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シリーズ 長い3世紀のルポルタージュ  作者: 久志木梓
vol.1 黒い海と金の冠 北東の十字路を行く
2/25

1-1 曹操の通った道

 一〇〇年前に魏武(ぎぶ)曹操(そうそう)の軍団が通った道を私達はたどっていた。


 ただし曹操のように数万の兵を率いているわけではなく、ましてや張遼(ちょうりょう)のような猛将を連れているわけでもない。私達の目的地は曹操とほぼ同じだが、目的はまったくちがうからだ。曹操の目的は長年対立関係にあった袁尚(えんしょう)と、袁尚と手を組んだ烏丸(うがん)族を征伐することであり、私はただこの地の風物を記録することを目的としていた。


 ここは京師(みやこ)洛陽(らくよう)のはるか北東にある昌黎(しょうれい)郡。万里の長城を後にしてすでに何日も経っている。ここはいわゆる塞外(さいがい)の地であり、中華の北の境界の、その向こう側なのだ。私は騎馬と遊牧の民である鮮卑(せんぴ)族が支配するこの異郷を越え、鮮卑族の部族のひとつである慕容(ぼよう)部の王庭(みやこ)棘城(きょくじょう)を目指していた。


 とはいえ曹操が通ったとされる場所近くまで来ると、寄り道するという誘惑にあらがえなかった。そこで無理を言って寄り道したのだが、そんな私を、護衛にあたっている慕容部の戦士たちは不機嫌そうに見た。仕方のないことではある。私の目には曹操の勇壮な旗幟(はたじるし)が林立するかつての様子が容易に想像できるこの場所も、彼らにとってみれば、ただの海岸沿いの低地、あるいは遠浅の海岸、あるいは泥沼に過ぎない。深いところでも浅すぎて舟は通れず、かといって浅いところでも馬や車は足をとられ車輪をとられるぐらいに深くて進めない、交通の難所でしかない。そこにわざわざ馬から降りて足を踏み入れ、くるぶしまで泥にうまりながら感に打たれている私のことは、彼らにとって不可解でしかないだろう。


「気はすみましたか? 旦那」


 通訳の男が私に声をかけた。彼はずぶずぶと慣れた様子で泥を踏み抜いて私の近くまで来ると、気安く肩を叩いてさり気なく、


「相当いらだっていますよ、彼ら」


 と忠告を与えてくれた。


「もともと無駄足の大嫌いな連中ですから」


 そう言って通訳は軽く振り返ると、高い鼻で後ろに控える慕容の戦士たちを差した。不機嫌さを隠そうともしない彼らに、通訳は満面の笑顔を向けて軽く手をふりながら、


「имаику!」


 と明るい声で短く、彼らの言葉を投げかけた。戦士たちは泥で足を汚し険しい表情のまま、牛の角を削ってつくった強弓や、肉厚で短い、馬上で振りやすそうな腰の剣をかちゃつかせて答えた。


「さ、行きましょう、旦那」


 通訳は私に有無を言わせなかった。


 魏武(ぎぶ)()武帝(ぶてい)、”武功ある皇帝”の称号を(おく)られた曹操の道をたどる旅は、ここで終わりだ。ここから曹操は田疇(でんちゅう)という人物に先導してもらったが、私は馬を駆る慕容たちの道を行くことになっている。


 私は慎重に道を戻ったが、戻る途中で振り返り、海を見ずにはいられなかった。この海岸から見える海は、黒々としているのだ。黒い海、渤海(ぼっかい)は、沖のほうまで水深が浅く海面は緑がかって見えたが、しかしある地点までいくと急激に黒くなる。『淮南子(えなんじ)』に見える通りの北方の海、「玄海(げんかい)」、(くろ)い海だ。旅を始め最初に見たときほどの衝撃はないにせよ、異郷に来たのだという感慨を深くさせるもののひとつが、この海だった。私はこの光景を目に焼き付けてから、警戒役の戦士と馬とを置いてきた小高い丘まで戻った。

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