ゲームファンタジーとは何か?
なろうファンタジーとゲームの関係が分かってきた。今までも多分なろうファンタジー=テンプレはゲームの面白さを強く取り入れてると思っていた。例えば俺TUEEE。これバトルの歴史で見るんじゃなくて、ゲームとしてみると良く分かる。スペランカーってゲームご存知か?レトロやのーー、まあ私中年なので。1度しかやった事が無いです。何故か?クソゲーだから。何故じゃ有名なの?クソ具合が特徴的だったから。ちょっとした事で驚くほどすぐ死ぬ。ストレスマッハ作品。好きだった友達が見事にストレスゲーム好き。クソゲー=難易度が高いゲームと解釈する。価値観って恐ろしいよね。彼が面白いゲームは見事にこういったクソゲーが重なる。
スペランカー有名だがそれでやろうとするなよー。今だと存在し無いか。いやーついマニアックに集めてしまったらそりゃ悲惨だ。伝説となったのは、キャラの大きさより小さな段差から落下して死んだだな。私はそれなかった。何故死んだか?覚えてないんだ。あまりに常識外れで。
俺TUEEEってクソゲーの逆ってだけじゃない?ってなる。異世界をクソゲーにして楽しいわけ無いからね。中にはクソゲー展開作品が多々ある。でもこれって雑多なバランス取れたゲームファンタジーがあるからわざとそうやって作ってニッチ人気を狙うんだわ。後古典の主人公いじめ系のストーリーテクニックがふんだんに使えるからね。名作扱いされること多いけど、なろうの外に出たら素人に毛の生えた程度の作品ってなろうの上にわんさかあるから。これニッチのなろうでの、さらにニッチ戦略だから。裏の裏は表。ただ単純に悪い作品じゃない。
なろうらしさもきっちり受け継いでて、なんだこれ?って作品ってリゼロぐらいしかない。あれは突然変異。作り手の元ネタのルーツが多分違う。私的に事実は知らんが、エロゲの構造に似てて作品自体は古臭いな思ってる。面白くないとは言って無い。斬新さが無いのになろうでは個性的ってのが笑うなと。
俺TUEE自体を否定してるわけじゃない。昔の大衆向け子供向けは大体コレだから。最近の常識からするとちょっとアレな作品なので目立っただけで。転生転移ですべてを語れないけど、なろうファンタジーの大半はプレイヤー感覚だと見てる。それゆえスペランカーなんて作ったら迷惑なのよ。スペランカーオマージュの様な作品一応知ってるけど、作者のために伏せておく。
で、なろうファンタジーってナンだろうって要素をこうやってピックアップしてたけど、どうもまとまらない。それがずっと分からなかった。そして今解けた。共通した要素をピックアップしても多分答えは出ない。例えばファイナルファンタジーの箱にドラクエ入れてしらずにやったら。それはドラクエだと思う。やった事ある人怒るだろうか?多分怒る。同じゲームだと思ってなかったから。ゲームってそれぞれ違うのに面白い。ならそれを元にした小説も全て違った要素になって当たり前。
共通項を探しててずっと失敗してて、なんだ、すべてばらばらで良いんだと。ああこれなんとなくゲームでやりそうってそんな曖昧なので良い。そう考えると本当になろうファンタジーはゲームの影響を強く受けている。共通項は何も無いけどね。実際は俺TUEEを軸にしたプレイヤー感覚は多くの作品で共通する。作者がどう考えてるか分からないけど、受け手はループを見たらエロゲを思い出すので、他の作品と全く似てないけど、リゼロもゲームっぽいといえばゲームっぽい。エロゲはバッドエンドが多いので、なろうとは違う発展で、ストレスフリーの逆の作品が多い。そこもリゼロがエロゲっぽい点。
なんとかステータスでなろうのゲームファンタジーを括ろうとしてる人がたまにいるけど、そうじゃない作品も多いと思う。分かりやすいものでなろうのゲームらしさを説明しようとする人が多いけど、説得力だけを重視して正しさが足りない。本当はそういうものじゃない。すべての作品でばらばらで、数多く使われるって頻度の違いでしか無い。すべての作品に共通するゲーム要素は無い。
んでそれは当たり前って話し。1つのゲームを参考にしてるわけじゃないから。作者がやったゲームの数多くの中からピックアップされてるだけだし、どの機能を使うか?などもてんで作者でばらばらだから。なろうの中に居れば当たり前の話なのかもしれないけど、外に向けてステータスだけで語ると、何がそれ面白いの?って分かりにくいんだわ。誰だってそれだけが面白さじゃないと思ってるし、あまり面白いと思ってない人も多い。ただ分かりやすいからってそれを出してばかりいると、ステータスのアリなしで、ゲームファンタジーを説明しようとしてしまう。それじゃ外の人に全く伝わらない。
何故外の人への解説がいるのか?なろうのファンタジーは、過去のハイファンタジーの転生転移の焼き直しじゃないから。自分達は新しい事をしてるんだって主張するときに、ステータスを見せるだけで説明すると多分笑われるからーー。
ただ私も上手くは説明できてない。それを共通項を探っては成らない。それらは高い頻度の要素だけピックアップするだけで、背景にあるゲームが元になったファンタジーだって説明には妥当じゃない。発想が逆、一切のゲーム要素を省いた作品をなろうファンタジーでピックアップすると逆に探すのが難しいのじゃないか?と考えている。
ずっと俺TUEEで語られるなろうファンタジーについてどうも疑問を持っていた1読者の意見です。俺TUEEで語ると、過去にあった単純なヒロイックファンタジーや子供向けヒーロー者とあんまり大差が無い。じゃ今のなろう作家はそれを下敷に作ってるのか?いやいや、全然違うでしょ?おそらくそんな作品見た記憶すらなかったって言われると思う。もちろん、見ていても、意識すらしてなかったって意味で。頭に描いてるイメージ多分違うよね?って話し。
結論としては、ゲームファンタジーはこれだってスパッと共通要素で語るのは止めた方が良い。なろうのパクリ文化は模倣と同時にオリジナリティを求めていく。どの作品も小さな小さな個人的な差異がある。なら共通要素から逆の方向の圧力も掛かっている。誰もが自分だけの開拓地を求めてしのぎを削っている。その中で頻度の高い共通項に目を奪われて、これがなろうファンタジーだというのは本質を見誤る。
なろうファンタジーの本質は、共通の何か?を求めつつも常に自分だけの差異を求める矛盾した設計によって成立した妥協点の産物になる。共通の何か?は高頻度であって共通項じゃない。すべてはニッチ=居場所の理論で決定するから。大都市である程度の人口を養える理屈ととても似ている。だがそれは当然限界がある。すべての人が大都会で暮らす事はできない。そうなったら人口密度の低い田舎に人は流れ込む。
こういった現象の根幹に共通するのはゲームっぽい何か?である。作り手は、ヒットの共通項は何か?と見るがそれは高頻度であり、本当に価値があるのか?は戦略として妥当か?の部分になり。本当の共通項はゲームっぽい何か?を念頭において、それにしたがってまねするか?過去のゲームからとってくるか?または自分からそれをクリエイトする事になる。
ならなろうファンタジーの作者はゲームクリエイターでもあるのか?私はそう思ってる。ゲームをつくって小説として面白く加工してる。作者の皆さん、貴方達は間違いなく最新のファンタジー小説を創っています。自信を持ってください。
今何が起きてるか?ゲームという違うメディアの面白さをノベルに変換し、過去のファンタジーノベルと融合させる高いレベルの創作です。その価値が分からないものは黙っていてください。なろうファンタジーは現時点でのライトノベル文学の最高峰です。