約束の場所
疲れた身体には重たい無機質なドア。
部屋に入ると、バタンと勝手に閉まった。
一人で閉じこもってろってことかな。
スマホに触る気力も出てこない。
何を言えばいいか、言葉も出てこない。
ミオに連絡してみようと思うんだけど、答えが出えへんまま、時間だけが過ぎる。
安心したいと思う気持ちは、きっと贅沢だ。
ミオの名前だけを何度も胸の中で呼んだ。
ライブは無事に終わり、自宅に戻りたかったけど、騒動のせいでしばらくホテル暮らし。
ベッドに倒れ込み、靴がゴトンと足から落ちる。
まだツアーは残ってるから、ゆっくり休みたかったのに。
着替えもそんなに持ってきてない。
ランドリー行かなきゃ。
でもあんまり出歩くと、また記者に見つかるかも。
狭い空間、ガタガタと聞こえる他人の音。
家に帰りたいな。
でも、そんなこと言えるわけない。
俺のせいでみんなに迷惑をかけたから。
ライブ終わりの会場にも週刊誌の記者が大勢詰めかけていた。
「ジンさん!一言お願いいたします!」
「何かファンに伝えたいことはありますか?」
キャップのツバを握り、グッと下げた。
上からは「余計なことは言うな」との御達し。
余計なこと……俺がしようとしたことは余計なことだったのかな。
「どんなファンでもサービスをして、喜ばせてあげようと思うのはなぜですか?
新幹線の遅延より、迷惑をかけるファンが大切なんですか?」
──こんなことを言われても、
「お騒がせいたしまして、申し訳ありません。」
としか言わせてもらえなかった。
俺はただ、大事にしたかっただけ。
笑顔にしてあげたい、間違ってることは間違ってると伝えたい。
ちゃんと向き合いたかっただけなのに。
それが“ファン”、“サービス”の一言で片づけられてしまう。
メンバーはただ黙ってそばに立って、無言のまま、記者たちに頭を下げてくれた。
言いたいこともあったと思うけど、事務所に言われた通りに。
俺だけの問題なのに、俺だけの問題じゃない。
俺の隣にいたタカユキはそっと背中に手を当ててくれた。冷たい視線が刺さる中で、その手だけがあたたかかった。
10周年の大事なツアー。
どうせならライブでとりあげてほしかったのに。
大成功って話題になりたかったのに。
悔しい。悔しい……。
『Famous』。
俺が何よりも大事にしなきゃいけないもの。
メンバーも、ファンも、何もかも、守りたい。
そして、俺とミオを繋いでくれたのも
『Famous』なんだ。
せっかくミオが会いたいと言ってくれたのに、あれから何日経ったかな。
ミオのことだから、きっとこのことを知って、俺を思って心を痛めていると思う。
それも申し訳なくて胸が苦しい。
ミオを傷つけたくない。悲しませたくない。
ずっと応援してくれてたのに。
ちゃんと応えられなくてごめんね。
俺はミオと会うことを諦めきれへん。
ミオの顔が見たい、ミオに触れてみたい。
今やない、分かってる。
ミオ。
会いたい気持ちは募る一方やけど、会えない理由の方が山積みやな。
それを覆せるほどの理由は、今は見つけられそうにないねん。
大切なものが増えるほどに窮屈になる。
“ピロン”
乾いた心に一滴の水がポタッと垂れた。
なぜかミオからだと分かった。
「ジンくん、わたしたち……
会わないほうがいいと思う。
もうお返事くれなくて大丈夫。
この先何があってもわたしはずっと味方でいるからね。
それだけ、忘れないでくれたら嬉しい。
今までありがとう。
ずっと大好きです。」
心を潤してくれた水と一緒に、一気に全部が消えた。
俺の中から、音も光も何もかも。
◆
ジンくんから何も連絡がなかった。
きっとジンくんは答えが出せずに苦しんでるんじゃないかなって思ったの。
だから、わたしが言わなきゃって、勇気を出したんだ。
これが今のわたしにできること。
これしか、ジンくんのためにできることが見つからなかったの。
『Famousのジンくん』これはわたしにとって『ジンさん』と分けて考える事はできない。
だってどっちのジンくんも本物だから。
わたしはあなたがあなただから好きなの。
会えない理由が積もっていくほどに、ジンくんを好きな気持ちが溢れてくる。
大切だって思うほどに何でも出来ると思える。
大丈夫。何があっても。
会えなくたっていいの。
このままこの関係が終わってしまっても。
そう思えるくらいに、好きになったよ。
今、泣いているのは悲しいからじゃない。
大丈夫、大丈夫。
わたしの気持ちは変わらない。
ジンくんを好きなだけで幸せだから。
大丈夫でしょ?
