5間 男、少女と出会う
「あ……」
考え事をしながら空き缶を拾っていると、つま先で地面に転がっていた空き缶を蹴ってしまった。
手を伸ばした時には遅く、それはコンクリートの荒に身を跳ねさせながら速度を落とさず転がっていく。
こつん、と。小さな黒いローファーの先に当たってやっと空き缶の動きが止まった。
俺が空き缶を拾おうと手を伸ばすのと同時に、上からそれを拾おうとする小さな手が降りてきた。
俺はその手と触れる一瞬で、ビクっと身を震わせて、思わず伸ばした自分の手を引っ込めた。
「はい、どうぞ」
ソプラノ声だが、しかし優しい穏やかな声色で、拾った空き缶を俺に差し出してくる。
「あ、どうも……」
我ながらそっけない礼を述べながら、小さな手に収められた空き缶を受け取りつつ、顔をゆっくりと上げた。
「………………」
――――神様の気まぐれなのだとしたら、やはりこの世界は平等を唱えるべきではない。
「? あの、どうかなさいました?」
目の前の有名お嬢様学校、世間知らずの俺ですら認知しているその学校の初等部の制服と帽子を身に着けた黒い長髪の少女は、無邪気に小首を傾げて見せた。
生まれついての家柄や身分に恵まれた子供は、それらが先天的な才能となるのだろうか。なるのだとしたら、何とも神様の気まぐれというやつは残酷である。
「いや、なんでも」
俺は適当にそう言い繕って、ひったくるように少女から空き缶を受け取り立ち上がった。
一刻も早くこの場から逃げ出したい。
周りの大人たちに冷笑を浴びせかけられても何とも思わない。
だけど、よりにもよって生まれついての勝ち組少女に、地面這いつくばってゴミを拾う20後半のオッサンの無様な姿を見られて恥ずかしくない訳がない。
まだその身分を鼻に掛けて嫌味を言われる方がマシだ。だがそれどころか、鼻に掛けるということすら頭の中に無いという感じの純真さを持っているようにすら見える。
自分の存在がより惨めで小さくなっていくのを感じてしまうのも、もはや必然か。
「………………」
俺は必死に取り繕うようにして、少女に背を向けて地面に屈みこみ、残りの空き缶を淡々と拾う。
どうしても空き缶拾いの集中が切れかけると、肩ごしに振り返り、少女の姿をうかがってしまう。
「………………」
少女はその場に突っ立ったまま、くりっとした目を見開き空き缶を拾う俺を観察している風だった。
「……んだよ…………こっち見んなよ……」
少女に聴こえないくらい、か細い声でぽつりと悪態じみた言葉を吐き捨てる。
少女の目線を気にしないようにと無心を心がけて(無心を心がける?)はいるが、気づくと空き缶を拾う手の動きがやけに機敏になってしまっている。
この場から早く逃げ出したい、そう本能が言っているようだ。
「あの……」
少女が俺の背後から不意に話しかけてきて、心臓が破裂するかと思った。
一度呼吸を整えてから、しかし、まだあの初恋の時のような脈打つ心臓の振動を感じつつ、さながらホラー映画のように時間を掛けてゆっくりと首だけで振り返る。
眉を困ったように八の字にさせながら1度俺の顔を確認する。
それから自分の手首に巻いてある小さな腕時計を見て、そして再度俺の顔をのぞき込んできた。
「あの、もしかして、あなたが『ヒゲの人』さんですか?」
「…………は?」