2-XX-A. 禁句
一言で壊れる空気。
すっかり重くなった自分の足を何とか動かしながらウチのクラスの行燈テントの近くに来たときには既に、すみれちゃんがみずきくんに『例の件』について説明をしているところだった。
「『当日は生演奏でやって欲しい』ってことかな?」
「……はい、その通りです」
言いづらそうにしていたすみれちゃんに対して、みずきくんは容赦なくストレートを投げる。
そして、肺の中に残った空気を吐き出すように、大きく息を吐いた。
ため息に聞こえないようにしたのは、彼なりの配慮だったりするのだろうか。
「ほ、ほら! ミズキくん、収録するタイミング次第では練習がほとんどできないかもしれない、って言ってたでしょ? これだったら時間はいっぱい取れるよ!」
「……それって、裏を返すとステージ発表本番まで、ボクは吹部の定期演奏会の楽譜とあの楽譜の掛け持ちを続けないとダメって話じゃん?」
普段は物腰穏やかな言い方をするみずきくんだけれど、今は少しだけ語調が厳しい印象だった。
彼にとって具体的にどれくらいその依頼が嫌なのか、あたしに全部はわからない。
だけど――もしも、あたしと同じことを思っていたのならば――、少しだけは理解できるかもしれなかった。
実はすみれちゃんには、ステージ発表の練習に付いていったときに伝えてあった。
『海江田くんはあんまり目立つようなところで、ひとりでは楽器は演奏したくないらしい』――。もちろん、彼が合唱部と吹奏楽部の合同テスト勉強会のときにこぼしていた、というウソという名のオブラートに包んで。
「ちなみに、それってさ」
「……うん」
「どこで、演奏すればいいの?」
「えーっと……えーっとね、ステージ裏……とか?」
「マイクでも置いておけばステージ裏でもいいかもしれないけど、たしか学祭期間中ってアップライトピアノはステージ上、グランドピアノはステージ下で固定置きじゃなかった?」
苦し紛れのすみれちゃんの説明は、一瞬でみずきくんに喝破されてしまう。
いつになく攻撃的な立居振る舞いを見せる彼の様子に、困惑と心配が入り交じった視線を恐る恐る向けていた。
普段は温厚な彼がいつになく視線を鋭くして、なのに理詰めで攻めてくれば、さすがにどんな人も一歩後ずさりをしてしまうだろう。
クラスのためだからやれ、と強く言うこともできるかもしれない。
だけどそれを言うと、恐らく今のみずきくんから『じゃあ、お前が代わりにやってくれよ』というセリフが飛んできかねないと思っているのだろう。
少なくともそんな禁句は、いくら少し冷静さを欠いているみずきくんでも自制して言わないだろうけれど、彼をそこまで知らない人なら警戒するのも仕方ないことだった。
だって、いつもの何倍も――何十倍も、視線が強いから。
「放送室が取れるかどうか微妙だったって話の方はどうなってんの? 結局」
「それは……、申し訳ないんだけど」
「機材運び出したりとかする都合もあって、もうほとんどムリっぽいな」
途中まですみれちゃんが話していたところを、放送部所属の二階堂くんが後を継ぐように説明する。
「っていうか、そもそもピアノをどうにかするっていうのが難易度高すぎてな」
「……なるほどね」
ため息を吐きながら、みずきくんは言う。
そんな彼の様子に、申し訳なさそうに手を合わせる二階堂くん。
彼は気にするなとジェスチャーだけで伝えたかったようだが、本当に気にしていないことなんて無さそうなのが明らかだった。
「……ちょっと、考えさせて欲しいかな」
「それは、えーっと『前向きな検討をする』的な?」
「保証は出来ないかも」
一瞬晴れ間が差しそうだったすみれちゃんの顔が、もう一度曇る。
――その時だった。
「……ごちゃごちゃめんどくせえ」
「あ?」
あっという間に、だけど一瞬だけ、眉間に皺が寄る。
整った顔が悪意で歪む。
みずきくんに聞こえるか聞こえないか、微妙な音量で誰かがぼやく声がした。
恐らく言った本人はこっそりとつぶやく程度にする予定だったのだろう。
ただ、わずかな悪意を込めたその言葉は明らかに一線を越えて、言った本人が思っていたより何倍も悪事を働いてから消えていく。
思った以上にその瞬間だけ周囲が静かになったせいで、その声はしっかりとみずきくんの耳に入ってしまった。




