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色盗み 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 あー、取り込みたての布団のうえでゴロゴロするの、気持ちいいんじゃ〜!

 こう、ぬくもりがぎゅ〜っと閉じ込められたものを、ぎゅ〜っとしぼり上げて楽しむみたいな? あつあつ餃子の端をかじって、皮や肉と一緒に、肉汁をはふはふいいながら楽しんじゃってる、みたいな? それもできたてをね。

 誰も手を出してないものを、いの一番に自分のものにする。そこになんか、やたら魅力を感じちゃうんだよね。

 この手の独占したい気持ちって、どうやら僕たちだけの感覚じゃないみたいなんだ。つい最近、僕もある相手に独占されそうになったことがあるしね。


 ――え、お前そんなにモテるキャラだったか?


 ははは、久々に言葉の切り口がえぐいな、こーちゃん。なんか嫌なことでもあった?

 その時の話をするからさ。ちょっと機嫌直してくれると嬉しいな。



 僕もこーちゃんと同じで、美術の授業が苦手っていうのは知ってるっしょ?

 その時も風景画の課題があってさ。美術室から見た風景を描いていたわけ。

 新しくやってきた美術の先生と僕の美的感覚、致命的にずれているんだよねえ。前の課題で何度もダメだし食らってさ。作品を見せに行くのが怖くなっちゃった。

 だから期限まで、細かい作業を重ね続けて時間稼ぎする。先生が向こうから来てくれるのを、ひたすら待つ。

 物語に出てくる、勇者の訪れを待つお姫様の心境なんかとは、ほど遠い。

 しびれを切らせた魔女が、自分から窯の中をのぞき込んでくれる。それを待ち伏せするグレーテルのほうが、まだ近い。

 せっつかれて、先生が「もういい」と課題を受け取ってくれる瞬間。延々と説教を食らわず、ことを終わらせられる期限。向こうからこちらへ歩み寄ってきてくれるときを、僕は足踏みしながら待っていた。

 

 期日が迫った放課後。僕はまた美術室に来ていた。

 絵が完成していない生徒は、ここで作業することが認められている。僕は準備室に保管してある自分の絵を取り、ポスターカラーの準備を始めた。

 絵そのものは、色塗り含めてほぼ完成している。ただ僕は先にも話した通り、決して「完成」扱いしない。先生へ見せにいかないために、ちまちま色を上塗りしていくんだ。


 今回は僕以外に、美術室にこもるヤツはいなかった。下校時間まで先生たちが見回ってくることもめったになく、僕の行いを知るのは、教室後ろに置かれた石膏製の胸像ばかりといったところ。なにも口出ししてこないギャラリーは素敵。

 僕は緑や黄色や茶色の絵の具を、ちまちまパレットの隅へ出した。適当に混ぜたり、水で薄めたりしながら、これまた適当に絵筆でくすぐり、その穂先へ絡ませていく。

 絵は机に腰かけて、窓越しに外を見ているようなアングルで描いていた。今日は窓から見えている山々から手を入れる。


 実はここから見える山の一部は、最近、木が枯れてしまって少しはげあがっているが、僕は無視して色を付けていた。

 わざわざその一部のために、別の色と手間を用意するのが惜しい。だったらいっしょくたに仕上げてしまいたかったんだ。

 この間は水が多すぎたせいか、紙をふやけさせてしまっている。いまも紙が軽く波打ってしまっていた。僕は適度な濃さで、すでに描かれている葉の上に更なる絵の具をくわえていった。

 

 そんな不毛の作業を30分ほど続けただろうか。

 窓枠の塗りを終え、少し引き戻した腕。そのひじが、机の隅に置いていた筆洗バケツを、つっついた感覚があった。

「まずい」と反射的に思ったね。中にはこれまでの「作業」で、混沌の色を成す水がたっぷり入っている。

 バケツを置いた机のふちはさほど余裕がない、間違いなく床が大惨事になる……!


 ところが、この後に響いたのはバケツの転がる音のみ。床を、机を、ひょっとしたら僕自身すら濡らすかもしれない水の気配が、こそりともしない。

 見下ろす。床に軽く跳ねた黄色いバケツは、そのままコロコロ転がって、はす向かいの机の足にぶつかって止まった。


 ――中身はどこへ?


