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「お父さん、これ熊本城だよね」
「『ゼウス城』です」
僕の眼前には、父の地元である熊本市の繁華街が広がっていた。異世界転移とうそぶいた父親は、僕を異世界どころか日本内の熊本県に連れていたのだ。
「何言ってるの?熊本城じゃん。ほら、市電走ってるよ?アーケード街もあるじゃん…………」
「『ゼウス城』です。そして市電ではありません。『イデア市電』です」
「今市電で言ったよね?イデアとかつけたけど市電だよね?普通に市電だよね?てか異世界とか言ったよね。熊本市だよね?」
「熊本県ではありません。『イデア熊本県』です。そして熊本市では有りません『イデア熊本市』です」
僕の父は、何でもイデアをつければいいと思っているらしい。しかし、これはどこからどう見ても、普通に熊本県の熊本市である。 どうやら亡き父親の中二病は、泥沼不倫の末に離婚した元夫婦の仲のように拗れていたらしい。
と、そんな父親の残念な中二病を気の毒に思っていると、熊本城ことゼウス城の門前にて控えていた一人の男性が、僕たちの元に向かって駆け寄ってきた。
「ゼ、ゼウス様!!お待ちしておりました!!!そちらが御氏族の健様ですね!?」
「えっ……………あ、あれは………………」
__________僕は言葉を失った。無論、僕の残念な父親をゼウス様などと呼んでいることも理由としてなくはないのだが、そんなことさえも些細なことと思えるほどの、男性の容姿によるものであった。
ワックスにて整えられた髪、格好良く無難に決まっている黒スーツに青のネクタイ。美青年といっても過言ではないその男性の背中に、なんと羽がニョッキリと二本生えていたのだ。
「いやいや、貴方大丈夫ですか?」
「へ?私ですか?ええ、大丈夫です。体調をお気遣いいただきありがとうございます」
僕が体調の心配をしたと勘違いしたらしいその男性は、僕に敬意を表すように丁寧に腰を曲げていた。いや、貴方の体調じゃなくて頭の方を気にしているんです。
「あ、いや、ほら。その背中の羽とか、僕の父親をゼウス様とかいってることとか」
「え?私、何か変なことを申しましたでしょうか?私、精霊族ですので、この羽は生まれつきでして………それに、ゼウス様はゼウス様ですので……」
彼によると、この世界には精霊族がいるらしい。僕の父親をゼウス様とか言う時点で、この人も相当オワッていることは間違いない。不思議なことに、男の羽はひらひらと動いているのだが、どうせモーターか何かを使っているのだろう。
しかし、大の大人が二人、こうしてライトノベル的思想に支配されていることは、今後の日本において重大な社会問題に発展しそうな予感がしてならない。
「えーっと、我が息子よ。唐突だが、お前に頼みがあるのだが」
「それさっきも言ったよね。そのために異世界転移とかやらせたんでしょ?異世界と言う名の熊本県に」
「いや、これマジで異世界なんだって。理想世界だよ理想世界。イデア界ともいうぞ。てか、本当にマジでピンチなんだよね。ディオクレティアヌスス帝負けちゃったし、東京はサタン軍に占拠されてるし」
「お父さん、息子として恥ずかしいから外でそんなこと言うのはやめてください。サタンって堕天使ルシファーのことだよね?ディオクレティアヌスス帝に関してはスが一個多いよ。ローマ帝国で専制君主制始めた人でしょ?もう死んでるってば」
全く、もうすぐ四十歳に差し掛かろうとしているのに、僕の父親の頭は十四歳で停止しているらしい。とはいえ、訴えかけるように僕に言った父親の目は相当ガチであった。本気で助けて欲しいと、そう訴えかける目であった。
「まあ、てか、お前をこの世界に呼び出すために当たって、理想世界規則に則って契約を結んでるから、『イデア東京』を取り返してくれないと人間界に帰れないんだよね」
「お父さん、イタいよ。息子への威厳を守るために、もうそろそろやめておいたがいいんじゃ無い?」
「いやお前、マジで俺は言ってるんだぞ?てか、ここマジで異世界だから。理想世界。人間界の遥か上。人間界の理想の鏡だよ?え、まさかお前マジでココを人間界と思ってる?」
「思ってます。だってあれ熊本城だし、市電走ってるし」
「はぁ…………お前がここまで頭が硬いやつとは思わなんだ。おい、ズボンのポケットにケータイ入ってるだろ?それだしてみ?」
なぜ僕の方が説教されなければいけないのだろうかと不服に思いはしたものの、僕は言われた通りにズボンのポケットからスマートフォンを取り出した。ホームボタンをポチッと押すと、画面が明るく点灯した。
「出したけど……何?」
「お前、それ圏外になってるだろ?」
「は?何を言って………」
馬鹿馬鹿しいと思いつつ、スマートフォンの画面に視線をやった僕は、驚きのあまり言葉を失った。
