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虹のまち  作者: はんどろん
 
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01.

 例えば校庭で、渡り廊下で、近所の河川敷で、懐かしいにおいが私に覆いかかるとき。

 私は楽しい思い出から、思い出したくなかったことまで思いだす。

 けれど、もう二度とそんな思い出し方はしないだろうと言い切れるものがある。




「ジュンちゃん、神様っていると思う?」

「なにそれ。おもしろくない。三点」

 冷たい風が吹きすさぶ屋上で、わたしが柵の間から足を突き出して聞くと、ジュンちゃんはため息混じりの呆れた声でそう返してきた。わたしは厳しい採点に眉ねを寄せながら、隣に立つジュンちゃんを見上げる。

 ジュンちゃんはわたしの方を見ようともせずに、校庭で体育の授業を受けている同級生たちを眺めていた。えり足が肩に付く位のさらさらの茶色の髪の毛は、冷たい風でさっきからあっち向きこっち向きしている。

 相変わらず、女のわたしより美しい顔をしてるけれど、残念ながらジュンちゃんは私の幼馴染で一番の友達で、ホモだ。自称、バイだけれど。わたしはジュンちゃんが今まで女と付き合っているのを見たことがないので、ホモに違いないと思っている。

 わたしと、今までいた数々のジュンちゃんの恋人以外は、ジュンちゃんのそんな性癖を多分知らないので、ジュンちゃんは校内に留まらず、もてまくりだ。昨日なんか、他校の生徒が学校の門の前でジュンちゃんを待ち伏せしていた。確かに、柵に頬杖ついてるジュンちゃんの立ち様は雑誌のモデルさながらだけど、真面目に体育の授業を受けるうちのクラスの男達を物色しているのだと思ったら、苦々しい思いを通り越して、なんだか可笑しい。

 わたしは所々錆びた柵の間から突き出していた裸足の指先をぴんと伸ばして、バタ足をする様に空中でぶらぶらさせた。

「……寒くないの?」

 ジュンちゃんは、ぷらぷらと揺れるわたしの足が目障りだったのか、顔を顰めてようやくわたしの方を見た。

「靴、落ちたら困るでしょ」

「靴下も? つか、パンツ見えるって」

「見えないよ。てか、興味ないくせに」

「まあね」

 ジュンちゃんは苦笑しながらそう言うと、再び校庭に目を向けた。

 今が四時間目で、次がお昼休みで、その後が英語とパソコンの授業。目がしょぼしょぼするから帰ろうと思う。

「ジュンちゃんはあとの二時間、出るの?」

「なに、(ひつじ)は帰るの?」

「うん。あとの授業、英語とパソコンだから。目がしょぼしょぼするんだよね」

「お前の将来が心配だ」

 ジュンちゃんはわざとらしく顔を顰めてそう言うと、わたしの隣に座ってわたしと同じ風に足を空中でぷらぷらさせた。わたしの裸足と、ジュンちゃんの履いている学校指定の黒い革靴とでは、子供と大人くらいの大きさの差があった。すぐ隣に座られて少し狭さを感じた私は、意味がないこととは分かっていても、体を斜めに傾ける。

 将来が心配とか言うけれど、ジュンちゃんも結構なサボり魔だ。わたし達はクラスは違うけれど、授業中よくこの屋上で何をするともなしに、一緒に過ごしている。校庭でどこかのクラスが体育の授業をしていれば、ジュンちゃんは大抵男の子ウォッチングをして時間を潰す。いつも会話は少なく、どちらかが思いついたように話し始めることもあれば、お互い全く何も喋らずに一時間を過ごすこともあった。

 長い付き合いになるけれど、実のところ、わたし達に共通の話題なんてそんなにないのだ。というより、わたしには極端に、話すことも話したいこともない。もしジュンちゃんが、多種多彩な話題を振ってきたとしても、きっとわたしは首を傾げてしまうだろう。ジュンちゃんもそれを十分に分かっているから、無理に話題を振ってくることもない。

「昼休みになったら抜け出すよ」

「こんなに天気がいいのに」

「だからこそ、こんな灰色の学校にいたくないの」

「俺にとっては薔薇色だ」

 そういえば、ジュンちゃんのクラスは何故か見た目レベルの高い、男子クラスだった。

 結局、友達は友達よりも男をとるのだ。

 わたしは半目で隣にある顔を見たあと、そのままコンクリートの上に体をあお向けに倒れた。制服の隙間から、冷たい風が緩やかに吹き抜けて、緩やかにお腹を撫でて出ていった。制服を伝って、背中にコンクリートの冷たさがじわじわと伝わってくる。

 ジュンちゃんの言ったように、晴れ晴れとした空には薄くて小さい雲が所々に浮かんでいるだけで、上空の強い風で、追いかけっこしているみたいに次から次へと流れている。殆どがこわい程真っ青で埋め尽くされた広い空だ。

 コンクリートは、冷えたわたしの体を更に冷たく冷やした。

 多分、今のわたしの手と足の先は氷にも負けていない。別に死にたいわけではないけど、このまま氷になれたら、と思う。氷になって、暖かくなってきたら静かに溶けてなくなる。けど、わたしは人間だ。このまま凍え死んで、暖かい温度に晒されれば、ものの数時間で内臓から腐り始めるだろう。まず蛆が湧いて、それが蠅になって腐り始めた体を喰らう。それでも、簡単になくなってしまうことはなく、長い年月を醜く残る。

