06.
「……羊、お前なぁ」
「なに?」
いつもの場所で、いつも以上に呆れた表情で見下ろしてくるジュンちゃんをわたしは寝転んだまま見上げた。
凍てつくような風の吹く、屋上。制服の上に何もきないまま寝転がったわたしの腕を引っ張って、ジュンちゃんは無理やり立たせた。
「風邪治ったばっかりなのに何やってんだ。死ぬぞ」
「凍死って意外と心地よいらしいよ」
そう言うわたしの言葉を無視して、ジュンちゃんは自分の首に巻いてあったマフラーをわたしの口元までぐるぐる巻きに巻きつけた。ついでにすっかり冷え切った手に、ブレザーのポケットに入れていたカイロを押し付けてくる。感覚のなくなりかけた手のひらに、じんわりと温かさが広がった。
「あんまり寒くないのに」
「いやいや。すっげー寒いから。お前手、凍りみたいに冷たいから」
「それがあんまり感じないんだな」
そういいつつも手に持ったカイロを擦り合わせた。
わたしは昔から暑さや寒さに鈍感だ。寒いとは分かっていても、身の縮こまるような思いはしたことがない。夏場なんかは凄く暑い日でも汗をかかずに、自分でもよく分からずにいるものだから、倒れてしまったりとか、脱水症状とか起こしてしまうことが多い。寒さや暑さだけじゃなくて、昔からわたしはよくぼんやりとした空気に包まれることがあった。歩いていても、まるで夢見心地で全てが現実味を失って、地面がふわふわしたりすることがあるのだ。
ジュンちゃんは顔を顰めて、わたしの手首を掴んで引っ張った。
「入るぞ」
なんだか、少し怒ってるような低い声だ。
わたしはそのことに気づくと、黙ってジュンちゃんに従った。
扉の中で、カップルがいちゃいちゃしていたけど、わたし達に一瞥しただけで大して気にした様子もなくすぐにいちゃいちゃに戻った。
そんな所で、寒くないの? と、自分のことなんて棚にあげて思ってみる。いちゃいちゃする人たちを見て、ああ、二人ともくっついてるから温かいんだね。と勝手に結論づけた。
ジュンちゃんはカップルを見つめるわたしに気づくと、苦い顔をした。横を向いていたわたしの顔を前に向かせて、黙ったまま手を引いて階段を下りた。
授業が終わったばかりの廊下や階段で、冬の装いの生徒達が談笑しあったり、ふざけ合ったりして騒がしい。同じ学年の子達は、ジュンちゃんがわたしの手を引いてるのを見てぎょっとして話しを中断すると、じっとわたし達の様子を眺めた。
そういえば、わたしとジュンちゃんが喋ったりしてるのを見たことがあった人でも、こんな風なわたし達を見た人はいないのかもしれない。ジュンちゃんはクラス内だけじゃなく、他のクラスや違う学年にも男女関係なくたくさん友達がいて、大体の人は、人の良いジュンちゃんが我侭なわたしに付き合わされているんだと思ってる。別にわたしもジュンちゃんも、それをわざわざ否定するつもりもなかった。前にジュンちゃんを好きな子達に漫画みたいに囲まれたこともあったけど、その時も否定はしなかった。
今はわたしからジュンちゃんに近づくことなんか、あまりないのだけど。
「ジュンちゃん」
「――ジュン!」
わたしの小さな声を遮るようにジュンちゃんの名前を呼んだ声の方へ振り返ると、ジュンちゃんの友達が数人集まってジュンちゃんの方を見ていた。男の子四人と、女の子二人。みんな垢抜けた感じで、活発そうな子たちだ。六人は楽しそうな微笑みをジュンちゃんに向けるのと同時に、わたしにもちらちらと視線を送る。
「これからカラオケ行くんだけど、一緒に行かねえ?」
この前、体育の時間にもジュンちゃんを呼んでいた男の子だ。わたしのクラスメイトの、目のくりっとした女の子の肩に腕をのせている。その子はそう言うと、わたしの方をちらりと一瞥した。
人のいいジュンちゃんを我侭なわたしから助けるつもりだ。
