第9話 過去と価値観(アイデンティティ)
今回は歩の一人称となります。
幼い頃、両親の仕事の都合でアメリカに行くことになった。初めはとても不安だったが、生活もそれなりに慣れた。英語も幼かったからか、割と早く日常生活には困らない程度に扱えるようになったのはよく覚えてる。
そして、10歳の時クリエイターの素質があることが分かった。両親ともにクリエイターだったので、遺伝なのは間違いない。ただ両親はCVAの研究者だったが。
自分のCVAはワイヤーだった。それが分かった時とてもショックだった。CVAは近接武器でないと軍にも警察にもそしてプロのCVAの選手にもなることが難しい。両親と同じようにCVAの研究者になるべきなのではと思ったりもした。
でも、せっかくクリエイターになれたのだ。クリエイターになれる希少性を幼いながらも理解していたので、どうせなら研究者ではなく選手になりたかった。幼い頃からプロの試合はたくさん見てきた。プロの試合は感動を覚えるほど印象的だった。
しかし、活躍する選手のCVAは近接武器ばかり。それでも諦めたくなかった。毎日、毎日、練習をした。学校とは別にクリエイター専門の訓練所にも通い始めた。
その時はちょうど11歳の時。同い年の子と模擬戦をした。けれども勝てるはずもなく負け続けた。負けて、負けて、負け続けた。周りにもバカにされ続けた。ワイヤーなんてゴミが出てくるなと。神聖なCVAが穢れるとさえ言われたりもした。
それからはあまり練習を真面目にしなくなった。才能がない自分が努力しても意味がない。でも、そう簡単にクリエイターという地位を捨てるわけにもいかなかったので、訓練所にはなんとか通い続けた。
「おい、お前。ワイヤーなんてCVAでクリエイター続けようと思ってるのか? もう辞めた方がいいぜ? 才能ないよ、お前。ワイヤーの時点で終わってんだよ。諦めな」
「またワイヤー来てるぞ。どうせ負けるのにな」
「いい加減諦めれば良いのに」
「クリエイターになったばかりの私にも負けるんだよ? ワイヤーなんてクリエイターじゃないよ」
心ない言葉をたくさん言われた。アメリカと言う環境が関係あるかは分からなかったが、みんなホントに正直に言ってきた。流石に心が折れそうになり、両親に相談した。両親は辛いなら辞めてもいいと、クリエイターなら他にもCVAを活かせる道はあると言ってくれた。
しかし、父はあることを付け加えた。
「お前は何の為にクリエイターであり続けたいのか?」と。
その時、11歳と幼いながらも自分は考えた。クリエイターとしての自分の存在意義について。
――――自分は認めて欲しかったのだ。
親は研究で忙しくあまり関わり合いもない上、1歳下の妹の世話を任されていた。誰も自分を見てくれない。そんな中でクリエイターになった。これなら誰もが自分を認めてくれると、自分に注目してくれると、思ったが……
ワイヤーのCVAでは何もできなかった。しかもしばらくして、妹は近接系のCVAでとても才能がある事がわかった。それからは妹や周りの他人と自分を比べ続け、劣等感に苛まれる日々だった。
自分は何て無価値なんだと思った。しかし、父にクリエイターの存在意義について問われた時、すぐに
「誰かに認めて欲しいから」とは言えなかった。
その時理解した。自分の承認欲求は歪なものだと。誰かに認めてもらえなければいけない理由など本当はなかったのだ。もし認めてくれる誰かがいなかったら、自分は何もしないのだろうか? そんな事は無い。
そして誰かに認めて欲しいと思えば、その人のことを満たす為に生きるようになる。つまりは他人の人生を生きることなる。
そこには自分は存在しない。
他人の為の自分が存在するだけだ。当時ははっきりそう思ったわけではないが何となく自分がいないとだけ感じていた。
その事を理解するまで他人の欲を満たす為に生きていた。人の目ばかりを窺って生きていた。認めて欲しいが為に。それを幼いながら何となく理解した時、世界は今までと異なって見えた。
それからは自分がしたい事をしようと思った。誰の為でもなく、他人にそして両親に認められたいからではなく、自分の為にクリエイターであり続けようと思った。あの幼い頃見た輝かしいプロの世界に入りたいと純粋に思った。
ワイヤーだから諦める? そんな事はもう頭になかった。どこまでも足掻いて足掻いて足掻き続けてダメだったら、その時は別の道を考えよう。
今考えるのは過去の事でも未来の事でもない。大切なのは今なんだと理解できた。遺伝や環境を言い訳にしてはならないと思った。
諦める
と言う事は、環境や才能を言い訳にして、努力から逃げる事だ。
