第五話
洛中の範囲は限られている。現代の単位に換算してせいぜい三、四キロメートル四方そこそこに、内裏をはじめ将軍御所、諸公家並びに諸大名屋敷、寺社が高密度に詰め込まれた政治空間こそが洛中であった。
行政機関ばかりではない。ここには数万の民草が軒を連ねてひしめき合い、彼等町衆は裕福とまではいえないが、日々なんとか食いつないでいけるだけの消費生活を営んでいたのである。
どうにかこうにか生きていけるとなると次に人々が求めるのは娯楽だ。その一環として噂話を好む彼等は、どこでどうやってそんな重大事項を聞きつけたものか、関東派兵が閣議決定された翌日にはみな押し並べてその話を知っていた。煌びやかな武者行列をひと目見ようと街区に練り出す京童ども数多。
人が出歩けばトラブルも増える。肩が触れた触れないから始まった一対一の喧嘩が、いつの間にか公武寺社の有力層をも巻き込む一大騒擾事件に発展することは、この時代よくある話だった。
人権や社会保障などといった概念がなかったこの時代、個々人は極めて脆弱な存在だった。自らの権利を守り、或るいは主張するために、人々は有力者と主従関係を締結して後ろ盾にしようとしたのである。
「俺のバックを誰だと思ってるんだ」
今風にいえばまさにこれだ。
一方の有力者側からしてみれば、権利を保障してやるからにはたとえ町衆に対してであってもなんらかの見返りを要求することになる。最も手っ取り早いところでいうと武力の提供である。
「いざとなったら命を差し出せ」
この理屈だ。
主従関係を破棄されてはたまらない町衆としては、提供するに足る武力を保有していると証明しなければならない必要上、喧嘩に際していやでも過激な行動に出なければならなくなる。かかる過激行動に報復すべく参戦者が五月雨式に投入されるので、単なる個人対個人の喧嘩だったものが、喧嘩の枠を超えて有力層まで波及していくというのが当時の喧嘩の特徴であった。
拡大した闘諍を収めるために大名同士で話し合いの場が持たれたり、ときによっては室町殿自らが調停に乗り出すことさえあったから、単なる町衆同士の喧嘩などといっても馬鹿にはできない。調停に失敗すれば大名間に遺恨を残したり、調停者の権威に傷がつく危険性すらあった。
義持はその危険をよく心得ている。関東に争乱を抱えるいまのような時節だからこそ、自分を筆頭とした幕閣一堂が落ち着いて行動せねばならぬと考えている。町衆同士の喧嘩に巻き込まれている場合ではなかった。
街区には京童どもが溢れかえっていた。道行く人々の噂話を口にする声や、都大路を闊歩する足音までもが、三条坊門第の築地塀を越えて聞こえてくるほどだった。義持は諸大名を通じて洛中の侍どもに無用の外出禁止を命じた。これら町衆による不毛な争いに巻き込まれないようにするための緊急措置であった。
「新御所、押小路を出奔」
義持の許に意外な報せがもたらされたのはそんなときのことであった。押小路とは義嗣邸宅の所在地である。
「諸大名に示しがつかんではないか!」
義持は怒号した。室町殿の名のもと、諸侍に外出禁止を命じたこの大事なときに、よりにもよって室町殿の弟である義嗣が出奔とは……。
義持は、義嗣が縁戚を頼って禅秀を焚き付けたなどという噂を歯牙にもかけていなかったが、こうなってしまえば話は別だった。
(やはり義嗣が禅秀を動かしたのか)
疑念が生じる。
(いや無理だ。義嗣を頼みとするには関東は遠すぎる。しかし……)
義嗣の方が禅秀蜂起を好機とみて謀叛を企てた疑惑は、現時点では誰にも否定できないのである。
(義嗣に限って…)
そう思いたい。
義嗣と禅秀との連携を歯牙にもかけていなかった昨日までの日々が遠い昔のように感じられる。義持は疑心暗鬼に陥りつつあった。
義持は逐電した義嗣主従の探索を命じ、出奔から三日後の十一月二日、辺土である栂尾近辺で彼等を発見した。
「余自ら弟の存念を聴取しよう」
そのように言う義持を、供廻りの者共は押し止めた。
「殺されるかもしれませんぞ」
こぞってそんなことを言うのである。
(なにを極端な……)
笙演奏の腕前を鼻にかけることもなく、上手く演奏できない自分に対して気遣いを見せたあの弟が、父義満の死後も変わらず引き立ててきたあの義嗣が、握りなれていない脇差か太刀かは知らぬ、白く華奢な手で凶刃を振るい、自分に斬りかかってくる情景を、義持はどうしても想像できなかった。
しかし飽くまで義嗣謀叛を疑う供廻り衆があまりにしつこく随身を望むので、義持はこれを許さねばならなかった。想像できないなどと言い条、万が一の凶事を恐れる自分もいる。
義持は直衣を脱いで素襖に着替え、頬髭を剃り、一介の侍のような格好をして御所を抜け出した。世情不安定の折に将軍が御所を抜け出したとあっては混乱を助長しかねず、それを防ぐための変装であった。
栂尾は鬱蒼とした林に包まれていた。鳥のさえずりと、木々が風に揺られるざわめき以外に音はない。苔むした廃屋ひとつを先遣の供廻り衆が塑像のように取り囲んでいる光景は、隠れ潜んでいる義嗣主従を逃さないためとはいえ、大仰そのもののように、義持には思われた。
急速に早まる義持の鼓動。全身の血液が心臓を介して脳髄に送り込まれていく。義持は恥も外聞もなく己が感情を爆発させて吼えた。
「下がれ無礼者ども! 中にいるのは……」
ここまで一気に言って義持は、自らの声が震えていることに気付いた。激しい怒りのために発声器官を上手く制御できていないのだ。しかし義持は構わず続けた。
「中にいるのは正二位権大納言足利義嗣、我が舎弟であるぞ! そなた等如き下賤の者共が刃を向けて良い相手ではない! 下がれと申すに!」
静寂を破る怒号に驚き、飛び去る野鳥。廃屋を囲む侍どもは潮が引くように囲みを緩めた。
「入るぞ義嗣」
建物全体が歪んで建て付けの悪くなった引き戸を、義持は無理やりこじ開けた。
「なんだその格好は」
義嗣の姿を見た義持は開口一番そう言った。髻を切って修験者に身をやつした姿に驚いたのである。
義嗣は義嗣で
「兄上こそなんですか、その格好は」
目をまん丸にしながら言う。
義持の普段の姿を見慣れた義嗣にとっては、貧乏侍然とした義持の変装が滑稽に映ったのだろう。
申し合わせたように顔を見合わせる二人。
しばしの沈黙。
ふふっ、と先に吹き出したのは義嗣だった。
(ああ、あの時と同じだ……)
あたたかな感情が義持の中に広がっていく。
先帝(後小松天皇)の北山第行幸が予定されていた折節、義満に叱られながら兄弟揃って必至に笙の修練を重ねたあの時から既に八年の歳月が流れていたが、現に義嗣が見せている笑顔は、当時と寸分も違わないものであった。