい喜んでる。なんて可愛いんだろう。
「でもミオ、あんなに良い席だったのに、なんでファンサうちわ出さなかったの?」
ちょっと酔っ払ってきたタイミングで、リンちゃんが聞いてきた。
うん、絶対聞かれるだろうと思ってた。
「なんか、今日は伝えなきゃって思ったんだよね。
わたしがいるよって、分かって欲しくて。」
なぜか、わたしは『いつも味方だよ』ってメッセージのうちわしか出さなかった。
なんでかは分からないけど。
──届くといいなって、そう思ったんだ。
あぁ、エアハグ出しておけば良かった。
あの距離で、やっぱりしてほしかったかも。
「でも、絶対読んでたね、ジン。嬉しそうな顔してたもん。」
「うん、読んでくれたかなとは思っちゃった。」
あのときの、いつものジンくんの笑顔。
あのメッセージを見せたとき、いつもあの顔をしてくれる。
目尻にシワができて、眉毛を下げて、うんうんって頷いてくれた。
伝わってたらいいな。
リンちゃんと笑い合いながら、そればかり考えてた。
胸の奥がじんわりと、あたたかくなる。
ジンくんってすごいな。
「人生サイコー」って騒ぎながらバイバイして、電車に乗った。
雨の名残でじめじめしている電車。
いつもならちょっと気分が下がるようなことも、全部が幸せに感じた。
揺れる車窓から見える住宅地の明かりが、ペンライトに見える。
ジンくんにもこんなふうに、ほっこりと見えてるのかな。
「はぁ。もうあんなに近くでジンくんに会えることはないんだろうなぁ。」
家について、うちわやペンライトが入った大きなトートバッグをいつもの場所に戻す。
あ、そういえば、結局“のぼり”の写真撮らなかったな。
でも、まぁ別にいいかと思える。
今日のことは写真に残さなくても、一生忘れないもん。
二人掛けの小さなソファに腰を下ろして、そんな独り言をつぶやいてたら、スマホが“ピロン”と音をたてた。
リンちゃんも家に着いたかな?
そう思いながらスマホを手に取ると、なぜかドクンと胸がなる。
「こんばんは。ライブはどうでした?ジンくん輝いてましたか?」
ジンさんだ!
さっきまでの余韻も、幸せな空気も一気に全部持っていかれた気がした。
それがすごく不思議で、踏み入れたら戻れないような気がして少しだけ怖かった。
いやいや、怖いとかない。
ジンさんからまた連絡が来てうれしい!
違和感をかき消すように思い直す。
何かに興味を持つと、どうしても突っ走っちゃうから。
ジンくんにもそうじゃん?
だから、ちょっと不安になっただけ。
でも、ジンさんとはただやり取りしてるだけだもん。
仲良くなりたいだけ……だもん。
酔ってるからって言い訳して、思ってることそのまま打っちゃえ。
「こんばんは!!すっごく楽しかったです。ジンくんめっちゃ輝いてました!もう内面からの輝きが表に出まくって、世界一カッコよかったです!もう大好きで、大好きでした!」
大興奮もしてるし、意味のわからないメッセージ。まぁいいか、送っちゃった。
スマホの画面にはジンさんとのメッセージ画面が映し出されている。
“ジンくん”を推してきた人生最良の夜に、“ジンさん”とのやり取りが、静かに光っていた。
わたしの頬を照らすのは、スマホの光か、月明かりか。
……どっちかな。
あ、今夜は満月か。
カーテンの隙間から、こっちを見てるみたい。




