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39.息のできる場所




「リリアンはどこへ行ったんですか?」


ソフィアとヴィンスが戻った時にはもう、リリアンはその場には居なかった。ほんの数分離れていただけなのに、とソフィアは辺りを見渡しながら尋ねる。


「あら、皆さんお揃いで」


しかしその質問にクロードが答えるよりも早く、別の声が割って入った。背中の開いた真っ黒のドレスを着ているグレースだった。

明らかに歓迎されていない雰囲気にも関わらず、グレースは臆することなく会話に交ざる。


「あの小娘は居ないみたいですけれど、ついに尻尾を巻いて逃げたのかしら?」

「……リリアンは少し席を外しているだけだ」


初めは無視するつもりでいたクロードだったが、聞き捨てならない発言につい言い返してしまう。グレースはつまんなさげに息を吐いた。


「クロード様は相変わらず見る目がなくて残念ですわ」

「そうかしら。少なくとも、どこかの女狐に化かされないくらいの眼力はあるようだけれど?」


ソフィアが扇で口元を隠しながら鼻で笑う。自分よりも爵位の高い二人に挟まれているのだ。普通の令嬢ならば大人しく引く場面であったけど、グレースにとっては知ったことではない。黒い扇の先端を顎へと宛てて目を細めた。


「へぇ?でしたら何かお考えがあって、ビビアン・ペトロフを放っておいていたのですね」

「……何?」

「ビビアン・ペトロフがあの小娘を嫌っている事は当然知っておりますでしょう?人を見る目がおありのクロード様が、まさか気付かなかったとは言わないですわよね」

「……」


グレースは以前、大して仲良くもなかったビビアンから突然招待状を受け取ったことを思い出す。最初はクロードのことを自慢するリリアンからコケにされたと考えていた。

違和感を感じたのはビビアンの誕生日パーティーで起こった出来事を新聞越しで知った時だ。誕生日パーティーでも、お茶会でも渦中にいて〝得〟をした人物。

自分はビビアンに利用されたのだと気が付いた時、グレースは怒りと悔しさでどうにかなりそうだった。


「ちょっと、どういうこと?ペトロフ令嬢はリリアンの友人じゃなかったの?」


ソフィアは眉を寄せてグレースへと詰め寄る。ビビアンは自分が嫌いなアトラと仲が良いから、ソフィアはほとんど関わりがなかった。あの女と仲がいいから、最初はビビアンもろくでもない女だろうと思っていたくらいだ。だけどそんな心配とは反対に、リリアンは嬉しそうにビビアンの話をしていたから油断していた。


「クロードさま?」


ソフィアが扇を握り締め、クロードも舌打ちをしかけた時、その場にそぐわない声色が響いた。ぱちぱちと長い睫毛を瞬かせ、シャーロットは首を傾けた。


「庭園の方へ向かわれたハーシェル令嬢をお見かけしましたので、てっきりクロードさまもそちらにいらっしゃるんだと思っていましたわ。クロードさまは――」

「今どこに行ったって!?」


にこやかに話すシャーロットに、クロードは食い気味で問う。気迫に押されたシャーロットは「庭園の方へ行かれましたけど……」と反射的に答えた。


「フルク令嬢、俺の従者であるオリヴァーは知っているだろう?今すぐ呼んできてくれ」

「はぁ?なんで私が――ってちょっと!」

「ヴィンス、私たちも行くわよ」


クロードに続き、ソフィアとヴィンスが会場を去っていく。巻き込まれたグレースは不満を零した。



庭園には人は居なく、辺りは静まり返っていた。そんなに走っていないはずなのに、クロードの心臓は早鐘を打っている。漠然とした不安が押し寄せてきて、今すぐリリアンを見ないと安心できなかった。


『クロード様は大袈裟ですね』


そう言いながら、いつものように笑い飛ばして欲しかった。


庭園の一番突き当たりにある湖の前には、ビビアン一人しかいなかった。てっきりリリアンも一緒に居ると思っていたのに。


「ペトロフ令嬢、リリアンはどこに……」


その場にペタンと座り込み、下を向いていたビビアンがガタガタと全身を震わせながら、湖を指差した。


ひゅっと、息を呑む。心臓が落ちる音がする。クロードは考えるよりも早く上着を投げ捨て、湖へと飛び込んだ。



冬の湖は冷たく、クロードの全身をあっという間に冷やしていく。視界が悪い水中を必死に見回す。一体落ちてからどれくらい経ったのかと、嫌な思考ばかりが頭を満たしている。


