こいつの命が惜しければ言うことを聞け!・・・と自分に刃を向けてみる
幼い時に亡くなった母はとても美しく、そして、とても強い女性だった。
それはもう強かった。元々いいところのお嬢様として蝶よ花よと育てられ、ナイフとフォークよりも重いものは持ったことがないような箱入り娘でありながら、どこで出会ってどこで恋に落ちたのか?実家を飛び出し、ただの街のパン屋の跡取り息子でしかない父の元に押し掛け、入り込み、見事に妻の座を手に入れた。実家の力も使わずに平民に馴染んでパン屋の看板娘をやり切るほどに。まあ、実家の力と言っても家を飛び出した時点で実家からは勘当されていて使いようもなかったそうだが。
そんな母の教えは「自分の心のままに従いなさい」だった。さすが実家を飛び出し、恋に生きた母の言。私はいつもその言葉を胸に生きてきた。
はてさて、そんな私は今とても複雑な心境で部屋にあった果物ナイフを手にし、静かに覚悟を決めようとしていた。
いや、嘘。うん、ぱっと見は静かかもしれないが、心の中は大荒れの荒れ模様。まあ、じっとしてても話は進まない。さっくりざっくりやってしまおう!
と、先ほどの果物ナイフを右手にしっかりと持ち直し、左の手首内側に深く突き立てる。
トントンッとドアがノックされるが、今まで感じたことのない痛みに頭がいっぱいいっぱいの私は反応ができない。
「おねぇちゃん?大丈夫?・・・・・・え?き、きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
妹の悲鳴が響き渡り屋敷中が騒然となった。
そもそも何故こんな事態になったのか?
始まりは一年ほど前に遡る。
当時の私は花の19歳!
20才前後で結婚する人が多いから、ちょうど結婚適齢期真っ只中というやつだ。しかし、私はすでに結婚はせずに仕事に生きるか、という心境になっていた。
実家のパン屋は妹の将来のダンナ、近所の鍛冶屋の三男坊で私たちの幼なじみ、昔っから妹にベタ惚れで、肝心のところでヘタレる奴のケツを叩いて(物理)告白させたのはいい思い出・・・。が跡を継ぐとウチで修行しているので心配無用。
仕事に関しても妹カップルが継ぐならと外での仕事を探していたところ、王宮の下働きの募集にうまく引っかかることができた。福利厚生が民間よりしっかりしているし、真面目に勤めれば平民女と言えども下働きから出世することもできるし、ひとり生きていくにはお釣りが来るくらいの給料がもらえる。しかも、下働きとはいえ基本的にこういった王宮での女性のつく仕事、もっと上の身分の方々が着く侍女や女官なども含め、は行儀見習いの面が強い。こう言っては何だが、腰かけのつもりで、仕事は最低限にちょっと上の身分の人との出会いを画策し、寿退社へレッツゴー!なバイタリティー溢れる方々が大半を占める。ので、出世志向で真面目に過ごすには敵が少なく、かつ、やはりベテランはいて欲しい上役の方々に可愛がってもらえるというとてもいい環境なのである。
実家の後継問題もなく、自分の食い扶持を稼ぐこともできる。そうなれば結婚などという面倒なこともしなくてもいいではないか!!となるのも必然では無いだろうか!!!!?
