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虹のまち  作者: はんどろん
 
7/13

07.

 お父さんがいなくなってからの日常は、ますます平淡なものになった。

 わたしはもともと人の言うことを聞かない子供だったけれど、それからはますます他人の言葉に耳を貸さなくなった。全てが意味のないことに思えたからだ。言うことさえ聞いていればお父さんを引き止めておけると思っていたわたしは、それができなかったことで、他のことに対しても意味を見いだせずにいた。

 アパートに残されたのは、血の繋がらない母子二人。血が繋がらなくとも、お母さんがいただけましなのかもしれない。お母さんは、他の家のお母さんと同じ様に母親としての義務を果たしてくれていたから。

 わたしとジュンちゃんは、小学生六年になった。相変わらずジュンちゃんはわたしに付いて回ったし、わたしはそんなジュンちゃんを無視するわけではなく、ただ一緒に歩いた。

 その頃にはジュンちゃんは、猫みたいな警戒心をひっこめて普通の男の子 みたいになっていた。友達とよく遊び、ふざけ合って、よく笑う普通の子供。学年みんなが友達の人気者。それでも孤立したわたしと一緒にいた。

 友達とはよく喋っても、ジュンちゃんはわたしといる時あまり喋らなかった。話しかけてくるのはいつもジュンちゃんの方からだったけれど、わたしが気のない返事ばかり返していたからかもしれないし、内心わたしの扱いに困っていたんだろう。たまに目が合うと気まずそうに反らされることもあった。ただぼんやりと景色を見ながら一緒に歩く。

 ジュンちゃんは、河川敷を通るたび気まずそうにしていた。大きな川の上にかかる大きな橋を見ては、息を詰まらせていた。わたしにとっては、通り過ぎてしまえば全然どうってことない出来事の一つにしか過ぎないのに。それよりも一緒に大きな虹を見れなかったことが悔しかった。あんなに大きな虹は、もう二度と見ることができないかもしれないのだから。

 わたし達が中学校に上がったばかりの頃、ジュンちゃんは見目の良さと人付き合いの良さから、ますます注目されるようになった。小学校が同じだった子たちもほとんどが同じ中学校に通うことになったけれど、他校の子達も一気に増えたからわたしはその中に埋もれた。最初は話しかけてくる子も結構いたけれど、わたしの愛想のない態度に会話することを諦めたりうんざりして離れていった。気付いたら変わり者として嫌煙されるようになっていたけれど、そのくらいが丁度よかった。

 ジュンちゃんは、相変わらず朝迎えに来る。この頃になると、家の前で待たずにチャイムを鳴らして入ってきては、お母さんと話しをしたりテレビを見たりして家の中で待つようになっていた。

 あの頃に身に纏っていた気まずそうな雰囲気は、時間が経つにつれてなりを潜めていった。もしかすると隠すのが上手くなっていってるだけかもしれなかったけれど、ジュンちゃんはまるで普通の幼馴染みたいにわたしを扱うようになっていった。わたしは相変わらず無気力で、中学生になると、別に派手な行動をとるわけではなかったけれど遅刻したり授業を抜け出したりで、先生からは注意の目を向けられていたと思う。見た目が真面目そうに見えたのか、その分担任には何か原因があるのではと勘繰られた。別に理由があったわけではなく、性格がぐうたらなだけですよ、と答えると目を円くされたけれど。

 小学生の頃は三組しかなかったクラスが、中学生になると一気に七組に増え、わたしとジュンちゃんは当然のように別クラスになった。偶然同じクラスになったのは、三年生の時。けれどわたし達は、教室で言葉を交わすどころか目を合わすことさえ滅多になかった。だから、小学校が同じだったごく一部の子たち以外のクラスメイトたちは、わたし達が知り合いとさえも思わなかったんだろう。文化祭の時、ジュンちゃんの方から話しかけてきた時があった。羊、とあだ名で呼ぶジュンちゃんとそれに返事をするわたし達をクラスの子たちが目を円くして見ていたのを覚えている。そのあとすぐに同じ小学校だった子たちが、わたし達の関係を代わりに説明していたことも。わたしがジュンちゃんに付き纏って出来上がった奇妙な関係。

 そのことで空気みたいに静かに過ごしていたわたしに、一気に悪意と好奇心の入れ混ざった視線が向けられるようになった。中学生くらいの子は、自分の欲望に忠実で、敏感で、むき出しの刃みたいだ。いじめまでとはいかないけれど、その時から陰口を叩かれたりちょっとした嫌がらせを受けるようになった。それにうんざりしたわたしは、ますます授業をサボったりしてますます目をつけられるという悪循環。幼いわりに巧妙なクラスメイトたちは、ジュンちゃんにはばれないように上手く立ち回っていた。

「お前さ、いくら義務教育中だからって、そのサボり様はやばくない?」

 わたしが滅多に使われない五階の廊下で授業をサボっていると、同じく授業をサボったらしいジュンちゃんがやってきて早々そう言った。力の抜けた様子で言われたその言葉は、あまり説得力がない。

「まだ、大丈夫だよ」

 勉強は嫌いなわけではなく、苦手でもない。テストでそれなりの点数をとっておけば、そこまでやばくはない。お母さんである温子さんは、放任主義だ。それにそこまで学校生活に重きを置かない一風変わった人だった。ただ、高校までは行っておくべきだとは言われているけれど、逆に高校を卒業さえすればその他の学校生活は大して重要ではないという。楽しいならそれでよし、つまらないならそれはそれ。

