第五話 転機
その日の夜、俺は凛の乳房に顔を埋めていた。
「どうしたのさ、急に来るなり」
凛はそんなことを言いつつも抵抗せずに、俺を受け入れてくれる。
関羽はなんか重いんだよなー。
黄巾賊なんて知らねえっつーの。
天下とか何いってんのっつー話である。
俺に優しいのは凛だけだ。
「それは、あたしが遊女だからさ」
まあそうだが。
一応、金は払っているが。
その分、気楽と言うか。
関羽の身体は極上だったし、ただでやらせてくれたが……。
「第一、黄巾党ってのは最近、この辺にも出るようになってねえ。玄ちゃんがやっつけてくれるんなら、あたしらも助かるんだけど」
マジで?
この辺にも出んのかよ。
こっわー。
「まあ、青州の方の賊だから、この辺のは流行りに乗っかったゴロツキだろうけどねえ。黄巾が後ろについているって言って、ただで遊女とやろうとしたりして、手に負えないのよ」
なんちゃってかよ。しかし。
「それは酷いな」
「ところで、玄ちゃん。今日の支払いは?」
「ツケで!!!」
「………」
前言撤回。そういえば金は持っていなかった。
一瞬、なんちゃって黄巾賊と変わらないのではと思ったが、気のせいだろう。
凛のもとを後にして、月夜をとぼとぼと歩く。
家に帰ると、関羽がいるんだろうか。
まあ、義だのなんだのうるさいが、この前みたいになし崩し的に抱いてしまえばいいか。
凛を抱いた後だが、この劉備玄徳。何発でも出来る!
そんな時だった。
前方から若い娘が走ってくる。
ぜえぜえと息を切らせて。
それは、幼馴染の雍だった。
「玄ちゃん、大変だよ! どこ言ってたのさ!?」
風俗です。とは口が避けても言えない雰囲気だった。
雍が来ると言うことは、家に何かあったんだろうか。
「とにかく急いで!!」
雍に続いて、走り出した。
妙な胸騒ぎがする。
息を切らして走る。
何年ぶりだろうか。
肺も脚も痛い。
それでも走った。
そして、たどり着いた家は。
「なんで……」
轟々と燃えていた。
俺が生まれ育った家が。
耳に聞こえるのは下衆な笑い声。
「ほんとなんもねえでやんのな!」
「ったく、貧乏な家を襲っちまったぜ」
「ババアしかいないしよっ」
ガスっと、何かが足蹴にされていた。
よく見れば、変わり果てた母だった。
傷だらけになって、力尽きたような母。
そして、母を取り囲むように、黄色い頭巾をした男たちがいた。
五人。
目の前が真っ赤になった。
「何してんだ、てめえらっ!」
自分でも驚くような大声だった。
「おっと、この家のクソ息子のお帰りだ」
「毎日、働きもせず、飲む打つ買うの三拍子揃ったクズらしいぜ」
そして再びの下衆な笑い声。
それは事実だった。
事実だったが、それと変わり果てた母になんの関係があるのか。
「ぶっ殺してやるっ!」
思わず飛びかかっていた。
母を足蹴にしていた男を思い切り殴る。
「ぐはっ」
手が痛かったが、全く気にならなかった。
「何すんだクソ息子!」
「ぶっ殺すのはこっちのセリフだ」
途端に囲まれて、頬を殴られた。
そのまま地面に倒れると、バキバキと足蹴にされる。
目の前には、母が横たわっていた。
その目には力がなく、口元は固く結ばれている。
(たまには働きな、このろくでなし!)
そう元気に怒鳴っていたのは、いつだったか。
なんで何も言わないんだよ。
いつものように叱ってくれよ、かーちゃん。
「何をしているか!!!」
その時、聞き知った声が凛と響いた。
「この悪漢どもがっ!」
関羽だった。
瞬く間に、黄色い頭巾の男達が鉄棒でなぎ倒されていく。
俺を足蹴にしていた痛みが引いていった。
そんなのはどうでもいい。
俺は全力で母の元に駆け寄った。
「かーちゃんっ!」
「待て、今は動かさないほうがいい。ひでえ傷だ」
張飛が俺を止める。
いつも怒り狂っていたような張飛の冷静な声に、なぜか落ち着くことができた。
「主様!」
関羽が駆け寄ってくる。
「すみません、大変なときにいなくて……翼徳とともに実家に荷物を取りに帰っていたのですが……」
その言い訳のような声を聞いて、やたらむかっ腹がたった。
家にいると思っていた関羽がいないとか。
「いなくてじゃねえだろ、てめえ!!」
痛む身体で、関羽の胸ぐらを掴む。
いや、悪いのは関羽じゃない。
そんなのはわかっている。
俺は一体何をしていた?
酒をかっくらって、娼館に入り浸っていたのではないのか。
「悪い……」
「いえ……」
関羽との間に、気まずい雰囲気が流れる。
「玄ちゃん、おばさんが」
そんな時、雍の声が聞こえた。
振り返ると、倒れ伏した悪漢達、その中央に、雍に抱きかかえられた母の姿があった。
何かを口にしようとしている。
「かーちゃん!」
駆け寄って、耳をそばだてる。
「このろくでなしが……」
聞こえてきたのは、いつもの悪態だった。
少し安心しつつも、その声に力はなく、目が開けられることもなかった。
「お前は、自分が何をすべきかわかっていない……お前は器が大きすぎるのだ。只人のように生きることはできまいて、なぜならお前には劉勝という、王の血が流れているのだから」
母の言っていることがよくわからなかった。
俺は父の顔も知らず、母の手で育てられた。
今更、何を。
「中山靖王劉勝……」
関羽がそんなことをぼそっと呟いていた。
「人より時間がかかってもいい。お前がやりたいことを……ちゃんと……」
「おばさん!!」
そして、母の息が止まった。
「うおおおおおおおっ!」
慟哭。
ただ、ひたすらの慟哭。
俺は母に何一つ、恩返しをできなかった。
ろくでなしの息子の姿しか見せられなかった。
なんで。
俺は。
母の埋葬を関羽と張飛に手伝ってもらった。
母は、幸い燃え残っていた庭の梅の木の下に埋めることにした。
そして、俺は関羽と張飛に、悪いけど一人になりたいと伝えた。
母の埋まっている梅の木の下にずっといた。
何も食べず、何も飲まず、幾晩も。
なぜ母は死んだのか。
なぜ俺はもっとマシな息子になれなかったのか。
黄巾賊。
そういえば、そんなことを関羽が言っていた。
俺はどこか遠い世界の出来事だと思っていた。
凛はこの辺にも出ると言っていたのに。
なぜ黄巾賊なんてものがでるのか。
なぜうちは貧乏だったのか。
……なぜ母は死んだのか。
でも、答えは簡単だ。
俺がクソ野郎だからだ。
じゃあ、なんで俺は生きて、母は死んだのか。
真面目に働いて、女手ひとつで俺を育てたあのひとが。
ずっと考えていた。
答えはでない。
俺は馬鹿だから。
力もない。
「主様、何か召し上がりませんと……」
どれくらい時間が経ったのだろう。
気がつけば関羽がいて、その手にはホカホカの万頭があった。
食欲はわかない。
ただ、ひとつやりたいことができた。
「関羽、黄巾賊をぶっ潰そうぜ」