・・・・・・いや、うん。なりませんよね。嫁き遅れの年齢になって、この状態だったらなるかもしれないけどね。
私もこれだけだったらならないし、何なら王宮で勤め始めた最初の頃は期待を込めて規則内でできるだけのお洒落もしてた。でも、それが続いたのも私がパン屋の上の娘と知られるまでだった。そう、私が結婚を諦めた原因は妹、だった。
よくある話、私は父に似て十人並みの容姿。ブサイクでは無いが、特徴もなく、どこかで見たことあるって感じの。美しい母の血はどこいった?と言うくらい普通の顔。さらに、平民に多い栗色の髪で街中にいれば埋没してしまう。
一方で、妹は母に生き写しの美しさ。平民の中では突出した容姿と母ゆずりの輝かんばかりの金髪。幼い頃から、パン屋の娘として有名で年頃になる前から縁談もどきの話がよく出ていた。
平凡な姉と、美しい妹。パン屋の残念な方、と陰で嘲笑され、幼い頃には子供の残酷なほど正直な言葉に傷ついてきた。年頃になって私によってくる男は、妹目当てか、私を女と見ない者。
王宮ではパン屋の姉妹については知っていても、私がその姉の方と知られてはいなかった。だから、やっと、普通に恋人を作り、自分も結婚と言う幸せを掴めるだろうか・・・?と期待したところで、まあ、もうお分かりだろうけど、パン屋の残念な方と知れ渡り、恋人だった男からは妹を紹介してくれと言われる始末。
結婚をすっぱり諦められるか?と言われるとまだ微妙だが、自分から恋だの愛だのチャレンジして行けるだけの気持ちはもう持てなくなった。それゆえに消去法で仕事に生きるか、となったのだ。
消去法だろうが何だろうが仕事に励もうと今までより気合を入れれば、やりがいもあるし、出世も見込める安定した職場は素晴らしかった。元々真面目に仕事をする方だったこともあり、態度が変わってすぐに上司の覚えもめでたくなり、前向きにおひとり様人生を歩み始めた時に、その話が持ち上がってきた。
貴族の養子になり、結婚をし、後継を産むこと。
ただの平民、パン屋の娘に何の冗談か?今までは無事であったが、美しい妹が貴族に目をつけられ手籠にされてしまうのか?と驚き、戦々恐々と話を聞けば、母の実家の話であった。
なんと母の実家は、公、侯、伯、子、男と5つある爵位の中でも上から2番目の侯爵家(騎士爵などもあるが細かい話はここでは割愛)。当代当主は母の弟、私から見た叔父が継いでいて、母の父、私にとっての祖父は数年前に亡くなったそうだ。
叔父は当然結婚し、後継の子供がいたがつい最近熱病に罹って相次いで亡くなり、叔父本人も同じ熱病で生死の境を彷徨った後、無事生還したが、熱病が原因で子種を失ってしまっていた。
喪った命を嘆く間も無く発生した後継問題。侯爵家の領地は広く豊かだが、飛び地や折衝が難しい場所もあり、当主には才覚が求められる。親類縁者の中でも、後継に据えられるだけの血の繋がりがある者に任せられるだけの才覚を持つものが居らず、後継に据えるには難しい血の遠い者や他家には相応しい者がいる。さてどうするかとなった時の苦渋の決断が、姉の娘を養子にとり、侯爵家を任せられる人間を婿養子にとると言う解決策。
”母を勘当し、没交渉だったくせに、都合の良い時だけ利用をするな!!”
と、言いたくなるが、よくよく聞くとそうでも無かったらしい。
母は平民よりも粒揃いの美貌を持つ貴族の中でも抜きん出て美しかった、そんな母の美貌を受け継ぐ妹、二人ともパン屋の看板娘としてそれなりに有名で本来であればそんな二人がただの平民として何の憂いもなく暮らせるはずもなかった。貴族の妾や養子への誘い、人攫いなど危険や憂いはいくらでもある。それらを感じずに生活できていたのは、単に陰ながら守ってくれていた侯爵家の力があったからだったのだ。
私も他人事では無い。いくら平凡顔であろうと、侯爵家の血は私にも流れている。それを利用せんと画策する強欲な人間はいる。さらに言うと、私が王宮への勤めができているのもこっそり叔父が口添えをしてくれていたらしい。
そんな風に陰ながら支えてくれていた叔父がなぜ、表立って接触を持ってこなかったかと言うと、貴族としての体面があったからとのこと。
母は元々大変優良物件であったらしい、王家にも望まれるくらいに。代々侯爵家の当主は領地経営で忙しく中央政治に関わることなく、それに伴いのし上がろうと言う野心も無い。さらに、ここ何代かは王家に嫁ぐ人間も、王家から降嫁した人間も居らず適度に血が薄まっている。王子やその側近とも年の頃が合い、適度な頭の良さと強さ、と言うか強かさを持ち合わせた上でのその美貌!水面下で取り合いが勃発している中での母の出奔。そんな立場から、自分の望む相手と添い遂げようとした母を援護することは侯爵家としてできなかった。特に当時の当主であった祖父はなおのこと周りへの体面と義理だてのために母と接触を持つことはできなかった。もちろん最初は認められない気持ちもあったのだが、平民に馴染み父と幸せそうに過ごす母の報告を受け、幸せならと早々に認めてはいたらしい。
さて、話を戻して、二人姉妹どちらを養子にするのか?
片や、仕事に生きると宣言し、決まった相手もいない姉。
片や、実家のパン屋を継ごうとし、将来を誓い合った相手が居る妹。
考えるまでもなく、私が養子に入ると言う話になった。叔父から見たら、どちらでも構わないが、平和に決定でき、長子相続が一般的なこの国だから長女と言うのは外聞がいい。父と妹からすれば、まだまだ花の盛りに結婚を諦め仕事に生きると宣言する姉を心配していたら降って湧いたこの話。両手を上げて喜んだ。叔父に交換条件として、いいひとを伴侶に選んでくれと提示して。
話は理解した、だが納得はしてはいない!