「……じゃあ、わたし先に帰るね」
別に約束していた訳でもないけれど、わたしはそう言うとジュンちゃんに掴まれていた手首を振りほどいた。
こういう事は結構ある。その度にジュンちゃんは申し訳無さそうに苦笑すると、友達たちと一緒に行った。今日もそうすると予想していたわたしの手を、ジュンちゃんは再び掴んだ。わたしも含めて、みんな少し驚いたようにジュンちゃんを見る。
「あー悪い、今日はちょっと用事があるんだ。今度また埋め合わせするからさ」
そう言うと申し訳なさそうに笑った。
そうして、友達の返事も待たずにわたしの手を強い力で引っ張って、廊下の人ごみを掻き分けてまた歩きだす。途中でジュンちゃんの友達が何人もジュンちゃんに挨拶しては、訝しげにわたしの方にも目を向けた。そういえば、ジュンちゃんのマフラーを首に巻いたままだったっけ。
「ジュンちゃん、どうしたの?」
ジュンちゃんは黙ったまま歩き続けて、ようやく人気のないところにつくと、足を止めて振り返った。
「……羊、瀬沢さんの家を出たんだって? で、今日そのままアパートに帰るつもりなんだ?」
「自分の家に帰っちゃダメなの?」
責めるように訊くジュンちゃんに、わたしも少し苛立ってそう返した。
ジュンちゃんも、そんなわたしの態度に苛立ちを露わにする。顔を顰めて、睨むように見つめてきた。
「あの親父と、また一緒に暮らすつもりかよ。……お前、自分が何されてきたのか忘れた訳じゃないだろ」
苦々しく吐き捨てるようにジュンちゃんは言った。わたしは「忘れてないよ」と呟く。わたしも、ジュンちゃんほどじゃなくても、多分苦々しい顔をしている。
「だったら……!」
「ねえ、ジュンちゃん。瀬沢さん、昔わたしとジュンちゃんをあの河川敷で見たことあるみたいだったよ」
「……知ってる」
なんだ、知ってたのか。
瀬沢さんが言ってた「女の子ふたり」は、なんとなくわたし達のことだと思ってたけど、やっぱりそうだったみたいだ。これから言ってはいけないことを言おうとしているわたしは、少し肩を竦めた。
ジュンちゃんもわたしのこれから口にすることに勘付いたのか、眉ねに皺を寄せた。
わたし達の間にあるもの。何年も、一度も口にしなかったこと。それを食い止める為か、ジュンちゃんは先に口を開いた。
「瀬沢さんは、俺の叔父さんなんだ」
「そう、なんだ」
「俺がされていることに気づいて、俺を助けてくれた人」
「じゃあ、恋人じゃなかったんだ」
「まあな……」
ジュンちゃんを助け出したひと。そんな人がいるなんてわたしは知らなかったけれど、不安定なジュンちゃんが小学校の卒業の時にはやけにすっきりした顔になっていたのは気づいていた。学年が上がるごとに、ジュンちゃんは他人を受け入れるようになっていた。それと反比例するように、わたしは他人との関わりを持つことに怠慢になっていた。
ジュンちゃんは、大きな穴から抜け出した。わたしはまだそこにいる。抜け出せない。抜け出そうとも思わない。
ジュンちゃんはわたしが話しにのったことに、安心したように苦笑した。
そんな顔を今まで何度見ただろう。わたしの中で、残酷な考えが沸き起こる。
「だから、罪悪感を感じてわたしを泊めてくれたんだね。最初はあの人も、何年もわたしがジュンちゃんを縛りつけてるみたいに感じてたみたいだけど」
わたしは無遠慮に開けられたドアの間から、顔を覗かせた瀬沢さんの表情を思い出した。馬鹿にしたような笑いを浮かべる、ジュンちゃんと造りの似た綺麗な顔。ジュンちゃんを信頼しきった考えを浮かべた顔。
ジュンちゃんは私の言葉に顔を強張らせた。
「――ねえ、ジュンちゃん」
わたしの、憎悪にも似た残酷な考えは止まってくれそうにもない。それに、ジュンちゃんもずっと私に縛られて、疲れたでしょう?