 そう思うやいなや、ぴぴっと教室のドアに液体が飛び散る音がした。

 取っ手のわずかに上へ、僕が混ぜたであろう色水が数滴。たらりと落ちて、取っ手の銀色をなめ始める。


「誰だ!」


 僕は教室の外へ飛び出したけど、そこには誰もいなかった。下校時間が迫り、気持ち薄暗くなった校舎の廊下が横たわっている。

 それでもじっと周りを観察すると、やがて向かいの教室の壁が気にかかる。ここには掲示板が設置され、学年のお知らせなどが張り出されていた。

 この時は珍しく、校内美化を呼び掛けるポスターが一枚だけ。

「みんなの場所だよ。きれいに使おう」の標語とともに、バックに並べられるのは、きらめきマークを描かれた、ほうきや雑巾の姿がある。

 そのポスターのあちこちに、僕のバケツの中身がひっついているんだ。美術室のドアを汚したのと同じ、何種類もの絵の具を飲み込んできた中身がさ。

 強い緑の中に、ほんのわずかに黒とグレーが混じった、そんな色彩で。



 人の手とは思えないやり方で、僕はわくわくしたよ。絵を描くことよりも、ずっとね。

 犯人を見つけようとしたけど、人に聞いて捕まえられるような手合いでないことは分かる。

 やはり何食わぬ顔で美術室へ向かい、同じことをしながら、待つよりなかった。もうみんなが期限内に作品を仕上げてしまったのか、居残りはあいかわらず僕だけだ。

 またも僕はいつも通り絵に手を入れていくが、これまで以上にうわの空。この前の「ヤツ」がやってこないか、目を光らせている。怪しまれないよう、じっと待つことはせず、あくまで作業をするフリをしながらだ。


 来訪は、水をこぼしそうになったときとは限らない。

 実際、「惨事」を招いてしまったことはあるし、普通に描いていて、筆をバケツに突っ込んだら、いつの間にか水がないということも。

 そして色水を奪ったとき、犯人はドアや廊下に、足跡のように盗んだ色の一部を置いていくんだよ。

 結局、そいつが何者か分からないまま、一週間後に強制的に僕は絵を提出させられる。美術室も閉められてしまい、追及はできなくなった。

 でもこの数日間で判明したのが、犯人は緑系の色を水に溶かしているとき、よく現れていたんだ。



 それから半月ほどが経つ。いよいよ夏は深まり、学校で半袖の制服姿が目立ち出したころ。

 下校途中に、僕はとつぜんつむじ風に吹かれた。髪がなびき、思わず足を止めてしまうほどだったが、僕は見る。

 顔の前に掲げてしまった腕へ、不意に色水のしぶきがくっついた。

 あの美術室で、僕がよく作った色。黒みがかった、深い緑の色だったんだ。


 振り返る。

 いくつものガードレールに、同じ色のハネが飛んでいくのが見えた。

 それが電信柱の横まで行くと一変。その柱の肌を猫が足跡つけるかのように駆け上がり、そのまま近くの屋根を点々と飛びながら、なおも前へ走っていく。

 その先をぼんやり眺めて、僕は気がついた。あの方向、僕が被写体にした山へ向かって一直線なんだ。


 ひょっとしたら、ひょっとする。

 僕は色水の後を追い始めた。当然ながら、川も信号も無視して直進する相手に対し、完全に水を開けられてしまうけど、目的地は読めている。

 僕は駆けながら、山のある一点をにらんでいた。学校から一時間ほど歩けば、たどり着ける裏山だ。足を緩めなければほどなく着く。

 そうしてふもとまで来たとき、あの茶色く枯れた一部の木たちが、にわかに緑を帯びたんだ。僕が美術室でしてきたように、あっという間に周りの緑に溶け込んでいってしまう。時間にして、数秒あったかどうか。


 枯れ木の位置は把握している。山道をずんずん上り、僕は現場へ駆けつける。

 枯れ木ゆえの開けた視界はそこになく、青々とした緑の樹冠が、僕の頭の上を遮っていた。

 試しに、顔の近くまで垂れ下がっている枝葉に手を伸ばしてみる。

 その葉は、ちぎり取らんとする僕の力に抗った。決してハリボテなんかじゃなく、力強く枝へしがみつく命そのものだったんだ。

 


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