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ショートショート5月~2回目

ペーパードライバー

作者: たかさば

大変なことになってしまった。

車を運転しなければいけなくなってしまったのである。


「悪いなあ、今後は頼むよ。」


老いた義父が、体中に不具合を抱えるようになり、自主的に免許を返納したことで、私の出番がやってきてしまった。

何か問題を起こす前に運転を卒業しようと自己判断を下し、愛車を売り払った義父。

その決断には敬意を称したい、だがしかし私に白羽の矢が飛んでこようとは。


免許を取ったのは20世紀のことだ。

四半世紀を車に乗らず過ごした、正真正銘のペーパードライバーである。

一度も車に乗らず取得したゴールドは実に穢れなくピカピカと輝いている。


元々免許を取る予定はなかったのだが、超ウルトラスペシャル就職氷河期で、免許を取らねば何一つ資格がない状態になってしまうため、泣く泣く大学生の頃に教習所に入った。

当時は、実に自動車教習所は厳しく、何度も何度も追加講習を受け、怒鳴られては泣きながらハンドルを握ることとなった。

卒業検定で意地の悪い後続車にあおられ、危うく事故りそうになって落ちた後、激しく罵られた私は車の運転がトラウマ化し、ストレスで十円はげをこしらえたのち、三か月もかかって免許を取得したのだ。


教官に言われた、殺人兵器は車に乗るなという言葉が忘れられず、人様の車に乗るのさえ遠慮しながら生きてきていたのだが。


「へそくりも出すでな、新しい車かおまい。」


義父の車を売り払ったお金で、コツコツ貯めていたへそくりで、軽自動車を買ってもらう事になってしまったのである。


「でも私、運転なんか一回もしたことなくて!!」

「免許取ったんでしょ、これからいっぱい乗ればええがな。」


几帳面な義父は、毎日必ず買い物に行っていた。

月曜は小さなスーパー、火曜は量販店、水曜は大きなスーパー、木曜はコンビニ、金曜は薬局。

朝食のパンと、昼食のお弁当、自分のおやつを買うために必ず出かけていた。

車に乗らないのは、毎週土日、マンションすぐ前で開かれる市がある日だけだった。


免許を返納した後、夕食だけお世話になっている配食サービスを朝昼晩に増やし、週に一度旦那の休みの日にまとめて買い物に行っていたのだが、引きこもり生活がつまらないらしく、外に出たいとごねるようになってしまった義父。

仕事帰りの旦那を呼び出しては買い物に行っていたのだが、夜遅くなったりして思うように買い物ができず不満が募り、ついに爆発してしまったのだ。


「納車は早くて三週間後ですね。」


なじみのディーラーさんがやってきて、あれよあれよといううちに車の購入契約が交わされてしまった。


三週間経ったら、私は車を運転しなければならないのだ。

車が来たら、即運転をしなければならないのだ。


何もせずにいきなり納車された車を運転する?

……できるわけない!!!


三週間で何をすべきか。

……車の運転を、練習すべきだ!!!


近所の教習所に電話をし、ペーパードライバー講習をやっていないか聞いてみる。


「すみません、一か月後まで予約でいっぱいです。」


世の中には、ペーパードライバーを克服せんとするものが溢れているらしい。

一か月後では、意味がない。その頃には、私は殺人兵器として服役中である可能性があるのだ。


教習車で自宅前まで来てくれる、出張タイプのペーパードライバースクールを手当たり次第に検索してみる。


「では、三日後お伺いします。」

「よ、よろしくお願いします!!!」


少々お高い値段ではあるが、無事指導者が見つかった。

私が殺人兵器になるかどうかは、この人にかかっている。


かくしてやってきた出張ペーパードライバースクールの指導員は、実に優しくて丁寧な人であった。


「久しぶりの運転ですよね、まずは車の仕組みから確認しましょうか。」


エンジンのかけ方からボンネットの開け方、ワイパーの動かし方にガソリンタンクのふたの開け閉め、ハンドルの握り方に足を置く位置……、事細かに、いろいろと教えてもらった。ブレーキ部分に補助器具をつけ、いよいよ運転をすることになったのだが、どうにもこうにも、震えが止まらない。


「ああ、やっぱり無理かも、運転できません。」

「じゃあ、僕が運転するんで、ゆっくりアクセル踏むところからやってみましょうか。」


郊外の大きな駐車場まで移動して、車を動かすことになった。

運転席に座り、アクセルを踏みつつ、ハンドルには手を添えるだけ。ハンドル操作は、教習の先生がしてくれるらしい。


「いいですよ、上手です。大丈夫、踏み方は荒くないし、いい運転者になりますよ!」


大昔に適正ゼロ、犯罪者は自転車で一生過ごせ、ハンドル握る資格はない、殺す前にとっとと死んでくれと怒鳴られた私に大丈夫と言ってくれる人がいる、それだけで胸がいっぱいになってしまった。

