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シリーズ 長い3世紀のルポルタージュ  作者: 久志木梓
vol.2 金谷の大豪邸 金ぴかの楽園のそちら側
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2-2 楽園の外見

 大富豪・(せき)()(りん)の豪邸は、都・(らく)(よう)の北の郊外、(きん)(こく)に存在している。もちろん高官である彼がふだん暮らす屋敷は朝廷に参内するのに便利な洛陽の城内にあり、この(きん)(こく)(てい)は別荘だ。そしてあと五日は、ここに彼は来ないことになっている。


 金谷邸にはその主人と同じく様々な伝説風説が流布しているが、はじめに言っておこう。あの伝説やら風説やらは、大体において真実だ。


 金谷邸は(きん)(こく)(すい)の清流を背景に、木の(ほん)(すう)にして万はありそうな鬱蒼とした森に囲まれていた。川と森に抱かれた屋敷は複雑に肥大し絡み合い、渡り廊下で連絡している。一部の渡り廊下は、清流を眺めて楽しむためだろう、屋敷に絡みつくような金谷水の流れの上に渡されている。組み合わさった建物の(むね)はもちろん四つどころではなく、()(ごう)(いん)という名前があるのだから(ひゃく)(ごう)(いん)とでも名付けたいような、巨大な建物群だ。


 とはいえ、この屋敷には美姫として扱われる美しい婢女(どれいおんな)が百人あまり住んでいて、もちろん彼女たちの世話をするあまり美しくない婢女がその数倍はいて、彼女たちの監視監督や雑務をこなす(かん)(がん)がさらにその数倍住んでいるのだから、これほどの巨大さは必要なのだろう。


 庭園には澄んだ池があり、青々とした(あし)の茂る沼地もあり、そういった景観を眺めるための高い(ろう)(かく)も二基備え付けられている。森は東西のあらゆる植物を運び移植させてつくった人工林で、狩りのために様々な鳥を放しているという。魚も同様で、釣りを楽しむために必要に応じて泳がせる種類を変えるらしい。慣れない環境で日々死んでいく動植物は多いが、また補充すればいいという考えのもと、庭園が静まりかえることはない。その活気を生み出している生態の不健康さや歪みはどうであれ。


さて、潜入に協力してくれた職人の親方だが、彼の名前は明かせない。彼の弟子たちについても同様だ。


 今回の取材は内容が内容であり取材対象が取材対象であるため、協力者たちは基本的に「誰であるのかわからない形でなら」という条件付きで協力してくれた人々だ。だから彼らのことも、個人が特定されかねない詳しい素性は伏せるし、名前についてもただ単に「親方」や「弟子」とだけ呼ぶにとどめる。これは今回の協力者全員に共通だ。


 本題に戻ろう。


「親方」は、石季倫が所有する多くの荘園のうちの一つで、水車の維持管理や補修を任されている人物だった。言うまでもなく水車は大規模で複雑な仕掛けを持つ精密機器であり、扱えるのは熟練の職人だけだ。彼はそんな熟練工をまとめる親方の一人であり、金谷邸の庭園にある水車点検の命令を受けてやって来たのだ。金谷邸の水車点検は近隣の各荘園の親方たちが順番に受け持っており、今回は彼の番だったのだという。


「水車を扱えるやつは少ないが、」


 潜入の前に彼は語ってくれた。


「あの(せき)の大旦那ほどの金持ちになれば、わんさかお抱えの職人がいる。ほかのお(だい)(じん)を得意先にしている職人全員をあわせたって、あんなにはいないんじゃないかね」


 彼の話を聞いて私は驚いたが、今ではそれはそうだろうと思う。この金谷邸を実際に見た今ならば、納得するしかない。


 なぜなら水車は精密機器であると同時に、巨万の富を生み出すからくりでもあるからだ。取れた穀物を脱穀しないで食べられる者などいないし、水車、つまり水力を利用した(つきうす)である(すい)(たい)はその脱穀を高速かつ大量にやってのける。それでいながら、水碓を維持管理できる財力を持つ者は非常に限られている。石季倫は自分の荘園で収穫された穀物だけでなく他の荘園の収穫物も脱穀し、脱穀料を徴収することで莫大な利益を得ているのだ。


「荘園の水車に比べたら、ここの水車なんてお遊びだ。実際、たまには水車も見たくなるからって理由で備え付けられたらしいからな」


 と親方は言った。金谷邸の水車がお遊びだというのなら、荘園のは何だというのだろう? 弟子の一人が身振りを交えてこう語ってくれた。


「荘園のはちがう。全然ちがう。あれは……あれは、気分が悪くなりそうになるんだ。そんぐらいたくさんあるんだよ、水車が。たくさんの水車のうなり、きしみ、(きね)が持ち上がって、落ちて、臼をとんとんとん、とんとんとん、とんとんとんとんとん。すさまじいんだ。しかも、それを毎日だ。点検や修理のために止めている時間が惜しいって上はうるさいし、それなのに水車の調子が悪かったら、おいらたちを殴るし。だんだんさ、あの臼や杵でとんとん、とんとんやられてるのは、おいらたちのほうなんじゃないかってさ、臼からこぼれた(もみ)を箒で掃いて集めてるときとかに、あのとんとんとんを傍でずっと聞いてると、そんな風に気が狂いそうになるんだよ……」


 話を聞いていたもう一人の弟子が、静かに続けて言った。


「誰だって、超一流の職人になるよ。あそこにいたら。なれなかったら、くびにされるから」


 彼が話す後ろで、単に暇を出されるという意味ではないのだと、最初に話してくれた弟子が身振りで示していた。


 この金谷の大豪邸は、そういった金でできているのだ。


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