第五話 体熱転化術 - 結末
# 『体熱転化術』(Körperwärmetransmutationskunst) - 結末
一ヶ月後。東京の中心部に新しい建物が完成していた。Feuer-Mensch-Harmonie-Institut(火人調和研究所)。伝統的な東洋建築と最先端のバイオテクノロジーが融合した施設は、夜になると青紫色の柔らかな光を放っていた。
内部では、かつてのBrandhüterたちが新たな目的の下で研究を続けていた。彼らの多くは人間の姿に戻ることを選んだが、一部は龍崎と共に新たな道を歩むことを決めた。彼らの体は人間と炎の中間状態にあり、Zwischenträgern(中間担体)と呼ばれていた。
「龍崎所長、データが揃いました」
声をかけたのは神倉美咲だった。彼女の体は通常の人間に戻っていたが、瞳の奥には小さな青い炎がまだ灯っていた。彼女は主任研究員として、体熱転化術の新たな可能性を探求していた。
「ありがとう、美咲」
龍崎の姿は大きく変わっていた。彼の体は半透明で、内部からは青紫色の光が脈動している。動くたびに、空気中に光の残像を残した。彼は微笑み、データパッドに表示された情報に目を通した。
「Wärmeausgleichsprozess(熱平衡プロセス)の第三段階が安定しているな」
「はい」美咲は頷いた。「被験者全員が良好な反応を示しています。火毒症の症状が90%軽減されました」
これは彼らの主要プロジェクトの一つだった。火凰気茶や他の熱系薬剤の副作用に苦しむ人々を救う治療法の開発。龍崎が発見した「調和の炎」の特性を利用したものだ。
「夏目財閥からの新たな接触は?」龍崎は窓際に歩みながら尋ねた。
「ありません」美咲は答えた。「琴子は公式には体熱転化術の研究から手を引いたと発表しています。神倉製薬も同様です」
龍崎は東京の夜景を見下ろした。彼の視覚は通常の人間のものではなく、建物の壁を通して熱のパターンを見ることができた。街中の人々の生命の輝きが、星々のように彼の目に映った。
「彼らが諦めたとは思えないな」龍崎は静かに言った。「より隠密に研究を続けているだろう」
「その可能性は高いですね」美咲は彼の隣に立った。「特に第二薬方変異計画について」
第二薬方変異計画—彼らが火室で発見した資料に言及されていた秘密プロジェクト。体熱転化術はその一部に過ぎなかった。
「他の変異形態についての情報は?」
「断片的なものだけです」美咲はデータパッドを操作し、いくつかの図表を表示させた。「水流操作法、風圧増幅術、土壌融合技術...いずれも初期段階と思われます」
「五行思想に基づいた体系化か」龍崎は考え込むように言った。「古代の知恵と量子科学の融合...」
「五行目の金属親和術についての情報は見つかりませんでした」
龍崎は頷いた。「彼らの計画では、各元素に対応した変異体を作り出すつもりなのだろう。私たちは火...次は他の元素の担い手も現れるかもしれない」
部屋の中央にあるホログラフィック装置が起動し、東京の三次元地図が表示された。地下ネットワークと表面世界の複雑な相互関係が示されていた。
「Wasserzone(水域)の活動が活発化しています」美咲は地図上の青く点滅する領域を指し示した。「旧下水道システムの一部に、熱パターンとは異なる異常なエネルギー波形を検出しました」
「水流操作法の実験か...」龍崎の表情が引き締まった。「早速調査が必要だな」
彼はデスクに戻り、引き出しを開けた。中には小さな容器に入った青白い液体があった。改良版の触覚投影膏だ。水中での使用に適応させたもの。
「一人で行くのですか?」美咲は懸念を示した。
「ああ」龍崎は液体の入った容器をポケットに滑り込ませた。「Zwischenträgernとしての私には、水域での活動も可能だ。炎と水、相反する元素の理解が必要になる」
彼の体が明るく輝き、より人間に近い姿に変化した。炎の担い手としての力を制御し、一般社会で目立たないようにするテクニック。それでも、注意深く見れば彼の皮膚の下を青い光が流れているのがわかるだろう。
「私が不在の間、研究所を頼む」
美咲は深く頭を下げた。「お気をつけて。水の担い手たちが敵対的かどうか、わかりませんから」
龍崎は微笑んだ。「元素間の抗争ではなく、調和を目指すんだ。それが私たちのFeuerphilosophie(火の哲学)だ」
彼は出発の準備を始めた。東京の地下深くに潜む新たな変異の謎を解明するために。
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同じ頃、東京湾に浮かぶ豪華な人工島。夏目財閥の秘密研究施設で、夏目琴子は巨大な水槽を見つめていた。水槽の中では、人間の形をした何かが泳いでいた。皮膚は半透明で青みがかり、指の間には薄い水かきが形成されていた。彼らの動きは超人的に流麗で、水中で呼吸しているようだった。
「水流操作法の第三段階は予定通り進行していますね」琴子の横に立つ科学者が報告した。
「ええ」琴子は満足げに微笑んだ。「龍崎の体熱転化術の革新は、私たちの計画を早めたわ」
彼女の腕には細い青い模様が浮かび上がり、光を放った。彼女もまた変化しつつあった。
「Wassermenschプロジェクト(水人計画)は間もなく完了します」科学者は続けた。「次のフェーズに進みましょうか?」
琴子は静かに頷いた。「ええ。五行変異の完成形へ」
彼女は水槽に近づき、ガラスに手を当てた。水中の存在が彼女に向かって泳ぎ寄り、同じように手をガラスに押し付けた。二人の手が合わさる場所で、不思議な青い光が生まれた。
「龍崎が私たちの施設を調査に来るでしょう」科学者は言った。「迎撃の準備を?」
「いいえ」琴子は微笑んだ。「彼を歓迎しましょう。彼もまた私たちの計画の一部なのだから」
水槽の中の存在が微笑み、その目が青く光った。
「五行の真の目的は抗争ではなく、統合なのです」琴子は言った。「龍崎はすでに火の道を歩んでいる。次は水...そして最終的には五行すべてを統合した新たな人類の誕生へ」
島の下、深い海の中で何かが動いた。巨大な影が海底から立ち上がり、水流のパターンを変化させていた。それは自然のものではなく、人工的に作り出された水流の渦。
東京は知らぬ間に、第二の変異の波に飲み込まれようとしていた。
龍崎の新たな旅が始まる。炎の担い手から、五行の調和者へと至る道のりが。
~第五話 終~