「お父さんのこと、ジュンちゃんがよく言えるね。……わたしにお父さんと同じこと、したくせに」
わたしがジュンちゃんにお父さんとわたしのこと、ジュンちゃんとわたしが同じことを告げるとジュンちゃんは青くした顔を赤くして怒鳴った。
どうしてジュンちゃんがそんなに怒るのかその時のわたしには解らなかったけれど、それでもジュンちゃんに付き纏った。ジュンちゃんがわたしを避けようとすればするほど、わたしはジュンちゃんに付き纏うのに夢中になった。ジュンちゃんはちっとも態度を変えようとしなかった。むしろわたしがあの話しをしてからというもの、ますます冷たくなってわたしを無視するようになり、たまに蔑むような目で見てきた。
ずっとそんな状態が続いていたころ、小学校の帰り道、わたし達は河川敷近くで大きな虹を見た。
「ジュンちゃん、見て。綺麗」
わたしが言わなくてもジュンちゃんもその虹に気づいていたんだろう。立ち止まってじっとその虹を眺めていた。そして、声も出さずにただ小さく頷いた。
ジュンちゃんがわたしの言葉に反応したのは本当に久しぶりのことで、多分無意識だったんだと思うけれど、わたしはそれが嬉しかった。その時わたし達は確かに何かを共有していたんだと思う。言葉を交わさなくても、じっと立ち止まって同じ虹を眺めていた。
その後はまた直ぐ以前のわたしたちに戻ったけれど、それでも構わなかった。わたしはずっと、ジュンちゃんに付き纏った。
小学五年生の冬の始まり、土曜日の午後。
お母さんはその日朝からのパートで出かけて家にいなかった。それは隣のジュンちゃんの家も同じだったらしい。わたしはお父さんと家に二人、ジュンちゃんは家に一人。まるで以前の状況と逆だ。
わたしはぼんやりとした頭で、隣の家で一人でいるだろうジュンちゃんに意識をやった。ほんの少しだけ、お父さんの触れる手がいつもより気持ち悪いものに感じたけれど、それを無視して、その時間が過ぎ去るのをただじっと待った。
お父さんが作ってくれた昼ごはんを食べたあとは、ジュンちゃんの家に向かった。
インターホンを押すと、開けられることはないと思っていたドアが開き、ジュンちゃんが暗い顔を覗かせた。その目は、わたしを見ることはない。長い睫は俯き加減に伏せられている。
ジュンちゃんは靴を履くと、わたしを押しのけてのろのろと階段を下りて行った。わたしはその後を迷うことなく付いて行く。
のろのろと重い足取りのジュンちゃんは、何度も名前を呼びながら後ろをつけてくるわたしをいつも通り完璧に無視していた。けれど、河川敷でふと足を止めるとジュンちゃんはゆっくりと振り返った。 逆行で、ジュンちゃんの表情はちゃんと見えない。川を渡る大きな箸の上を大きな音を立てながら電車が通過したあと、ジュンちゃんはゆっくりと口を開いた。
「……おまえは、平気なのかよ」
「なにが?」
聞くまでもないことだったけれど、わたしはその時本当にジュンちゃんが何を言っているのか解らずに訊き返した。
ジュンちゃんは黙り込むと視線を下げた。その時、何かに気づいたのか視線を一点に留めると瞳を揺らした。
丈の短いワンピースから突き出たわたしの足だ。太腿を流れる生暖かい感覚にああ、と納得する。ぼんやりとしたまま、わたしはそのまま家を出たのだ。お父さんはそういう所は少し無神経だった。というより、わたしがこんなにぼんやりしているとは思わなかったのかもしれない。どうしてわたしはそのままジュンちゃんの家に行こうと思ったんだろう。
「……それ、」
ジュンちゃんは掠れ声で呟いた。わたしはどうすることもなく、ただ突っ立ったまま向かい合うジュンちゃんの次の言葉を待った。
「なんだよ……」
「お父さんの」