僅かな月明かりの先で、ゆっくり沈んでいくリリアンを見つけたクロードは、顔を歪め無我夢中で手を伸ばした。



「プハッ!ハァ、ハァ……」

「クロード様!一体何が……!?」


リリアンを抱えながら岸へ上がると、オリヴァーが血相を変えて駆け寄ってくる。グレースは文句を言いながらも呼んでくれたようだった。


「説明は後だ、すぐに医者を呼べ!」

「もうヴィンスを向かわせてるわ!」


ソフィアの言葉に頷きながら、クロードはぐったりしているリリアンを横たえる。彼女の顔は青白く冷たかった。


「リリアンしっかりしてくれ!リリアン、リリアン……!」


クロードはリリアンの手を握りながら、必死に名前を呼びかける。


「リリアン、お願いだから目を開けてくれ……側にいてと君が先に望んだのに、俺を置いていく気か……?」


いくら呼んでもリリアンからは返答がない。まさかと、リリアンの口元に手を翳したクロードは目眩がした。


今、リリアンは息をしていなかった。


「君が居ない世界で、これから俺はどうやって生きていけばいい……」


ぽたぽたと透明の雫がリリアンの頬に落ちる。後ろからは鼻を啜る音が聞こえた。


「リリアン…………」


クロードは動かないリリアンを抱き締め――とくとくと鼓動が動く音に、勢いよく顔を上げた。


差し込んだ希望に喜ぶ余裕はない。クロードは気道を確保したままリリアンの鼻をつまみ、ゆっくり息を吹き込む。人工呼吸をするのは初めてだったけど、迷ってはいられなかった。

リリアンの胸が上がるのを見て、無事に成功したと知る。クロードは再び息を吹き込んだ。


「……っ、ゴホッ、ゴホッ……」

「リリアン!気がついたか!?リリアン!」


水を吐き出し呼吸をするリリアンをクロードは必死に呼びかける。リリアンは上手く頭が回らないまま、重い瞼を持ち上げた。


「くろーどさま……?」


普段からは想像できないほど弱々しく自分を見下ろすクロードに、リリアンは手を伸ばした。


「どうして、ないているんですか……?」

「……君のせいだ」


クロードは伸ばされた手に頬を寄せ、リリアンが生きているのを改めて確認する。

先程までの苦しさは消えていて、ようやく息ができたような気がした。




***




「幸い命に別状はありません。ただ体温がかなり下がっているので、すぐに身体を温めて――」


医師の説明にリリアンはぼんやりと耳を傾ける。死んだと思ったはずなのに今、自分が生きていることが信じられなかった。


辺りにはリリアンと同じくびしょ濡れのクロードにソフィアとヴィンス、何故かシャーロットやグレースまでこの場にいる。

一体何がどうなって……と考えていれば、突然身体が浮いて目を瞠った。


「ク、クロード様!自分で歩けますので……!」

「こんなに冷たく震えているのに何を言ってるんだ」


クロードだって同じはずなのに、自分の上着をリリアンに掛けてしまう。本当に大丈夫ですからと止めようとしたリリアンだったけど、クロード越しにビビアンと目が合って口を噤んだ。


「あ、あの、ビビ……」

「気安く呼ばないで!何でよ!アンタなんてただ少し優しいだけのくせに!」


ぎゅっと拳を握りながら吐き捨てるように言うビビアンに、クロードはギリッと歯を食いしばった。「アンタね……!」と殴りかかろうとしたソフィアをヴィンスが止めている。

クロードは言いたいことなら山ほどあったけど、今はリリアンを温める方が先決だと踏みとどまった。


「――()()()()()()で居続ける事がどれほど難しいのか、今の君が一番よく分かるんじゃないのか」


その一言を最後に、クロードは今度こそ足を進めた。




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