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(8)研修初日ー4-

講義室は三十名ほど入る広さで、机と椅子は設置型で動かせない。机には名札が貼ってあって、右隣は啓一で、智加の真後ろには、童顔で子持ちの吉田が座っていた。まるで大学の講義室のようで、正面には大きなスクリーンがあった。


13時なるとすぐにドアが開いた。最初に会った統理代理の守部と、部下が二人入ってきた。


長い手を使って歓迎の気持ちを表し、口角を上げた笑みを見せると、守部は研修会開始の挨拶をした。

例年のことなのだろう、これと言って特別変わったこともなく、智加のことにも終始触れずに挨拶は終わった。


講義が始まった。講師は守部でも部下でもなく、大学の教授風な中年の男だった。


「日本は古来より、山や滝、巨石や樹木などを、神の降臨される場所として、祭場を設け、祭祀を行ってきました。それが時を経て、今日の神社としての”場所”を確立していったと考えられています。それらはより洗練されて、ご神体と呼ばれるように至ったわけです。ご神体の中には長期に受け継がれる物や、定期的に修復され形を変えていくものなど様々です。物によっては保存が可能なものや、樹木などのように日々移ろいでいくものがあるからです。今日の午後は各々の神社のご神体について、発表をして頂きましょう。では十五分ほど差し上げますので、考えをまとめて下さい」


途端ざわざわと周りが喋りだした。


智加はるかは声を出すわけにはいかないので、ただ聞いているだけだ。啓一けいいちは智加に振り返ると、何やらじっと見つめた。ふいに視線を外すと、後ろの席の吉田に話しかけた。


「ご神体、分かりやすい議題だな」


「そうですね。うちはオーソドックスに鏡なので、いつも拝殿の奥に飾っていますよ」


「銅製?」


「はい。だいぶ古いらしいですが、僕もまだ触ったことはなくて。近くで見ようとしたら、父に目を合わせるなって叱られました」


「そうだろうね。神を直視するなど罰あたりってものだろう」


吉田はふふと笑った。


「そうなんですけど、見たらだめーって言われると、見たくなるんですよね~。東辞君のところは?」


吉田が大きな目を光らせて聞いてきた。子供のように丸くて大きな黒い目が、智加に向けられた。あ、と口を開いたが、そのままでいると、啓一が答えた。


「東辞君のところは、神社じゃないそうだ」


「え? そうなんだ。でも、ここに呼ばれるって……」


吉田は何やら訝しげに見ていたかと思うと、そのまま黙ってしまった。

神社仏閣の資格のない一宗教団体いちしゅうきょうだんたいが、神社本庁の研修会に呼ばれるのはさぞや不思議だろう。ごもっともな話だ。


「いろんな団体もあるし。きっとこれから成長株なんじゃないか? 東辞君、見ての通りカリスマ性ありそうだしね。あっという間に超人気の神主さんになったりしてね」


「ああ、それ納得です。そうですよね。若い子がはまりそうー」


「だいたい最近は聖地巡礼ツアーなんてものが流行って、ニュースで満員御礼になってたし。俺たちもうかうかしてられないよ」


啓一が砕けた口調で言う。


「確かに。我々の収入源なんで、そこしかないですからね。国宝級の建築物を維持するのだって、こっち任せだから大変なんですよね。もうちょっとお手当てが欲しいものです」


うんうん、と啓一は頷いた。


「そうだ。神室君のところは何なんですか?」


「え?」


「ご神体ですよ?」


びくりと啓一の顔が一瞬固まったように見えた。変なことでも聞いたのか、と吉田も戸惑っているようだ。


「ええと、三田神宮様は立派な神庫ほくらがあるって聞きましたよ。きっとすごいご神体なんでしょうね」


「ないっ」


「え? でも、神宮さんは……」


「ないって言っている。第一馬鹿げている。科学の進んだ現代に、ご神体なんて必要なのか?」


強い口調だった。思わず吉田は啓一の顔をまじまじとみた。バツが悪るそうに、啓一は視線をふいとを外した。窓の外でも見るように、今度は遠くを見やった。怒っているような、自暴自棄のような、なんとも読めない表情だ。


そう言ったきり何も喋らない啓一に、吉田は少し首をかしげていた。子供っぽい顔も眉が歪んで、なんと言って返していいのか困っているように見えた。


神庫があるのに、ご神体がないというわけはないだろう。智加は少々啓一を観察した。

「ない」と言ったきり、口を噤んでそっぽを向いている。視線は遠くにあって、身体も手も動いていない。緊張はしていないということか。ざわざわとする教室の中で、啓一だけが銅像のように動かなかった。何を考え、視線の先にあるのは何だろう。