ジンくんが笑っていてくれるならそれでいいよね?
ミオ、偉かったね。
そろそろ寝ようかなとベッドに入る。
眠れないと思うけど、目を閉じよう。
ジンくんはゆっくり眠れていますように。
“ピロン”
視界が涙で歪む。
なぜかジンくんだと分かった。
「ミオ、連絡ありがとう。ごめんね。
今は誰のことも傷つけたくないんだ。」
……それでいいの。
それがジンくんだよ。
「でも、俺から離れていかないで。
分かってるよ。でも、ミオお願い。
俺にはミオが必要なんだよ。」
ジンくん、ごめんね。
わたしは決めた。
あなたが一番大切なの。
ジンくんが“ジンくん”でいることが一番大事。
だからわたしは、ここで止まるね。
「ジンくん、ごめんなさい。」
スマホを胸に抱く。
ジンくんに、温もりが届きますように。
これがきっと最後のメッセージ。
わたしは、暗闇の中で、ジンくんの幸せだけを願った。
ジンくんと会う約束の日。
ううん、約束の日だった今日。
理由なんてない。
ただその場所に向かってる。
ジンくんを想ってるだけでいいから、行ってみたくなった。
ねぇ、ジンくん。
わたしはジンくんを守れる人になりたい。
◆
ただ、行ってみたくなって、約束の場所に向かった。
その場所を見るだけで、思いが報われるような気がしたから。
ミオは俺のために……それは分かってる。
“ごめんなさい”のメッセージに、なにも返すことができなかった。
本当に、このまま終わりなの?
キャップを目深に被り、マスクをして、少し俯いて歩く。
誰にも顔を見られないように。
誰とも目を合わさないように。
ねぇミオ、今なにしてる?
俺がミオのためにできることはないの?
少し離れた位置で、顔を上げた。
あの場所で会うはずだったのに。
ミオに会えるはずだったのに。
そこに……誰が立ってる。
ベージュのコートの下に、白いワンピース。
風に揺れる髪を手でおさえてる。
すぐにミオだって分かった。
なんでだか分からない。
でも、ミオだって分かったんだ。
──綺麗だ。
ただ空を見上げる彼女は、まるで太陽を見つめるヒマワリのように強く美しく見えた。
そこに立っているだけで、まわりをあたたかく照らしているように。
ミオ、やっと会えた。
ずっと見つめていたくて思わず息をのんだ。
すぐそこにミオがいる。手を伸ばしたくなった。
欲しかった全てが、そこにあった。
今何よりも──
欲しいものが。
「ミオ」
心の中でだけ、呼びかけた。
俺は、そのまま背を向ける。
一歩ずつ、一歩ずつ、遠ざかる。
もう一度だけ、瞳に映したい。
その想いを振り払うように、足を動かす。
……なんでかって?
ミオのことを、大事にしたいから。
理由は、それだけ。
「来てくれたんだね。」
ありがとうの代わりにそっとメッセージを送った。
ミオがこちらに視線を向けた時、俺はもうそこにはいなかった。
でも、きっと大丈夫。
ミオ、俺達もう一度ここから始めよう。
俺はもうミオを好きな気持ちを諦めない。
会えなくても、離れる必要はない。
ねぇ神様──
それでもいいのかって、試してる?
いいよ。
俺はそれでも、ミオが好き。
◆
ジンくん、来てくれたんだね。
もう少しだけ、そばにいてもいいの?
会えなくてもいい。
触れられなくてもいいの。
これからは、わたしがジンくんを守れるようになるから。
だから、わたしの”好き”だけ、ジンくんのところにいてもいい?
心だけは、いつもそばにいたいよ。
ねぇ神様──
それでもいいのかって、試してますか?
うん。いい。
わたしはそれでも、ジンくんが好きです。




