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シリーズ 長い3世紀のルポルタージュ  作者: 久志木梓
Vol.4 記憶のなかの肖像画Ⅱ
25/26

4-1 司馬遹

「へい、らっしゃい」


 皇太子殿下にこう言われて何と返すべきか、僕にはわからなかった。


 そのとき僕は殿下の肖像画を描くために、東宮(とうぐう)へやって来ていた。皇太子殿下ということは、当然今上陛下のご長男だ。それなのに顔を覚えるための肖像画が必要なのか、僕は多いに疑問に思った。しかしもちろん、僕はいただいた仕事にどうこう言う立場にはない。それでおとなしく宮中へ、殿下のお住まいである東宮へやって来たわけだが、このような思わぬおもてなしを受けた。


 殿下は、東宮の庭で店を開き市を開催されていた。市だから、殿下の店以外にも複数の店が官人によって開かれていた。驚くべきことに地面にござを敷いた行商ふうのものだけではなく、ちゃんとした店舗がいくつかしつらえてさえあった。殿下は市の小さな複製を、ご自身の王宮のお庭に作り上げられていた。そして殿下はその店舗のひとつで自ら店主役をやっておられるのだった。


 殿下が(ふん)されているのは、肉屋だった。肖像画を描きにやって来た僕は一にも二にもなく庭へ引っぱりだされて、客役をやるようおおせつかったのだった。


 おおせつかったからには、やらないわけにはいかない。僕は(たもと)から財布を取り出して、恐る恐る言った。「一番安いのを……」「どれぐらい」と殿下がおっしゃるので、僕は手持ちの額面を申し上げた。「これで買える量で……」「なるほど」と殿下はうなずかれて、羽をむしった鶏肉を手に取り、肉包丁をつかんで手ずから切り取られた。それは本当に小さな塊だった。殿下は秤にのせてきちんと量られたが、殿下が目ばかり手ばかりで切り取ったその塊は、ぴたりと重りと釣り合っていた。


 僕は買った鶏肉の小さな塊を、高そうな紙に包んでいただいて持ち帰った。その日は肖像画のしょの字も持ち出せなかった。鶏肉の味は、小さすぎてよくわからなかった。


 殿下はこうして市を開くほかにもお屋敷で野菜や鶏を育てさせ、売って利益を得ているということだった。殿下が幼いとき先帝陛下に期待されていたのは有名な話だったから、もうすっかりだめになったと嘆く人がいた。いやもともとああなんだ、母親が肉屋の娘だからと言う人もいた。その一方で、いやあれは今の宮中を生き抜くためのふりだと言う人もいた。得た利益はいつか来るその日のための軍資金なのだと。僕にはどれが本当だったのかなんてわからない。ただ殿下がどの意見も自ら証明されることのないまま亡くなられたのは、とても残念でならなかった。





司馬遹(しばいつ)(二七八~三〇〇)


西晋(せいしん)の皇族。二代皇帝・恵帝(けいてい)司馬衷(しばちゅう))の子。幼少期は聡明で初代皇帝である武帝(ぶてい)司馬炎(しばえん))から宣帝(せんてい)(西晋の基礎を築いた司馬懿(しばい))の再来であると評された。皇太子となってからは乱行奇行(らんぎょうきこう)が目立つようになり、東宮に市を立てたのもその一つである。最期は恵帝の皇后である賈南風(かなんぷう)の陰謀によって罪を着せられ、幽閉ののち二三歳で殺された。この事件が西晋を滅亡させる内乱・八王(はちおう)の乱の引き金となる。(おくりな)愍懐太子(びんかいたいし)




「皇太子殿下ということは、当然今上陛下のご長男だ。それなのに顔を覚えるための肖像画が必要なのか、僕は多いに疑問に思った。」


恵帝(けいてい)には自身の息子である司馬遹(しばいつ)の顔がわからず、武帝(ぶてい)に「お前の子である」と言われて初めて気がついたという話が『晋書(しんじょ)』「愍懐太子伝(びんかいたいしでん)」に見える。




「殿下が幼いとき先帝に期待されていたのは有名な話だったから、もうすっかりだめになったと嘆く人がいた。いやもともとああなんだ、母親が肉屋の娘だからと言う人もいた。いやあれは今の宮中を生き抜くためのふりだと言う人もいた。」


前述の通り、幼少期の司馬遹は聡明であり、祖父にあたる司馬炎はその将来を嘱望していたと『晋書』「愍懐太子伝」は伝える。


司馬遹(しばいつ)の生母である謝玖(しゃきゅう)の父親は羊肉を商っていたが、謝玖(しゃきゅう)は美貌と才気に恵まれていたため試験に合格して宮中にはいった。まだ恵帝(けいてい)が皇后をめとる前、恵帝が房中のことを知らないのを案じた武帝に、指導のために恵帝のもとへ送り出され、司馬遹を生んだ。のち司馬遹が殺されるにおよんでともに害されている(『晋書』「愍懐太子伝」および「后妃上 恵羊皇后附謝夫人伝」)。


司馬遹が皇太子として東宮にあった時代は恵帝の皇后・賈南風(かなんぷう)の専横時代にあたる。賈南風は自身に皇子ができないことから、皇子をみごもった別の妃の腹を自ら(げき)で打ち堕胎させるなど手段を選ばなかった(『晋書』「賈后伝」)。賈南風と司馬遹の対立は、臣下が東宮の警備を強化するほど明確だったという(『晋書』「裴頠伝」)。

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