沈黙を破るように、吉田が言った。


「そうなんですね。変なこと聞いて済みません。だいたいご神体なんて、偶像崇拝もいいところですよね。この現代に置いて、もはや客寄せのグッズのようなものです」


「信じてる人間なんていないだろう、いまどき。だから俺も発表することがない。東辞君と二人、だんまりを決めておくよ」


なっ、と言って横を向くと、智加に笑いかけた。今は、人好きのするような屈託ない笑顔に戻っていた。


「吉田さんの発表、楽しみにしてますよ」


「わーずるいな」


吉田はぷっと口を尖らせた。



発表も無事に終わり、本日の授業は終わりとなった。

啓一と智加だけは発表をしなかった。発表自体は面白く、そんなものまで?と思うようなご神体もあって、興味深かった。中でもとりわけ目立ったのは、ご神体がカメというところだ。放し飼いな上ろくに餌もやっていないが、間引きも出来ないので繁殖するばかり、というひどい話だったが、どの一匹が御神体というわけでなく、全てがご神体という思想は面白かった。


夕食も終わり、部活のような勢いで入浴も済み、22時が就寝時間だ。時間がくれば何の予告もなく消灯されるらしい。吉田や数名の男らが啓一のもとに来て先ほどまで喋っていたが、時間が近づくと自室に戻っていった。部屋を出て行く間際、吉田が振り返って智加を見た。何か言いたげに口を開けたが、そのままきびすを返すと出ていった。


啓一はTシャツにスエットのパンツ姿で、すぐにでも眠れそうだ。智加もリネンのシャツにゆったりとした格好をしていた。流石にこの時間に寝ることはないので、少々手持無沙汰だ。ふいに、部屋の電気が消えると、辺りは真っ暗になった。ブラックアウトした視界に、まだ目が慣れない。ようやく、窓から入ってくる月明かりに慣れて、周囲が見えてきた。敷地内の非常灯が、うっすらと赤みを帯びて見えてきた。


「いつも真っ暗で、外は街灯もない。街の喧騒も聞こえないだろ? 本当に都内かって思うよ」


窓に近寄っていった啓一は、外をじっと見つめていた。


「……」


智加は返事ができずに、ただその場にいた。返事はできないが、聞いていると思ってくれれば十分だった。


「携帯やパソコン、情報機器、地球の反対側にいても、画面を見ながら喋れる。こんな時代に、神社って必要なのか? 一部の人間の興味しか得られなくて、呆れるような話だ。アニメの影響だかなんだか知らないが、信仰なんてものはない。廃社していくところだって多い」


啓一は握っていたカーテンの布を、勢いよく引っ張った。きびすを返すと、自分のベッドにどかりと座った。


「じゃ、おやすみ。何かあったら起こしていいから」と言うと、早々にベッドにもぐりこんだ。


イヤホンをつけてスマホを操作しているのだろう、ちらちらと色とりどりの光が漏れてきた。布団には入ったものの、眠れないのは同じだろう。


智加もベッドに座ると、携帯を開いた。メールが数件入っていた。どれも高宮からの業務連絡だ。


しばらく読んで、面倒になって携帯を枕の横に置いた。就寝時間なので、本を読む電気もつけられない。


マナーモードにしているため、未読のメールをちかちかと点滅して知らせてくる。一日喋らないのはいつぶりだろうか。智加はふうと息をはくと、ゆっくりと腕を上げて伸びをした。


今回の研修は、6月に行われる横浜の進水式の祝詞を誰に決めるか、ということがかかっていると思っている。多分、参加者全員が祝詞を書いたのだろう。そこに自分が呼ばれるということは。