今の教習所の先生は、こんなにも優しいのか、こんなにも穏やかなのか。


「このハンドルの動かし方を覚えてください。そうそう、ゆっくりと。」

「できてますよ、ぎこちなさも取れてきましたね!」

「まだあと二週間ありますから、必ずあなたは優良ドライバーになれます!」


全五回コースでお願いしたペーパードライバー教習は、無事終了した。


「あなたはもうペーパードライバーじゃありません。安全運転のできる、優良ドライバーですよ!」

「先生のおかげです!!ありがとうございました!!!」


あれほど車を運転する事を拒み、逃げていた私が、街中を走行できる日がやってきたのである。


スーパーの駐車場に車を停めることができるようになるとは思わなかった。

自動車学校では、いつもポールにぶつけて、何度三番目が見えたら右に切れと言ってんだろうがと怒鳴られたことか。

量販店の立体駐車場に入れるようになるとは思わなかった。

自動車学校では、いつも坂道を後退してしまって、後輪で何人轢き殺されるんだろうなあと怒鳴られていたから。

運転中に雑談ができるようになるなんて思いもしなかった。

自動車学校では、いつも教官の罵声に耐えながら運転していて恐怖で言葉がでず、返事もできねえのかと怒鳴られてばかりだったから。


「じゃあ、初ドライブ連れてってくれ!!!」

「は、はい。」


納車されたばかりの新しい車に義父と共に乗り込み、近所のスーパーに出かけた。


昼間という事もあり、駐車場はあまり混んでいない。

両隣の開いている場所に車を停める。


ピピー、ピピ―!!


最新の軽自動車には全方位モニターが完備されており、ナビには車を上部から見下ろした風景が映っている。

車の進行方向も予測表示されるので、駐車が非常に容易い。


「なんだ、普通に運転できとるがな!心配して損したわ!」

「そ、そう?」


納車早々、毎日のドライブに出かけることが日課になってしまった私は、最新の車のシステムにも助けられつつ、運転技術を向上させていった。

多少のやらかしは車の方がフォローしてくれるので非常にありがたい。

ぶつけそうになれば警告音が鳴り、危ない運転をすれば警告音が鳴り、ガソリンがなくなりそうになれば警告ランプがつき、ライトは自動でついて、難しい場所に駐車する時にはハンドルさばきのヒントまでもらえるのだ。


昔教習車で乗っていた車は、この軽自動車よりも二回りも大きかったし、前も後ろも出っ張った部分があって、非常に運転しにくかった。

バックモニターもついていなかったし、目視だけでいろんな場所を確認しなければならず、飛んでくる罵声にも反応しないといけなかった。

よく三か月で免許が取れたものだと、今更ながらに驚愕する。


肝の座っている義父は、私が急停車しても急発進しても道を間違えても一度だって声を荒げる事はなかった。


「ねとったで気づかんかったわ!」

「安全運転が一番やて、急がんでええよ。」


毎日義父と一緒に町を巡って一年、二年。

幸いなことに、一度も事故を起こすことなく免許は未だゴールドに輝いている。


義父がドアを開けた時に壁にぶつけてちょっと傷がついたけど、車もピカピカと輝いている。


毎日義父の元に行くために車に乗ること、一年、二年。

幸いなことに、一度も事故を起こすことなく免許は未だゴールドに輝いている。


義父を車いすから乗せ換える時にちょっとミスって傷がついたけど、車もピカピカと輝いている。


義父が乗ることの無くなった車で、一人ドライブを楽しむようになって、一年、二年。

幸いなことに、一度も事故を起こすことなく免許は未だゴールドに輝いている。


……少し、ボディがくすんできたかな?


私はすっかり通い慣れた洗車場に向かうために、車のキーに、手をのばした。

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― 新着の感想 ―
[一言] 乗っているうちにうまく、普通になるんでしょうね。 て、私はまだペーパーですけど……ね。もちろんゴールド。 そのうち乗る時がくる……のか? という感じです。
[一言] ご本人の優しさと、お義父様の穏やかさの賜物ですね(*^^*)ペーパードライバー講習の先生も最新式の軽自動車も素敵です(*^^*)癒やされました!
[良い点] わーおうまい。恐怖を克服する物語。しかもまったり [気になる点] ボンネットの開け方に、リアリティを感じました。 [一言] やはり時間の飛ばし方うまい
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