3対1で説得が始まるも、色々なものを飲み込んで、覚悟を決めて向き合うようになった仕事が楽しくなり始めたこの時期に辞めて家に入れと言われてもそう簡単に肯けない。説得されればされる程、頑なになってしまう自分がいた。
とりあえず一旦保留のまま解散し、仕事場の王宮に戻る。上司には相談せねばと思いながらも踏ん切りがつかず、仕事を言い訳に日々過ごして数日後。叔父さんから手紙で呼び出しをくらい、行ってみると婚約者と言う男を紹介された。まるで私の養子縁組の外堀を埋められるかの行いに反発し、さらに頑なになっていく私はその婚約者とやらのことを一切無視し王宮へと戻った。
そしてモヤモヤを抱えたまま、さらに数日後。仕事中に急に上司に呼び出されたかと思うと、侯爵家から至急来るようにと連絡が来ていたらしく、とる物もとりあえずに侯爵家へと向かう。そこには叔父だけでなく、先日紹介された婚約者と妹、・・・そしてベッドに横たわる父がいた。
4人で集まり私を説得するための作戦会議をしていた所、急に父が倒れ医者に診せた所難しい病気で、治すには平民からすれば莫大なお金が必要とのこと。結果、考える暇のないままに、薬代と引き換えに養子になることを了承させられ。あれよあれよと言う間に、仕事を辞め次期侯爵夫人としての教育が始まった。
何もかもが違う世界だった。王宮の下働きとして多少の礼儀作法は習っていたつもりだったが次元が違った。一挙手一投足を矯正され、常に誰かしら使用人がいて何もかも彼らにしてもらう生活。平民として何もかも自分で行う生活をしていた私には馴れる事のできない苦痛の日々だった。
父や妹に会えないのも大きかった。療養のためと別荘に送られた父とは会うことができず、様子を尋ねても療養が必要だとしか返ってこない。落ち着いてみれば怪しさ満点の父の病気だが、かといってそれを嘘と言い切るだけの情報は私にはなかった。妹は妹で生活がある。父が療養で侯爵家の別荘に行っている現状、まだ修行中の妹とその婚約者では今までと同じようにパン屋を営むことはできない。忙しいのが目に見えている中、自分のもとに会いに来てもらうことも、会いに行く事も躊躇われた。
慣れない生活と父の健康への不安で神経をすり減らす中、婚約者の存在が大きくなって行ったのは必然だったのかもしれない。婚約者は侯爵家の後を継ぐための勉強が大変だからと私と同じタイミングで侯爵家で寝泊りするようになっていた。周りも気を遣ってか、忙しいであろう中、少なくとも食事とお茶の時間はよっぽど外せない用事がない限り一緒になるように手配されていた。初めは多少反発もしていたものの、いつまでも反抗し続けられるほど子供でもいられない。少しづつ歩み寄っていき信頼関係を築けていたと思う。
・・・この関係が政略で尚且つ婚約者は妹に会ったことがある、だからこそ私はどこか安心して信頼して行った。利害が関係し、自分の彼に対する恋愛的な好意がないからこそ、裏切りがないのだと、そう思えた。
そして、運命の日がやってきた。
その日はみんなが忙しかった。社交シーズンが終わったからと、侯爵家で勉強を始めてから半年ほど経った頃に領地へと移動していた。領地でさらに半年ほど過ごし、次の社交シーズンの準備を早めに始めようと私と婚約者は早々に王都に戻ってきていた。半年留守にしていた間の確認や、社交の準備やら、細々したことでみんなが動き回る中、できることが少ない私は部屋でおとなしくしていた。だから、ちょっと、魔がさした。午前中だけで暇に飽きていた私は、そうだ妹たちの様子を見に行こう!と思い立ったのだ。今日は婚約者も一日お出かけで少し外に出てもバレなければ大丈夫、と。お昼ご飯を食べてから、本を自室に持ち込み、今日は大人しく本を読んで過ごすから、夕飯まで一人にしておいて、と、それまで私のことは放っておいていいから他の忙しそうなところを手伝ってあげてと言いおいて使用人たちを部屋から追い出す。
あとは案外簡単に、捨てきれずに取っておいた平民服に着替え、うまいこと使用人たちと顔を合わせずに門まで辿り着けば、外からの人間には厳重でも中から出ていく人間には案外無頓着なもの、元気に挨拶しながら堂々と出ていけばすんなり通れる。普段直接顔を合わせる事も少ないし、まさか次期侯爵夫人が平民服にスッピンで堂々と外に出かける訳が無いと普通は思うだろうしね、さらに忘れちゃいけない私の平凡顔もいい仕事をしてくれたはず・・・。
貴族の住む地域から、平民街にある実家のパン屋までは若干遠いが久々の外出にウキウキしていた私は気にならないまま鼻唄まじりに歩いて行った。
「あら、久しぶりだねぇ。元気してるのかい?」
そう、声をかけてきたのは八百屋の女将さん。実家のパン屋はもうすぐというところまで来てて、一瞬どきりとしたが、そもそも私も生まれてこのかた20年近くここで過ごしていたのだから近所には知り合いだらけ、こうなることは十分予想できたのだ。
「おばちゃん、お久しぶりっ!ふふっ、元気だよ!おばちゃんたちはどう?」
たった1年、されど1年。こんな気さくなやりとりが懐かしく、涙が出そうになる。
「ああ、ウチも変わらずだよ。息子のところに子供ができてねぇ、半年後にはおばあちゃんさ!