自分でも分かるくらい平坦な声でわたしは答えた。
ジュンちゃんは眉ねに皺を寄せると顔を上げてわたしを見た。憎悪のような、何かが篭った目で。わたしは表情を変えることなく歪んでも綺麗な、ジュンちゃんの顔をじっと眺めた。もう夕日になろうとしている太陽が、ジュンちゃんの色素の薄い髪の毛を薄茶色に透かす。きれい。
そんなわたしに、ジュンちゃんがますます瞳に憎悪を籠めていくのが分かった。
「……俺、一度自分じゃなくて、違う誰かを最低な状態にしてみたかったんだ」
ジュンちゃんはそう言うと、籠めたものをそのままにわたしをじっと見ると口の端を吊り上げた。笑っているつもりだったのかもしれない。少し離れた場所でジュンちゃんを眺めていたわたしの所までずんずん進んでやってくると、乱暴にわたしの腕を掴んで引く。わたし達のすぐ隣にあった、背丈よりも高い草むらの真ん中までやってくると足を止めて振り返った。乱暴にわたしを突き倒すと無表情で、だけどやっぱり蔑むような、憎悪の篭ったような目で見下ろしてきた。
「ジュンちゃん?」
「……」
返事をするつもりもないのだろう。無表情のままわたしに近づく。
わたしは耳元で鳴る、かさかさという草の音をただ聞いていた。重なり合う草の音と、ジュンちゃんの息遣いと、遠くで飛行機の飛ぶ音。たまに聞こえる子供の笑い声に自転車のベルの音。
家を出てそんなに経っていないわたしの体は、簡単にジュンちゃんを受け入れた。わたしが違和感を感じない程に。
思ったのは、草とか下に転がる石がちくちく痛いな、と思っただけ。あと、少し経ってから、ジュンちゃんに突き飛ばされた時に擦り剥いた腕がひりひり痛んで気になった。
ぼんやりとした頭に、膜が張ってるみたいな耳の奥。ジュンちゃんの荒い息を耳元で聞きながら、ぼんやりと揺れる曇り空を眺める。ただ、眺めるだけ。
抵抗もしなかったのがいけなかったのか、ジュンちゃんは憎悪の篭った顔でわたしを睨んできた。けれど、その中にはいつものジュンちゃんとは違って、お父さんが見せるものと同じものが混ざっていることにわたしは気づいていた。
わたしは自分の中で微かに湧きあがってくる感情を気に留めず、多分表情のない顔でそれを見返す。
揺れ動く空を殆ど無意識に眺めていたわたしが、空にかかる大きな虹に気づいたのはそんな状態が暫く続いてからだった。
もしかしたら結構すぐに気づいていたのかもしれないし、凄く長い間気づかなかったのかもしれないけど、今となっては記憶は曖昧であんまり覚えてない。けど、その虹の記憶は今でもはっきりと思い出せる。
「……ジュンちゃん、みて、きれい……」
わたしの呟くような声に気づいたのか気づかなかったのか、どちらにしろジュンちゃんはわたしの声に反応することはなかった。
ジュンちゃん、見てよ。虹が凄く綺麗だよ。前に見たのなんかよりずっとずっと大きいんだから。
どうして見てくれないの。地面に転がってるわたしなんか見てないで、一緒に虹を見ようよ。
わたしは思っただけでそれを声に出すことはなく、一人でじっと虹を眺めていた。ジュンちゃんと結局その大きな虹を見ることが出来なかったことにわたしは少なからず落胆した。ジュンちゃんに何をされたかだなんてわたしにとっては大したことじゃなくて、ただ、一緒に虹を見れなかったことが悔しくて、見てくれなかったジュンちゃんに少しばかりの憎しみを抱いた。
ジュンちゃんは飽きたのか、気が納まったのか、ふいに立ち上がってわたしを見下ろしてきた。
無表情に見返すと、傷ついたような、恐ろしいものを見るような顔で一瞬わたしを見たあと、みっともない姿で直も転がったままのわたしの前から逃げるように走り去ってしまった。わたしは虹が見えなくなってしまった空をじっと眺め続けていた。何を思っていたわけじゃなくて、その時のわたしの頭の中は真っ白になっていた。