それからは何度負けても、諦めなかった。いつか、ワイヤーでもプロになってやると願い続けた。こんな自分でも何かを成し遂げられると信じて、毎日CVAの練習に励んだ。
プロの世界の選手がいろんな人に夢と希望を与えるように、自分も人に何か与えられる人になりたいと思った。誰よりも自分の為に、そして他人に何か与えられるようになりたいと願った。
承認欲求ではなく自分の為、そして誰かの為に生きる事が自分のしたいことなんだと想った。
それから2年が経過し、13歳の時、自分にVAが発現した。
複眼。ワイヤーの自分にはうってつけのVA。
それからは模擬戦をしても勝ち越す事が多くなった。VAを使いすぎると、眼や鼻や耳など様々な箇所から出血したりしたけど、そんな痛くて、苦しくて、辛い中でも、勝てる事が嬉しかった。
誰かに認めてもらえなくても、自分が納得できる事をするんだと想い続けて本当に良かったと思えた。
それから1年後にはまた別のVAを使えるようになった。それからは模擬戦でも勝ち越す方が圧倒的に多くなった。周りのみんなも自分を褒めてくれた。
またそのときに『とある女性』のクリエイターと出会い、その人は自分に多くの事を教えてくれた。
そのおかげか、クリエイターとしてはかなり強くなっている事に気がついた。毎日、毎日懸命に努力し、気がついたら負ける事はほとんどなくなっていた。
「お前、ワイヤーなのに強いなぁ。凄いよ!!」
「次は俺と模擬戦しようぜ!!」
「おい、次は俺とだぞ!!」
「じゃあ、その次はあたしー!!」
その時は自然と涙がこぼれた。胸の中が何かよく分からないモノでいっぱいになった。
自分の為に頑張ってきた訳だけど、やっぱり他人に褒められるのは嬉しいものだった。
それからまた数年が経過したとき、15歳の時に立て続けに人生を左右する出来事があった。
また、当時は『ある事件』があり、精神的にかなり病んでいた。そんな矢先に再びまた別の事件が起きた。
学校から家に帰ると家が荒らされており、両親は誰かと戦っていたのだ。状況が全く理解できない自分に父は妹を連れて逃げろと言った。
「歩、すぐに警察に行くんだ。父さん達に何かあったら、日本の伯父さんに頼りなさい。そして、日本の三校祭で優勝しなさい。そうすればきっといつか歩にも分かる日が来る。大丈夫、ワイヤーのCVAでも諦めずに頑張ってきた歩なら出来る。さぁ! 行きなさいッ!!」
自分と妹が逃げる直前、最後にそう言った。何で今住んでいるアメリカじゃなくて日本なんだ? とはその時は思わなかった。尋常ではない雰囲気を感じ取った自分は妹を連れて逃げた。
すぐに警察に駆け込んだ。それからは警察に保護され、自宅に向かうと両親は亡くなっていた。二人とも大きな切り傷があったらしい。おかしい。クリエイターの両親が死んだ? 俄かには信じられなかった。ニュースにもならなかった。一応は事故扱いらしい。今考えると、不可解な点が多かった。
葬式が終わり、悲しみの中でも父親の言葉が頭から離れなかった。日本に何があるのだろう? 三校祭について調べてみたが、日本のクリエイターの高校で行われる全国大会の名称らしい。一体そこでの優勝になんの意味があるのかしばらく考えたが、答えは出なかった。
それから妹と自分は日本の親戚に引き取られた。両親がCVAの研究者で多くの財産を残してくれていたお陰で学校にも通える事になった。それと個人的にもお金を稼ぐ手段があったので生活には困らなかった。
それから無事、ICH東京本校に合格し学校の近くで一人暮らしをしている。一方、妹は親戚の家で暮らしている。
プロになる為に三校祭で優勝したい気持ちはもちろんある。しかし、父親の遺言を確かめる為にも優勝しなければならない。そこには何か重大な秘密が隠されている気がするから。そしてあの女性の為にも戦わなければならない。
だから優勝を目指す。誰よりも、自分の為に。自分の人生を自分の為に生き、成し遂げたいことを成す。ただそれだけの為に。
両親の言葉の意味を知りたいのも自分の為だ。だが、復讐とかをしたい訳ではない。確かに悲しいが自分はただ知りたいのだ、あの日の真相を。だから負ける訳にはいかない。ワイヤーという最弱武器でも。最弱を言い訳になんてしてられない。幸いVAのおかげもあって、いまは近接戦闘もある程度はこなせる。さすがに本職には劣るが。
プロになる。真相を知りたい。そして、誰よりも『あの人』の為に辿り着かなければならない。
単純で大きな事でも何でも無いが、強くそう想った。
そう誓って、今学校生活を送っている。そして、三校祭はもうすぐそばにきている。
あの日の真相を知る為、そして誰でもない自分の願いの為に、全国の頂を勝ち取るという純粋な想いを背に、全国制覇を成し遂げると誓った。