休日のG戦
家の中に潜んでいたゴキブリを退治するための剣をインターネットで買えないかと探していた。パソコンのモニターの前のキーボードの埃に気を取られながら、俺は自分の部屋に隠された狂気について恐怖を抱いていた。
簡単には止めることができない力に襲われるようであって、右から左へと流れていくような水を自分の頭の中に感じていた。それが俺なりの恐怖の表現であって、道端に並んでいる毛虫のような気持ち悪さを感じている。
どうしようもないまま、俺は検索エンジンに「ゴキブリ」「殺し方」で打ち込んだ。並べられるのはくだらない内容のブログの記事などであって、俺はそれらを無視するように自分の生き方を思い出した。振り返ってみると、部屋にはゴミが散乱していて、自分が一人暮らしであることを後悔するだけの余韻が漂っている。
それはまさしく煙のように襲いかかってきて、俺の鼻の穴を通過して口から抜けていった。タバコを吸っていられたら良かったものの、俺は禁煙に賛成であるほどにはその匂いを毛嫌いしていた。それなのに俺の部屋はそれ以上の匂いに包まれているのである。それらが凶器として差し込まれていく。俺の時間は俺のためではなくゴキブリのために奪われていたのであった。
「ゴキブリさん、出てきてください。俺が殺して差し上げましょう」
そういう声を出してみた。すると反応はなかったが、扉の奥でモゾモゾという感覚が行われた気がした。部屋から出てみると、そこには日差しが差し込んでいた。俺の部屋がまるで岩の裏のような汚さであったので、全ての虫が好むような気がしていた。俺は虫だけはどうしても嫌いで、慣れる可能性など微塵もなかった。
「それはともかくとして、どこかに連絡するべきだろうか?」
俺の疑惑は晴れないままに、インターネットのブラウザでさまざまな記事を開いていった。そこに書かれている情報を拾い集めながら、今後俺が取るべき行動を思案していた。思いつく限りでは、ゴキブリ用の殺虫剤を購入するというものであったが、それでは英雄的な物語にはならないのである。
たまにはスマホを使ってみようかと思って、光を照らしながら自分の部屋に戻ってみた。相変わらずゴミが散乱した空間であったため、俺は他にやることがないかと掃除を検討していた。俺の能力では三日以上を必要とするに違いないが、それだけの時間は待っていられない。抜本的な対策が求められているのである。
「誰か友達に連絡してきてもらった方がいいのではないかな。ゴキブリに耐性のあるやつなんて誰かいたっけ? 智樹とか大丈夫か。あるいは伊佐次とかは?」
俺は疑問に思ったことを口に出しながら部屋の足の踏み場でぐるぐると回転していた。視界が蠢いていく中で、俺は自分のスマホに目を落として、連絡用のアプリを開いていた。この部屋に入れる人間がいるものだろうかと、想像しながら文字を打ち込んだ。それぞれ「今から来てくれない?」であった。
俺の期待に沿うように二人からは好意的な反応が返ってきた。これならば問題なくゴキブリに対処できると確信に変わった頃、まずは智樹が俺の部屋まで来た。俺は彼に自分の部屋を見せないように、扉を閉じて玄関の外で対応した。彼の手が俺の扉の取手部分に伸びているのを阻止しようと少し躍起であった。
「そろそろ入らせてくれよ。お前の部屋がどうなってるかとか今世紀最大の関心事じゃないか」
そうやって俺の扉が勝手に開いていった。俺をすり抜けるように部屋に入っていかれた智樹はまず悲鳴をあげた。それほど酷いものを見せられたのかと少し悔しい気持ちになったが、俺は仕方がなく「こんなもんだ」と返した。それから足の踏み場を俺の足で作ってあげるようにして、「まあ座れよ」と彼の肩を叩いた。
智樹はとりあえず俺の部屋に座って、「どういうことだよゴミ屋敷」と俺を最大限に罵倒した。俺は少し不満げな表情を浮かべて、お前の部屋も所詮こうなるだろうと言いたかったが、我慢した。顔に血が上っていたのか、少し熱い額に右手を当てて「お前、ゴキブリの殺し方知ってるか?」と尋ねた。
「そんなの適当にスリッパで叩き潰せばいいじゃないか。お前のことだからその程度の勇気もないんだろう。俺も初めは驚いたけど、このくらいの環境で生きていけなければ人間なんて失格なんだよ。健康で文化的な最低限度の生活を俺が下回って更新してやるくらいの気概を持てなきゃ生きていく資格なんてない世界だ」
智樹が言っている内容には共感できなかったが、俺の視界に入っていた本が乱雑に放置されていた棚に蠢く影を目視した。俺は身を引くように立ち上がって、「そこにいる」と智樹に見えるように指を差した。すると今度は扉を叩く音がしたので、開いてみると伊佐次が来ていた。俺は彼を強引に自分の部屋の中に引き込むようにした。
さながら掃除機のようだと感じている時にもう一人の友人は「それにしてもお前の部屋はお前みたいだな」と皮肉めいたことを言ってきたので「お前も大概お前みたいな部屋の主人のくせに」と返してあげた。このままでは話にならなかったが、とりあえずゴキブリを退治する手段を三人集まれば文殊の知恵ということで解消できる期待が高まった。
俺はとりあえず二人にこの部屋のことを任せるとして退出した。扉を閉じて耳を澄ませながら彼らが何を話して位いるのかを聞こうと試みると、「なんでこんなところに閉じ込められているんだよ」という会話が聞こえてきた。俺は彼らの言うことを尤もに思ながら、スマホのメッセージアプリに「お前らの所業の故」と送りつけて、適当な店にゴキブリを殺すための道具を買いに行くことにした。
