嘘
「負けたのか…俺は……」
城内の病棟で目を覚ましたレッドベリーは、開口一番そう呟いた。
ドラゴンの首と共に三〇メートルの高さから地面に叩きつけられたというのに、傷はほとんど癒えていた。
近頃は治療魔法の進歩が目覚ましい。
病室のシャンデリアが眩しくて、瞼を伏せる。
浮かんでくるのは、こちらに向かって猛スピードで飛んでくる少女の姿。
一瞬、目があった時の光景が、脳内にこびりついて離れない。
(あの子娘…どうやって戻ってきたんだ…)
一度ドラゴンの火砲で遥か彼方へ吹き飛ばしたが、しばらくしてまた戻ってきた。
飛行魔法も使えるのだろうか。
「……悔しい…」
ポツリと口から漏れる。
一度言葉に発したその感情は、意識がはっきりとしてくればしてくるほど、増していくばかりだ。
ーー自分の方が今まで努力したはずなのに。
ーーなぜあのどこの馬の骨とも分からぬ小娘が勇者と持て囃される?
大量の魔力を有しているからか?
姫様に気に入られたからか?
思考が駆け巡る。
居ても立っても居られなくなってきた。
(俺が負けた以上、あいつが勇者だと言うのは、非常に悔しいが認めざるを得ない。しかし、何か一言言ってやらねば気が済まん)
その言葉はまだ考えていない。
が、レッドベリーはがばりと勢いよく体を起こした。
ズキリッ
治療魔法で癒しきれなかった傷が疼く。
レッドベリーは苦悶に顔を歪めた。
だが、痛みを堪え頭に巻かれた包帯を乱暴に取ると、床へ投げ捨てた。
治療魔術師達が、レッドベリーに気付き、まだ安静にしているよう促す。
が、それを全て払うと、病棟を飛び出しマヤの部屋へ向かった。
既に時は夜になっている。
しかし今のレッドベリーにはそんな事はどうでも良かった。
マヤの部屋の前に着いた。
(よし……)
レッドベリーがドアノブに手を掛けたその時だった。
„逃げる?!“
部屋の中からマヤの声が聞こえてきた。
レッドベリーの手がピタリと止まる。
(………は? 逃げるだと……?)
信じられない発言に、レッドベリーの頭に血が昇ったその時、部屋の中から別の少女の声が聞こえた。
„そうよ、逃げるの! 今すぐに! さ、誰かに見つかる前に“
非常に聞き覚えのある麗かな声。
ロザリー姫だ。
レッドベリーの頭に沢山の疑問符が浮かぶ。
なぜこの国の姫が、成り上がり勇者擬きに逃げるよう促しているのか…レッドベリーの思考が追いつかなかった。
何はともあれ、レッドベリーは部屋に突撃するのを一旦やめ、耳を澄ますことにした。
***
「なんで逃げるのですか…? 明後日には悪魔が襲来するのですよね…」
マヤは混乱していた。
ロザリーが突然「逃げよう」と言ってきたのだ。
「ええ。だから、その前に逃げるの!」
「…どうして……」
ロザリーはポンとマヤの肩に手を置いた。
そして、真剣な表情で言った。
「あのね、聞いて」
「……はい」
並々ならぬロザリーの剣幕にすっかり呑み込まれてしまったマヤは、静かに頷いた。
「貴女は悪魔に勝てない…」
「………」
唖然とするマヤ。
ロザリーは言葉を続ける。
「以前、馬車の中で勇者の話をしたわよね」
「『悪魔を勇者が退治してくれるだろう』という預言のことですか…?」
「うん」
ロザリーは強く頷いた後、マヤの肩から手を離した。
そして突然、目を伏せると申し訳なさそうに表情を歪めた。
「ごめんなさい、あれ嘘」
「…え」
「そんな預言はないわ、貴女も、国民も、家来も、騙してたの。真実を知っているのは国王と私と一部の魔術師だけ」
「……えっと、じゃあ悪魔は来ないってことですか?」
「いいえ、悪魔は来るわ。本当の預言はこうよ。『悪魔が国を滅ぼすだろう。その悪魔は、この世の如何なる強者も打ち倒せない』」
しーん……
室内は沈黙に包まれた。
窓の外から梟の鳴き声だけが微かに聞こえる。
沈黙を破ったのは、マヤだ。
「……それじゃあ、この国は…」
「滅びる運命よ」
「……っ……」
唖然とするマヤの首元で、ロザリーは、羽織らせたローブのリボンをキュッと結んだ。
そして、淡々と語り出した。
***
預言を聞いた国王は、まず国の混乱を避ける為に『勇者』という虚像の存在を創り出し、家来や国民に広めた。
ーーそして預言を受け入れられなかった国王は、自らも、その虚像の存在を信じる事にした。
