第95話 有栖川華澄
「分かったか、華澄? お前は、七条歩に勝たねばならない。有栖川家の存在を証明するのだ。そして、彼の血を我が家に入れる。それがお前の使命だ」
「はい。分かっております、お父様」
虚ろな目でそう答える彼女はどこか遠くを見ていた。だが、彼女には確かな意志があった。七条歩に勝つ。勝って自分の存在を証明するのだと。自分の人生は、今までの軌跡は決して無駄ではないと証明するために彼女は進むのだった。
§ § §
有栖川華澄は有栖川家の長女として生を受けた。あの格式高い有栖川家の長女としての人生は苛烈を極めた。来る日も来る日も、戦闘訓練と座学。普通ならばどこかで心が擦り切れてしまうのは間違いなかった。
だが、華澄は折れなかった。そんな彼女を支えていたのは誇りだった。有栖川家の長女として、国民が期待している。そして、自分は日本を背負うクリエイターになるのだと信じて彼女はその歩みを止めなかった。
そして、ある日兄との模擬戦を終えた後に華澄はある事を尋ねられた。
「華澄、お前は何のために戦うんだ?」
「え? 兄さん、何の話をしているの?」
華澄の兄である有栖川諒がそう尋ねる。値踏みするような、何かを見通すような目。彼女はそれにどことなく不気味さを感じながらも、何とか返答する。
「……私は、有栖川家のために戦うの。この家のために、長女としてやることがあるのだから。兄さんもそうでしょ? だって、うちの家は日本を代表する御三家だよ?」
「……そうか」
そういって、彼はその場を去ろうとする。そして、独り言かどうか分からないが華澄にも聞こえる声で呟くのだった。
「華澄、いつかお前を変えてくれる人に出会えるといいな……」
それ以来、兄妹の溝は深まるばかりだった。どちらかが敬遠していたわけではない。ただ、諒は彼女に興味がなくなり、家を出ていってしまった。
諒は気がついていた。御三家の危うさに。どこまでも力だけを追い求めるその姿勢に疑念があった。そして、華澄もその犠牲者なのだと感じた。だが、彼は何もしない。きっと、同じ家の人間では華澄は変わらない。だからこそ、どうか妹が誰かの手によっていい意味で変わってくれることを彼はこの時ばかりは願ったのだった。
「フッ!!!!」
一閃。彼女の振るう双剣が相手のCVAを弾き飛ばす。
「っく、強くなられましたな、華澄様」
初老の男性はその場に膝をつく。一方の華澄は全くの無傷かつ、未だに活気に溢れている。14歳となった彼女は歳を重ねるごとに確実に成長していた
「そうね。でも、私はまだまだ強くならないといけないの……兄がいなくなった今、この家は私にかかっているのだから」
高校入学前、彼女の決意は固かった。兄の有栖川諒は家を去った。といっても、勘当されたわけではない。父と話した上で、しっかりとした理由があって出ていったのだ。だが、華澄だけは兄が家を捨てたのだと解釈した。だからこそ、有栖川家の繁栄は自分にかかっている。その圧力に屈しまいと、努力に努力を重ねた。そして、一つの到達点へたどり着いたのだった。
だが、それは彼女を縛り付ける呪いが生まれた瞬間でもあった。
§ § §
「はあああああああッ!!!!」
声を上げながら、双剣を振るうも……その手には微かな震えがあった。
恐怖。本能が叫ぶ。こいつは相手にしてはいけない。逃げなければならない。だが、それは彼女の矜持が許さない。命を落としそうな時であっても、彼女は理性によって己を制御していた。
「あなたッ!!! 一体誰なの!!!?」
一旦距離を取り、相手とコミュニケーションを図ろうとするも反応はない。
最近華澄は、護衛をつけずに登下校をしていた。もういい年齢だからという理由もあるが、彼女は自分の力を過信していたにだ。しかし、今回はそれが仇となった。近道をして帰ろうと、カメラの少ない路地裏に入ったところで見知らぬ人間に襲われたのだ。
黒いヘルメットに、全身黒のライダースーツ。体型と体のラインからして男なのは明らかだった。CVAは短剣。短剣と双剣ならば、双剣の方が有利だと華澄は思い込んでいたが、今までの攻防でその思考は捨て去った。
技量は明らかに相手の方が上。というのも、彼女は相手の攻撃を凌ぐのがやっとだったからだ。また、高校入学前の彼女は未来予知をすでに発現していたが、その練度は未だに低い。圧倒的に不利なのは自明であった。
(私は……ここで、こんなところで死ぬの………??)