ジュンちゃんがそれから辛く当たってくることはなかったけれど、前以上にわたしを避けるようになった。ただ、以前の視線でわたしのことを見てくることはなかった。わたしを、全く見ないようにしているような感じだった。それでも、馬鹿なわたしはずっとジュンちゃんについて回った。自分でもどうしてだか分からない。ジュンちゃんも次の日にわたしが変わらずに付きまとってくることに驚いていたようだった。
まるで鳥の子供の刷り込みだ。ひたすらについていく。もう癖みたいになっていたのかもしれない。
ジュンちゃんがわたしに優しくなったのは、それよりもう少しあとのこと。
お父さんがわたしを置いて家を出てしまってからだった。
朝、学校に行こうと家を出ると前の日の夜に家を出て帰ってこなかったお父さんが、アパートの狭い廊下で手すりに凭れて立っていた。
お父さんは多分、私が出てくるのを待っていたんだと思う。家から出てきた、両肩に引っ掛けたランドセルを両手で持ってぼんやりとお父さんを見ていたわたしに気付くと、いつもの優しそうな顔で笑った。その笑い顔は、優しいけれどわたしにはいつも少し悲しそうにも見えた。
お父さんは突っ立ったわたしの方までゆっくり歩いてくると、優しくわたしの頭を撫でた。いつもの少し情けない顔で微笑みながら。嗅ぎなれた油絵の具のにおいが鼻を突く。
わたしはどうしてだか、急に熱くなった目頭から涙が零れないように目を見開いた。
お父さんは何も言わずに数回優しく頭を撫でた後、ゆっくりと歩いて行った。
わたしは、その姿を知っていた。昔、お母さんもおんなじ風にどこかへ行って、二度と帰ってこなかった。
カンカン、と階段を下りる音がする。
待って。置いていかないで。まって、まって。一人にしないで。
心のどこかがそう叫んでいたけれど、わたしは一歩も動けずにもうすぐ見えなくなるお父さんの後ろ姿を眺めていた。いつの間にか出てきていたジュンちゃんも、いつもは家の前で勝手に待っているわたしが階段の方を見たままぴくりとも動かないのを不審に思ったんだろう。わたしの横を通り過ぎようと横を通った拍子に珍しくわたしの顔を覗き込んできて、そのまま驚いた顔をして立ち止まった。
そういえば、私は随分と長いこと泣いていなかった。ジュンちゃんに突き飛ばされて転んでも、酷いことを言われても、無視されても。
ふわりと吹いた風が、頬に流れた涙を冷やす。
ジュンちゃんは手すりの間から下を覗き込むと、多分お父さんの姿を見つけたのだろう。またわたしの顔を見た。その顔には、「どうして」と書かれている。ジュンちゃんも、わたしの様子でお父さんがただ出かけただけじゃないということが分かったらしい。どうして、お父さんが出て行ったことで、わたしがこんなに泣いているのか分からないのだろう。そんなの、わたしにも分からない。けど、お父さんはわたしのたった一人の家族だ。お父さんに触れられるのはそんなに好きじゃなかったけれど、それでお父さんがわたしのそばにずっといてくれるなら、それでもいいやと思っていたのに。それなのに、お父さんは行ってしまった。わたしをおいて。
その次の日から、ジュンちゃんはわたしを無視しなくなった。いつもより遅く家を出たわたしをいつもとは逆でジュンちゃんが家の前で待っていた。そのまま何も言わずに二人並んで学校へ行った。
どうしてジュンちゃんが変わったのかわたしには分からなかったけど、そんなことどうでもよかった。あれだけ付いてまわっていた癖に、ジュンちゃんがわたしを無視しなくなっても別に嬉しくなかった。
そして、いつの間にか立場は逆転していた。