二人がそのまま俺の部屋に止まっていてくれるかは不明だったが、俺は近くのショッピングセンターへと足を運んで、さまざまな人が行き交っている中を散策していた。一つや二つの店に入ればすぐさま手に入るものではなかったから、俺は商品棚が並べられている多くの店を偵察するようにゴキブリに抵抗していた。
その時が終わったのはある店の棚に小さなナイフを見つけたからであった。俺はプラスチックタイプの包装されていたナイフを手にとって、それを天に振りかざすようにした。まさしく勝利を迎える時が近づいていた。俺は二人に「これは勝った」と連絡して、右ポケットの財布を握りしめて店のレジまで走っていった。
購入は簡単に済ませられたが、店の主人はどこか不機嫌な様子で俺を歓迎してはいなかった。そのことを気がかりに思いながら店を出ると日は傾いていて、通りを歩いている人の姿もまばらに感じられた。ショッピングセンターの内部ではあったから、その寂しさも少しは紛れていた。
俺はそれを手に握りしめると危険であると察知していたから、レジ袋の中に大切にしまったまま歩き始めた。車の黒っぽい窓ガラスに自分の顔を映してみると、どこか楽しげに見えた。そんなことを気にしている場合ではないと、俺は守護神を頼んでいた智樹と伊佐次のところへと急いでいた。途中警察に捕まるでもなく、そもそも俺は職質などを受けた経歴がなかった。
自分の部屋の扉の前に立って、このアパートも古くなったものだと振り返った。扉が並んでいる外の通路は淀んだ水を先日流していたような跡があって、どこか不思議な静けさが漂っていた。俺以外の人間も俺と同じ問題を抱えて生きているのだろうかと感じつつ、二人が待っているはずの扉の奥へと姿を消した。
すると二人は俺の部屋の掃除をしてくれていたようで、足の踏み場を無理やり作っていたような部屋は整理整頓が完了していた。本はかつてあるべき場所ではなく俺の足の横にあったはずなのに、今や棚に余裕を持って整列していた。その様子をどこか不気味に感じつつ、満足げな表情を浮かべていた智樹と伊佐次に対面した。
「片付けてくれたのはありがたいけど、一番大事なのはゴキブリをどうにかすることだろう? こうやって綺麗になった部屋には逆に隠れどころが多いんじゃないか? 俺は俺の部屋を知っているから今まで問題をどうにかしてきたけど、今ではお前らの部屋のようだからどうにもならないかもしれない」
「いや、大、何を言っているんだ。お前が言っていたゴキブリはもうとっくに退治してゴミ箱の中に捨ててしまったぞ。お前が部屋を掃除せずに放置していたからこうなったんだろう。お前が全部悪いんだよ。お前が早いこと自分の怠惰で堕落した生活を見直していれば俺たちがほぼほぼ無償で働くハメにもならなかったんだから」
「それはそうかもしれないが、俺はゴキブリを殺すためにナイフを買ってきたんだよ」
そう言ってレジ袋の中から自分が買ってきたものを取り出した。俺はその包装を解いて金属面を彼らに見えるように光らせた。少し不穏な空気が流れているような気がしたが、それを一旦地面に置いて、彼らには感謝の意を表した。とにかくゴキブリが討伐されているのであれば、しばらくは生きていける。そのあとでおそらく俺の部屋は元の状態に戻っているだろう。
色を取り戻したような俺の部屋には三人の男が俺を含めて互いに向き合うように座っていた。テーブルが使用可能になっていたのでそれを囲むような状態だった。俺は明日から大学へ通わなければならなかったから、そのことで彼らと話をしたかったが、どうやら多少機嫌が悪そうな雰囲気を醸し出していた。
「ありがとう。お前らのおかげで助かったようなものだ。だからお礼と言ってはなんだが、明日の昼飯は俺が奢ってもいい」
「俺たちが求めているのはそんなことではなくて、お前が不摂生をやめて真っ当に生きてくれることなんだよ。今の生活を続けていたらゴミに飲まれてお前がゴミになるだけなんだから。俺たちの友達でそんな人間が未だかつていなかったから、不安で仕方ないよ。お前のためだけではなくて俺たちのためにもなるんだから、もう少し自分の生活習慣を見直すと言うのはどうなんだ?」
「わかった。わかった」
そんなことを言いながらも、俺の意識はすでに明日からのことに向いていた。とりあえずゴキブリ問題は解決していたので、あとは寝るまでの時間を平穏に過ごせるかどうかが気がかりだった。そこで二人の男を退席させるべく、何をすれば満足して自分たちの家に向かってくれるかを思い描いていた。
特になんら有効な策が出ないまま、彼らは俺の部屋に居座って談笑していた。それも俺をダシに話をするものだから、俺の居心地はさらに悪化していく。このまま部屋に残られれば、俺のメンタルが削られていく! そう心に浮かんだ叫びを伝えぬまま時間はさらに過ぎていった。
インターネットを開いて検索していたブラウザのタブを消去しながら、俺は今日という一日の使い方を反省していた。彼らを呼ぶ必要はあったかもしれないが、彼らをもう少し丁重に扱うべきだった。俺のために貸しを作らせていたので、どこかで返す必要があった。その時がすぐに訪れれば良いと思いながら、俺は自分の部屋に寝転んだ。