____________父の言ったように、普段ならば『4G』と表記されるはずの場所に、『圏外』と言う文字が表示されていた。
ここは熊本市であり、圏外になるような場所では無い。多分。どういうことかと頭を悩ませるが、理由がなかなか出てこない。
携帯会社に何か起こったのか、とも考えたが、街行く人たちは騒ぐどころか、普通に歩きスマホをしていてこの可能性は消えた。ならば僕の携帯が故障したのだろうか。いや、一週間前に新しいものに変えたので、その可能性は限りなく低いと言っていい。
「いやほら、さすがに世界が違ったら携帯が使えないだろ?」
「………………………」
「それにほら、上を見てみろ。人間があんなことができるか?」
「……………………飛んで…………る…………」
そう、飛んでいたのだ。人間、否、人間に近い形の何かが。一言で言うならば、ライトノベルやファンタジー小説に出てくる、精霊やエルフの様な容姿の存在が。
僕は本当に、異世界ないし理想世界とやらに召喚されてしまったのではないだろうか。そもそも死んだはずの父親がここにいること自体、そうでなければ説明がつかないのではないだろうか。
「いいか。信じられない話だけどな、そもそもこっちの世界がオリジナルなんだ。人間世界の理想と言っていい。この世は二つの世界で出来ていてな。かつてプラトンが言った様に、理想の世界と人間界。両者は鏡のような存在で、理想世界で起こったことは、人間界でもほぼほぼ同じように起こる」
「……………理想世界」
言われてみれば、確かにここは現実世界ではないようだ。なにより、全てのものが「美しい」。行き交う人々の容姿はどれも非常に美しく、飛ぶ鳥や建物、道路でさえも、煌びやかで華やかに見える。まさに美しく、理想の世界。そういっても過言ではなかった。
「やっと分かったか。んで、重ねてだがお前にお願いがある」
「………………お願い?」
「ああ。サタン軍の幹部がイデア東京を占拠した。ぶっちゃけ状況はジリ貧だ。このままだと、奴らの勢力圏がゼウス領全体に広がってしまう」
「なんで……僕が手伝う必要があるの?」
「そうだな。ぶっちゃけ人手が足らんからだ。そして、これはお前にとってもメリットではあるぞ。人間界は理想世界の鏡。つまり、こっちの東京で何か起これば、向こうでも必ず何かが起こる。そうだな、向こうで起こることってのは、何もこっちの世界と同じじゃないんだが、ことの大きさにつれて、向こうへの影響も比例して大きくなる」
「……………なるほど、ね」
つまりは、間接的に僕らの住む世界を救うために、こっちの理想世界とやらも救ってほしいという事であった。はっきり言って、かなり揺すりに近いお願いの仕方だが、父の表情からするに、相当状況はまずいらしい。異世界転移にあるあるの「この世界を救ってくれ」パターンである。
「理解が早くて助かるな。お前、ラノベの読みすぎだから」
「うるさいわ!まあ、否定はしないけど………んで、僕は何をすればいいの?出来れば何もせずにいますぐ帰って妹との朝ごはんの準備の続きをしたいんだけど……」
そう。確かに異世界がピンチとあらば、救いたくなるのがラノベ愛好家の性である。例えば、僕にチート能力や伝説のエクスカリバーでも与えられたなら、僕喜んでこの世界を救っただろう。しかし、僕には、妹の朝ごはんを作って、「お兄ちゃん大好き」と言われることの方が異世界の一大事よりも大切なことである。異世界を救っている余裕があるならば、妹の笑顔を見る方を優先する。
「そういや、お前かなり妹の藍子を可愛がってたもんな。…………間違っても手を出すなよ?」
「……………いや、それはないです。僕には恋心を寄せる人がいるので」
そう、僕には恋心を寄せる人がいるのだ。それに、倫理的にも道徳的にも妹に手を出すなどということは絶対にない。
「同じクラスの渋谷ちゃんだろ?」
「んなっ!なんでそれを知って……」
「だから俺、今は全能神ゼウスなんだってば。知らんことなんてないんだよ」
ほお、なるほど。つまりコイツは人間世界においてきた息子の恋を上空より眺めていたというわけだ。そして父のことだ。ニヤニヤとしながら見ていたことには違いない。そしてそれは、この世界を救うというやる気をさらに著しく低下させた。
「んじゃ、僕帰るから。早く元の世界に送り返して」
こんな世界もあるんだなと、自分の見地を広げることに役立ったことに満足したのだ。そして、こんなクソ父親のいる世界なんぞ、救ってやる筋合いはない。
しかし、そんな考えも、父の一言によって無残に消去されてしまった。
「いや、お前話聞いてたの?契約したって言ったじゃん。最低限東京を取り返すまでは、向こうの世界に帰れないんだってば」
____________僕は耳を疑った。