 ジュンちゃんはわたしのすぐ隣に腰を下ろすと、腕を伸ばしてうーっと呻いた。わたしは立てた膝にあごを乗せてその様子を眺める。少し伸びた襟足が、詰襟のところでくるんと跳ねて面白い。

「ねえ、ジュンちゃん。学校ってつまらないね」

 ぽつりと言うと、ジュンちゃんは目を円くしたあと小さく肩を竦めた。

「お前はなにしててもつまらなさそうだよ」

 確かに。そんなに楽しいと思ったこともなければ、感動もしたことがない。ほんの小さな頃はまだそんなことがあったかもしれないけれど、思い出せない。今がそうなのだから、この先もそうなんだろう。途方もない人生は、きっとこの先もつまらない。

「だって、つまらないから。他の人たちがどうしてあんなに楽しそうなのか、分からない。……ジュンちゃんは? ジュンちゃんは、楽しい?」

 セーラー服の襟を指先で弄りながら聞くと、ジュンちゃんはどうしてだか少し悲しそうな顔で笑った。

「まあ、いつだって楽しいわけじゃないけど、それなりに楽しいよ」

 人並みの答えに、わたしは少しだけがっかりする。

 小学生のころ、仲間だと思っていた男の子は実はわたしとは随分と違う人種のようだと分かったのは、学校を卒業する少し手前だった。ジュンちゃんは元来、明るくて人好きのする性格だったんだろう。だから、わたしのお父さんにまで嫌悪感を抱いて、怒りの感情を向けた。そう思うと、ジュンちゃんは少し可哀想だ。よく動く感情は、本人も振り回すことがある。ジュンちゃんは、ジュンちゃんのお父さんに触れられることで、元の性格を覆い隠してあんなにも他人に警戒心を抱いてしまうほどだったのだから。

「かわいそう」

 思ったままに呟くと、怪訝そうな顔をされた。

 最近、学校でよく自分達の将来についての話しをされることが多くなった。どんな高校に行きたいとか、もっとその先の、大人になった時のはなし。完全な子供でなくて、全然大人でもないわたし達に教師達は自分の体験談やその他の人の人生の話しをする。そして、わたし達がどれだけ恵まれているかを他の国の子供たちの話しを出して語る。

 立てた膝の上に置いた腕の中に口元を埋めて、ぼんやりとジュンちゃんを眺める。ジュンちゃんは、相変わらずきれい。小学生の時はわたしの方が少しだけ背が高かったのに、中学に上がるとあっと言う間に越されてしまったけれど、それはまだ大人にはなりきれていない。華奢だけどぐんぐん伸びていく背はなんだか不安定にも見えた。

 ふと、手が伸びてきて触れられるかな、と思って目を瞑ると、間を置いて、長く伸びた黒髪をつんと引かれた。

「ほんの少しでも心が動いたら、楽しそうにしてろって。もしかしたら、それが本当になるかもしれない。本当にならなくても、それだけでちょっとは生き易くなるよ」

「……なにそれ。全然楽しくないのに、楽しそうになんてできないよ」

 そう返すと、ジュンちゃんは本当に楽しそうに笑った。なにが楽しいのか分からなくて、わたしは顰め面でジュンちゃんを見た。少しふてくされた気分になる。それとも、それも楽しいふりなんだろうか。

「ジュンちゃんは、本当に楽しいの?」

 言いながら髪を掴んでいる手に触れると、息を呑む気配がした。いつの間にか大きくなった手に手を絡めて、指を弄ぶ。触れた手は、少しだけ冷たかった。もう冬がすぐ近くにきていて、空気も少しずつ冷たくなっている。照明の点いていない、薄暗い廊下に流れる空気も冷たい。

 なんとなく触れてみたくなって触れたけれど、そうすると体中の力が抜けて眠くなってくる。どうしてか、ジュンちゃんの指を弄びながらぼんやりとした頭で河川敷の風景を思い出していた。ジュンちゃんがあのアパートにやってくるずっと前から、わたしはあの河川敷の近くで暮らしていた。ジュンちゃんが聞いたら驚くかもしれないけれど、本当のお母さんとお父さんとわたしとで、お母さんの作ったお弁当を持ってピクニックみたいなことをしたことだってある。

 手のひらまで届くカーディガンの袖で指先を擦ると、くすぐったかったのか大きな手はぴくりと動いた。

「……本当だよ」

 また、少し哀しそうな顔で微笑む。本当なら、そんなに哀しそうに言わなくてもいいのに。そんな風に微笑む理由が、わたしには分からない。分からないことに、また少しがっかりする。

 わたしがジュンちゃんのあとを付いてまわっていた時も、心の奥底まで一緒だったらいいのにと思ったことなんてない。あの頃はそんなことまで考えていなくて、ただ無心にジュンちゃんに付いていった。立場が逆転しても、それは今も同じはずだ。ただただ、無心。わたしは深く考えない。考えれない。けれど、ジュンちゃんの言動に対して自分勝手にがっかりすることがたまにある。

 手の甲の出張った骨の筋を指で辿ると、ばっと振りほどかれた。

 見上げると、ジュンちゃんは少しこわばった様な表情をしていたけれど、すぐにそれは呆れた様なものに変化した。大きなため息をはあっと吐いて、わざとらしい仕草で手のひらを額に当てる。

「……お前って、本当子供のまんまだよな」

 まだ大人の要素の方が断然少ないジュンちゃんに、本当に呆れた様子で言われて、それが可笑しくてわたしは少し笑った。







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