智加はふいにベッドに横たわると、天井を見つめた。


この先、東辞の家だけにこもってきた生き方では済まなくなるのだろう。表舞台に出たいと、正直まったく思わない。

光輪協会の動きも読めない。

そういう状況で、神社本庁と繋がるのは必要なことだろう。それは承知している。


ふうとまたため息をつくと、智加は寝返りを打った。その時、携帯が焦ったように点滅して、電話の着信を知らせてきた。

ウィンドウを見ると、明来だ。時間は23時を過ぎていた。反対側の壁を見ると、啓一は寝入ってるようだ。


智加は静かにベッドを抜け出すと、部屋のドアを開け階下に降りていった。


一階のラウンジは消灯されていて、足元を照らす非常灯だけがついていた。智加は窓際まで行くと、一端切れた明来を呼び出し、電話をかけた。


明来はすぐに出た。


『東辞?』


声が明るい。だたそれだけなのに、智加はふっと口元が緩んだ。


「ああ。そっちはどうだ?」


『ええと、諏訪さんの家は見つけたよ。幼稚園くらいの可愛い男の子がいて、黒髪でなんとなく東辞に似てた」


「血縁だからな」


『その子、幸太君って言うんだけど」


「喋ったのか?」


『う、うん。不可抗力で』


「って一体何したんだ? だいたい想像はつくがな」


『違うよ。大きな犬がいてさ、吠えてたから、オレが助けに入ったんだ』


「で、反対に幸太君に助けられた?」


『見てたのか?』


「見てなくても判る。おおかた犬に突進して、すっ転んで顔を擦りむいただろ?」


『東辞、ピンポンだ』


智加は思わず目を閉じて頭を押さえた。一旦息をはくと、気を取りなおした。


「それで?」


『最初はその子が諏訪さんの子供って知らなくて、危ないから送っていってたら、表札が諏訪で。苗字が珍しいからきっとそこだと思う。緑が沢山ある家ですごく幸せそうな感じがした』


「幸せそう?」


『ああ。だって幸太君すごく優しいんだよ。オレのことまで送ってくれて、その時手を繋がれたんだ。引っ張ってくれるみたいで、すごく頼もしかったよ』


「お前が頼りないからだろ? 幼稚園生から見ても」


『う。そうだけど。玄関に花がいっぱい溢れていて、お母さんが出てきて幸太君を抱き締めたんだ。きっと沢山愛されて育っているんだろうね。でも、オレのこと警戒してたから、少し気になった。オレみたいなの、怖がる必要ないだろ? 何かが来るのを恐れているのかなって思って』


「東辞と縁を切った一族だが、事情があったんだろうな。だが、追われるものなんてないはずだ。高宮すら放置している一族だからな」


ふむ、と言って、智加は口元に手をやった。


「で、今日の成果はそこまでか?」


『うん。明日はついにお宅訪問だ。頑張ってくるよ』


「そうか。無理はするなよ」


『あと、東辞にお礼を言いたくって、電話したんだ』


「お礼?」


『実はさっきまで父さんと一緒だったんだ。一緒にご飯食べたんだよ。旅先の福岡で』


「ん?」


『高宮さんが連絡してくれたみたいで、レストランまでセッティングしてくれて。父さんとご飯食べれるなんて思ってもいなかった。すごく嬉しかったんだ。久しぶりに話したんだ』


なるほど。高宮ならやりそうなことだ。キザったらしいと言うか、適格に的を射てくるというか。ちらりと高宮のいけ好かない顔が浮かんで、智加は即座に顔を振った。


「良かったな」


『ありがとう。東辞』


「俺は何もしていない」


『ううん。ほんとは会って喋りたい。父さんと色々話せたんだ。今度話すよ」


「ああ」


『オレがこんなに幸せだって思えるのは、東辞のおかげだから』


「お前が頑張ってるからだろ?」


『ううん。オレは助けてもらってばっかだ』


「それは違う。明来が頑張ってるから、周りもついていってる。お前が気にすることはない。高宮だって、好きでやっていることだ」


『うん。でも。ありがと』


そう言って、明来の声が途絶えた。深く息を吸っているような漏れた声が、受話器の向こうから聞こえてきた。


智加は何も言わなかった。ラウンジはしんとしていて、動くものは明かりさえない。窓から空を見上げると、満月に近い丸い月が浮かんでいた。明るく照らしてくる優しい光だ。さわさわと風が吹いて、揺れる木々の乾いた音が聞こえてきた。三月の下旬で少し肌寒いが、耳に当てた受話器がなぜか温もりを感じる。


東京から福岡まで、およそ千キロ。とてつもなく遠いのに、声はすぐ傍で、息遣いさえ聞こえてきそなくらい近い。


「明来……」


と言った瞬間、背後でがたりと音がした。振り返ると、そこに大きな人影があった。それが徐々に近づいてきて、月明かりに照らされたのは啓一だった。


「東辞君。喋れるのか? それは、一体なんだ?」


ふいに胸元を見ると、黄金色の光がリネンのシャツの隙間から溢れていた。屑金くずかねだ。勝手に光っているのだ。


啓一がばっと腕を突き出して、智加の胸元を掴んだ。


「こんなことがあるのか。お前も、……ご神体なのか?」


啓一はまるで搾るような声を出して、智加を引き寄せた。自分より身長が高い啓一に、智加はつんのめった。


『東辞? とうじ?』


手に持った携帯から、明来の呼ぶ声が溢れていた。


(続く)


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