 わたしはそこまでぼんやりと想像すると、また起き上がって近くに置いてあった上履きの中に丸めた靴下を履いた。そしてそのまま上履きも履くと立ち上がる。

 ジュンちゃんに言ったら、鼻で笑われそうな妄想だ。

「戻るの?」

「うん。あと、二十七秒で鐘が鳴る」

「じゃあ、俺も戻ろうかな」

 ジュンちゃんはそう言うと立ち上がり、わたしの横に並んだ。

 すらりと長いジュンちゃんは、わたしよりも頭一.五個分位大きい。

 わたしは毎回それに気付かされる度に、嫌な気分になった。


 帰り道、ジュンちゃんはわたしの隣を歩く。

 学校へ行く時も、夜中にコンビニに行く時にも、ジュンちゃんはいつもわたしの隣を歩いた。

 壁の薄いアパートでは、隣の住人が出入りする時などがまるわかりなのだ。だからジュンちゃんは、わたしが夜中にコンビニに行く時にも気付いて、何気なくいつもついてくる。

 家の中で喋る時にも、少しでも大きめの声で喋ると隣に聞こえてしまうものだから、プライバシーなんかあったもんじゃない。

「ジュンちゃんって、わたしのストーカー?」

「……なんだそれ。だったら俺、すっごい趣味悪いじゃん」

 ジュンちゃんの失礼な言葉に、わたしは別に反論することなく「まあ、そうだね」と答えた。

 ジュンちゃんは結局、わたしと一緒に午後の授業をサボってしまった。勝手に抜け出したわたしとは違って、ちゃんと、保健室の先生に色目を使って。どうやらジュンちゃんは、年上の女の人にもモテるらしい。

 わたしは馬鹿なことを考えながら、通り慣れた帰り道を歩いた。河川敷には草が生い茂っていて、薄い座布団を踏んでいるような感じだ。時々鳴る砂利を踏む音が心地よい。

 ふわりとした冷たい風で、川独特のあのにおいが鼻に入ってきた。

 そうして、ふと思い出す。小さい頃、ジュンちゃんとよく此処で二人で会っていた。あの頃は、引っ越してきたばかりのジュンちゃんに、わたしが一方的に付き纏っていたのだけど。

 ちらりと横を見ると、ジュンちゃんはわたしと同じ風に思い出していたのか、少し苦い顔をしていた。

 この河川敷には、楽しい思い出だけがある訳じゃない。それは、この河川敷だけじゃなくて、わたし達が住む古びたアパートにも、この町のあちらこちらに色んな思い出がある。いつも一緒にいたわたし達は多分、大半の思い出を共有しているのだろう。

 そこまで思ったわたしは、もしかしたらジュンちゃんはそんなことを思い出して苦い顔をしてるんじゃなくて、わたしが付き纏っていたのを思い出して苦い顔をしているのかな、と思い直した。

 あの頃のわたしは自分で言うのもなんだけど、やたらしつこかったから。

「お前、そーいや昔はしつこかったよなぁ……」

 やっぱり。

 長年の付き合いでテレパシーを取得したのかも。

 しみじみと呟くジュンちゃんの顔を見ると、苦笑していた。

「ジュンちゃんは、冷たかった」

 わたしが言った言葉にジュンちゃんは顔を少しだけ顰めた。

 ジュンちゃんが優しくなってしまったのは、いつからだろう。昔のジュンちゃんは冷たかったけど、わたしは懲りずに付き纏っていた。唯一の、仲間だと思っていたから。

 わたし達はなんとなく黙り込むとゆっくりと歩き続けた。河川敷では、授業が昼までだったのか、小学生位の子達がボール遊びをしている。楽しそうな笑い声が広々とした景色に響いていた。

 この生臭い河川敷で、子供達は笑いあう。

「ジュンちゃん」

「ん?」

「お父さんが、帰ってくる」

 ジュンちゃんは立ち止まると、愕然とした顔でわたしを見た。

 大きく見開かれた瞳に映る、自分の姿を見る。わたしは、今どんな顔をしてるんだろう。お母さんにお父さんが帰ってくることを聞いた時は、少し驚いたけれどなんの感慨も湧かなかった。

「……いつ?」

 中々歩きだそうとしないジュンちゃんに合わせてわたしも立ち止まると、振り返ってジュンちゃんの顔をじっと見た。

 険しい顔をしていても、やっぱりジュンちゃんは綺麗だ。

「多分、近々」

 はっきりとは分からないけれど、それはお母さんがわたしに漏らしたことだった。

 お母さんはつくづく狂っていると思う。娘のわたしも、狂っているのかもしれないけれど。何年も前にふらりと家を出て行ったまま帰らなかったお父さんを、よくまた迎え入れる気になったものだ。

「お前、家出ろ」

「やだ」

「なんで」

「寒いもん」

 ジュンちゃんにはいっぱい友達がいるかもしれないが、わたしには友達一人いない。

 家を出たら、待っているのは路上生活だ。どこかに宿泊するお金もすぐに尽きてしまうだろう。こんな寒い時期に、路上生活なんてありえない。

「路上生活のが、ましだろ」

 ジュンちゃんは真面目な顔でそう言った。

 路上生活をして臭くなってしまったわたしに、ジュンちゃんは近づこうともしないだろうに。というか、女の子に路上生活を勧めるってどうなんだ。それなら、部屋を貸してくれてなるべく関わってこない、友達を紹介してほしい。ホモでもいいから。

「だから、寒いのは嫌だって。凍え死ぬよ」

「寒い中、裸足でいたくせに」

「それでも、いや。家にいる」

 家に、いる。

 結構簡単に口から出た言葉は、わたしが寒さで麻痺している証拠だったのかもしれない。









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