震える手で双剣を力強く握り締めながら、そう思案する。
(私は、有栖川華澄の人生はまだ、まだ続けなければいけないのに)
そして、その次の瞬間……
「…………あ、あ???」
鮮血。彼女の喉から血がまるで弧を描くように、大量に吹き出る。そして、いつの間にか目の前にいた男はべっとりと血のついたCVAを振るってその大量の血液を落とす。
「わ……た、…………し………ああああ」
かなり深くまで喉を抉り切られた彼女は、もはや虫の息。彼女にはもう、何もすることが出来ない。
「あ……」
瞬間、彼女の脳にある変化が起きる。前頭前野が急速に活性化し始める。前頭前野は脳の様々な領域(側頭連合野、頭頂連合野など)から情報が集められている。そして、それらを元に認知実行する機能、情動や動機付けに関わる機能などのかなり高度な精神性を司っている。
クリエイターは特にその部分が発達している。上位のクリエイターになればなるほど、前頭前野は活性化する傾向にあるのだ。
また、前頭前野は遺伝的に受け継がれる部分はほとんど存在しない。だが、有栖川家にはたった一つだけ伝統的に引き継がれている遺伝的要素があった。
「………」
華澄は言葉を発しない。だが、彼女の意識は理解していた。無意識のうちに右手に握っている《《三又の矛》》の扱い方を。さらに、彼女がたどり着いたその無意識と言うものは名があった。
クオリア。人間の意識にはない、感覚質と訳される概念。感覚質はあくまで感覚的なものであって、意識下に置くことはできない。だが、それを本能で理解することはできる。努力では決して届き得ない領域、クオリア。究極の才能の一つであるそれは、諸説あるが由緒正しい血統にしか発現しないのでは、と現代の研究ではと言われている。
「LAか……」
相手の男やっと口を開く。だが、変声機を使っているのかその声は明らかに機械的なものだった。
「傷が……ない」
華澄は相手の男を意に介せず、自分に起きた事を理解しようとする。ぱっくりと切り裂かれた喉はすでに治癒している。また、身体の所々にあった傷跡も完全に消え去っていた。
「ハッ!!!!」
その隙をついて、男は再び短剣を振るう。今度は再生のしようがない、脳を狙う。その攻撃は以前の華澄ならば、まともに受けていた。そう、《《以前ならば》》。
「なるほど、このCVAは身体のパフォーマンスを底上げしてくれるのね……」
あえて声に出す事で彼女は今の状況を整理しようとする。もちろん、攻撃は完璧に躱している。余裕を持って、さらに相手に反撃できるのにもかかわらず何もしない。
華澄は《《視えていた》》。相手の攻撃だけでなく、相手の思考まで手に取るように掌握していた。未来予知もまた、進化していたのだ。
「アハ……アハハハハ!!! アハハハハハハハハハハハハ!!!!!」
過信、慢心、自信。今の彼女は自分が神にすら近い存在だと思えた。この万能感。溢れてくる自信と圧倒的な力。叫ばずには要られない。長年の努力が報われたのだと、有栖川華澄だからこそ、たどり着けたのだと。彼女はそう思った。
今までは双剣を使用してきたので、身体には双剣での戦闘技術が刻み込まれている。だが、すでに彼女はイメージできていた。この三又の矛の扱い方を。まるで昔から扱ってきたかのように、脳内には具体的な心的イメージが刻み込まれていた。
「さぁ、殺し合いましょう……?」
乾いた舌を舐めるその姿は艶かしいのは間違いなかったが、それと同時に狂気に染まっているかのような危うさも感じ取れた。また、制服にべっとりとこびり付いた灼けるような色をした血もその雰囲気を昂らせる。
こうして華澄は、進化する。その代償も知らず、この先に何が待ってるのかも知らずに、彼女はその力に支配されていくのだった。