にしても、元気そうで何よりだ。顔の色艶もよくなってるし嫁ぎ先でもよくしてもらってるんだねぇ。仕事に生きるって言っててた子が急に嫁いでったっていうから心配してたんだよ。
あんたの父さんも大分寂しそうにしていたし、顔出してやったら喜ぶんじゃないかい?」
「え、父さんが?」
ドクンと心臓が嫌な音を立てる。
女将さんが少し苦笑いを浮かべて話す。
「ああ、元気にパン屋はやってるんだけどねぇ。寂しいみたいでうちのダンナとたまに呑みに行ってるよ。
妹さんはパン屋を継ぐし一緒に住んでるけど。それとこれとは別なんだろうね、毎日会える場所に嫁いでもやっぱ寂しいもんだし、あんたはあまり会えないとこに嫁いだんだろう?余計にだよ。早くに奥さん無くしてあんたたちのこと溺愛してたしねぇ。」
ドクンドクンと、心臓がうるさいくらいに音を立てる。
そのまま、2、3言、言葉を交わして家へと歩を進める。
ギィ、と音を立ててパン屋のドアを開く。
「いらっしゃ、あ、おねぇちゃん!」
売り子をしている妹が、少し驚いたあと満面の笑みを浮かべてカウンターから出てくる。その声につられたのか、奥から妹の婚約者と父が顔をだす。
「お帰りなさい!今日はどう・・・」
「なんでお父さんがいるの?」
妹の言葉を遮って言葉を紡ぐ。
3人がはっとし、気まずげな表情を浮かべる。
それが、答え。だった。
そのあとのことははっきりと覚えていない。気付いたら侯爵家の自分の部屋にいた。
それから部屋に引き篭もった。食事だけ部屋に運ばせて何をするでもなく、ずっと部屋で過ごした。突然の変化に叔父さんも、婚約者も、使用人たちも驚き、理由も分からず困惑し、心配していたようだ。しかし私のただならぬ様子に無理やり部屋から引きずり出すことも躊躇われたようで、数日がたった。
お父さんも、妹さんも来てる。一緒に話をしよう。
そう言われて、数日ぶりに部屋を出た私は一切顔を合わせないまま、婚約者にエスコートされながら応接間に向かった。
そこには、あの日、父が倒れたと言われた時のメンバーが、叔父、父、妹、婚約者、そして私、が揃っていた。
「・・・話をしよう」
誰かが、口火を切る。
「みなさん、グルだったんですね?」
沈黙が、答えだった。
「話すことはございません。失礼します。」
早々に立ち上がり部屋を出ようとした私の腕を婚約者が掴む。
「待ってくれ、話を・・・」
「信じてたのにっ!」
それ以上何を言えばいいか、その言葉が正しいのかすら分からなかった私は、自分を掴む手を振り払い自分の部屋へと走って逃げた。
そして、冒頭へと場面は戻る。
・・・・・・やっちまった・・・・・・
あまりの痛みに意識を飛ばし、最初に思ったのがこれだった。
言葉の割にあまり後悔はしていないのだが、他にやりようがあっただろうと思うのもまた事実。かっとなっていたとは言え・・・、むしろ適度に血が抜けて冷静になれて良かったのか?とかよく分からないことを考える。
・・・とりあえず、これからどうしようかなぁ
そしてこの後主人公ははっちゃける、予定まる