国内外で、強い戦士を探した。
しかし、そう簡単に見つけられるはずもなく、もし発見出来たとしても、断られてしまった。
母国でもないのに、命を掛けられるはずがない。
当たり前だ。
そんな絶望的状況の中、ドラゴンを一撃で仕留めた不思議な少女ーーマヤにロザリーは出会ったのだった。
***
「……そんな…」
目を丸くするマヤに、
「マヤちゃん」
ロザリーは、一歩だけ後ろに下がると、深々と頭を下げた。
「ごめんなさい。私、どうしても国を救いたい一心で貴女に嘘をついたの。勝手に勇者に仕立て上げた。マヤちゃんが強いのは本当だけれど…マヤちゃんは勇者じゃないのに…」
マヤは、返す言葉に困り、しばらく口を閉ざしていた。
が、一つ深呼吸をして騒つく心を穏やかにすると、ロザリーに尋ねた。
「どうして私に本当のことを教えてくれたんですか?」
「それは……」
ロザリーは涙で潤んだ瞳を真っ正面からマヤへ向けた。
「マヤちゃんが大好きになったから、この子を死なせたくないって思ったから…」
「………」
「本当、勝手よね…ごめんね」
「お姫様…」
何故だか、マヤの瞳にも水晶玉のような涙が滲み出た。
数秒ほど、ただロザリーを見つめた後、フルフルと首を横に振った。
「お姫様は悪くないです!」
「…いいえ悪いわ!」
「悪くないです! だって、国を思っての行動だったんですよね…仕方ないです…」
「………マヤちゃん…」
ロザリーの目からボロボロと大量の涙が溢れ出た。
そして、その場で膝から崩れ落ちた。
うっ…うっ…と嗚咽を漏らしながら、泣いている。
マヤもしゃがみ込むと、ポケットからハンカチを取り出して、ロザリーの前に差し出した。
「お姫様、安心してください。国は私が守ります」
「………え……?」
ロザリーが涙で腫らした瞳をマヤの方へ向けると、マヤはニコリと優しく笑った。
「私も、この国の人が好きになりました。この間お祭に行った時、皆優しくて良い人達で……それでその時、思ったんです。絶対に勇者の私が守ろうって」
「…………」
ロザリーは、泣きながら、無言でマヤの言葉に耳を傾けていた。
マヤの幼い声は、何だかとたも心地よい。
荒れた心を癒してくれる気がした。
「あ、お祭りで出会った人だけじゃないですよ。アイルくんも凄く紳士的で、優しく私に魔法を教えてくれたし、レッドベリーさんも乱暴だけど、国を大事に思っている気高い騎士さんだし、そしてお姫様も国を、皆を守ろうと一生懸命で…。なんだか漫画のキャラクターみたい……じゃなくて、魅力的な人が沢山いるんです、この国には。滅んじゃいけないです! だから、私が守ります」
「マヤちゃん……」
マヤは、ピンと人差し指を立てた。
「それに、私なら悪魔を倒せます」
きっぱりと言い切ったマヤに、ロザリー少し驚いた様子だったが、ゆるゆると首を横に振った。
「………それは、無理よ…。預言は必ず当たる」
マヤはニコッと微笑んだ。
「なら尚更です。…あの、念の為、もう一度真の預言を教えてもらっても良いでしょうか…」
「…ええ。『悪魔が国を滅ぼすだろう。その悪魔は、この世の如何なる強者も打ち倒せない』」
「”この世の”…なるほど、なら私は倒せますね」
愛らしい笑みを浮かべるマヤとは対照的に、ロザリーは長いまつ毛を伏せて、悲嘆に満ちた表情をしている。
「……マヤちゃん…気持ちは有難いわ…。だけど如何なる強者にも倒せないの。だから最強のマヤちゃんだって例外じゃないわ」
「いいえ、それが例外なんです…理由は詳しくは言えないのですけど…」
「…………」
中々頷こうとしないロザリーに、マヤは元気良く言った。
「とにかく、私を信じてもらえないでしょうか…。必ずやこの国を守りますから。ね、ラミさん」
マヤの横にいる小さな子猿が、マヤに応えるように「うきっ」と鳴いた。
***
レッドベリーは、ドアから耳を離した。
何を思ったのか、しばしその場で黙り込む。
「面白い子ですよね、勇者様」
背後から少年のソプラノの声が聞こえた。
振り返ると、水髪の美少年・アイルの姿があった。
口元には、この少年特有の優しい微笑が浮かんでいる。
「ふふ、勇者様は予言を覆すことができますかね?」
「…知らん」
レッドベリーは、無愛想にそれだけ吐き捨てるように言うと、アイルとは逆方向の廊下を歩いていった。




