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シリーズ 長い3世紀のルポルタージュ  作者: 久志木梓
Vol.3 記憶のなかの肖像画
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3-1 阮咸

 阮様(げんさま)は窓際で秦琵琶(しんびわ)を弾いておられた。僕のほうはちらりとも見られなかったが、僕はほっと胸をなで下ろした。阮様は第一に奇行の人として知られる。そして権威が大嫌いである。そういう方のもとへ勅書(ちょくしょ)を携えて、「顔を描かせてください。なお、これはお(かみ)のご命令である」と言いに行くなんて、一体どんな想像の埒外(らちがい)にある応対をされるかと、気が気でなかったのだ。僕は安心して阮様へ一言断りを入れてから仕事道具を並べた。改めて見ると、阮様が背にする窓の外に、なにか白く動くものがあった。ふんどしだった。


 ふんどしだった。真っ白なふんどしが一丁、長い竿のさきにぶらさげられて、阮様のお(たく)の中庭で風にたなびいていた。「なぜ……」と説明を()うあえぐような声が僕の口から漏れたが、当然と言うべきか、阮様は僕などに構わず、変わらず秦琵琶をつま弾いておられた。


 ジャン、とひときわ強く秦琵琶がかき鳴らされた。秦琵琶に応えるように、ビュウと強い風が吹いた。風に吹かれて、ふんどしが竿から飛ばされ空高く舞い上がった。


 一瞬だった。阮様は「(かつ)っ」と気合いを発せられると、秦琵琶を置いて窓枠を乗り越え、猛然と中庭へ駆け出された。僕が呆気(あっけ)にとられているうちに、ふんどしと、ふんどしを追いかけて走る阮様は小さくなり見えなくなった。


 逃げられた、と気づいたのは日が傾いて「まだ帰りませんか」と下男に皮肉を言われてからだった。僕はそれまでずっと、そのまま部屋で阮様が帰ってくるのを待っていたのだ。若かった僕は、それぐらいの野暮天(やぼてん)だったのである。





阮咸(げんかん)(?~?)

三国時代の()から西晋(せいしん)にかけての文人。

俗世から超越した態度や奇矯(ききょう)な言動を用いて権力者に抵抗したとして、後世に並び賞賛された「竹林(ちくりん)七賢(しちけん)」の一人。

同じく竹林(ちくりん)七賢(しちけん)の筆頭にあげられ、「白眼視(はくがんし)」の由来となった阮籍(げんせき)の甥。

リュート型の弦楽器・秦琵琶(しんびわ)に精通し、秦琵琶(しんびわ)はのち(とう)の時代に阮咸(げんかん)と呼ばれるようになり、月琴(げっきん)の前身になったともされる。

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