2-3 楽園の裏口
今回の取材は、大きく分けて二段階で構成されている。
まず水車職人の見習いとして金谷邸の庭園に潜入した後は、また変装して屋敷の中へ潜入する手筈になっているのだ。そのため、親方とその弟子たちとはしかるべき時と場所を見計らって別れた。
「じゃあ、うまくやりなよ」
と物静かな弟子は言ってくれた。もし全てがうまくいけば、私は水車の点検を終えた彼らとともに脱出することになっている。
「うまくやってくれなきゃ困るぜ。あんた、ばっちり顔を覚えられてんだから」
元気なほうの弟子が不満顔で言った。申し訳ない、と私は答えた。うまくいかなかったら、うっかり川に流されたことにでもしてほしい。
「……」
親方は無言でがっしりと私の肩を力強く掴んだ
「姐さんによく伝えてくれ。お前の口から」
そう私に約束させると、彼はばしりと私の肩を打った。気合いを入れるようでもあり、厄を祓うようでもあった。
「遅いよ、まったく」
金谷邸にはいくつもの裏口がある。その一つをくぐって屋敷の中に入ると、入り頭にこう毒づかれた。毒づいた彼女は美姫である婢女の世話をする世話係の婢女、いわゆる房老の長だ。便宜上、彼女のことは「刀自」と呼ぶことにする。もちろん彼女も今回の取材の協力者であり、裏口の閂を開けておいてくれたのも彼女だ。
申し訳ないと謝る途中で異様なものに気づいて、私は思わず鼻をひくつかせてあたりを見渡してしまった。異様なのは、匂いだ。ただよう匂いは、鼻を突く異臭というわけではない。むしろ爽やかな、柑橘のいい香りがするのだ。
しかし、どこから? どの裏口なのか特定されてしまうかもしれないのであまり周囲の様子を具体的に記述できないが、ここは裏口なのだ。使用人たちの空間であり客や主人が通りがかるような場所ではなく、したがって香を焚くような場所でもない。
いぶかしげな私に、
「壁だよ」
と刀自は面倒そうに言った。
「花椒の実を乾かして砕いたのを、壁に塗り込んであるんだよ。この屋敷中、そうさ」
なんという事だ、と思わず口をついて出た。
花椒を混ぜた泥壁は、椒房、つまり皇后の宮殿における風習だ。花椒の実は壁に塗られてもなお芳香を放ち、寒気を防ぎ、また多く実をつけることから子孫繁栄の願いがこめられている。
しかし、……しかし椒房は、帝室の財貨をもってしても、せいぜい皇后の宮殿のみに施すのが精一杯の、非常に金がかかる風習のはずだ。それを石季倫はこの広い屋敷の壁すべてに施工しているというのだろうか。とすれば、石季倫の全財産の総額は、帝室のそれも、そして国庫のそれも、はるかに上回るのではないだろうか。そして何より、臣下の身でありながら帝室の風習をまねるなど、あまりに大それたことだ。
帝室を模造する不敬、陛下も国家も凌駕する財力。私はめまいを感じた。
「あんた、早くおしよ」
固まって動けないでいる私の腕をつかんで引きずりながら、刀自はいらだった様子で言った。
「ここに来ちまったってことは、あいつには会わなかったんだね? 間の悪いやつだ。ほら、こんなことでいちいち驚いてたら身が持たないよ。ほら早く。情けない男だね」
――なぜそんなに急ぐんですか。
想像を超える石季倫の楽園に驚かされ動揺していた私は、刀自に噛みつくように言い放ってしまった。
対する刀自の答えは簡潔だった。
「ご主人様の予定が変わった。帰ってくるかもしれないらしいんだよ、すぐにでも」




