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(6)研修初日ー2-

案内人は智加はるかを連れて、棟を出た。まるで学校のような作りで、棟と棟の間は繋ぎ廊下になっていて、そのまま渡って行けた。廊下の大きな窓は日差しを取り込み、三月半ばの東京は暖かだった。


しばらく行くと、広い敷地内の端に到着し、木々の茂った場所に宿舎があった。


木造三階建ての大きな建物は洋館で、桧の香りがほんのり漂っていた。新しく増改築でもしたのか、玄関は立派な木目の観音開きのドアだ。


2人が到着すると、ドアは内側から開いた。そこにはスーツ姿の初老の男が出迎えた。案内人が二、三言伝えると、男は優しげな笑みをたたえた。


東辞とうじ様、ようこそ。私はこの宿舎の管理人をしております前野まえのと申します。三日間どうぞよろしくお願いいたします」


深々と頭を下げると、前野は微笑んだ。


智加は会釈をした。自分が言葉を発しないことは、周知の事実だろう。


「どうぞ、こちらへ。お部屋にご案内いたします」


宿舎は土足のまま上がるようで、玄関先には大きなマットが敷いてあった。エントランスを入って右側は広いラウンジのようなスペースで、吹き抜けの天井窓から大量の陽光が入り、数名の若い男がくつろいでいた。


左側は管理人の事務所らしく、開け放たれたドアの向こうで、二人の事務員が忙しそうに動き回っていた。


智加は案内人に頭を下げて別れると、前野のあとをついていった。


ぎしぎしと音のする木の階段を上がり、三階に着いた。廊下の両側にドアがあり、部屋番号が書いてあった。


「3階をお使いになる方は、六名様です。東辞様は304号室に入って頂きます。同室の神室かむろ様はすでにおつきです」


304号室のドアの前で、前野はノックをした。


「失礼いたします」


前野が先に入り、智加は続いて入った。


部屋は広く、壁に大きな窓があった。その窓を境にして、両側に机と簡易型クローゼット、ベッドが一対づつ並んでいた。

窓に立っていた男がこちらに振り返った。

背の高い男だ。一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに笑顔になって近付いてきた。


「どうも。三田神宮の神室啓一かむろけいいちです。同室の方ですね?」


背は智加より高く、年齢は二十四、五歳といったところか、大学生ではないだろう。運動部にでも所属していたのか、筋肉質でがっちり型で、笑った顔は陽気な雰囲気だ。


前野がすっと脇に避けると、智加を手で促した。


「こちら、東辞智加さんです。喉を傷めてまして、しばらくお声が出せないそうです。失礼をして申し訳ありません、とのことです」


智加は頭を下げると、啓一に挨拶をした。


「いえ。それはご心配ですね。どうぞ無理をされず、私になにかできることがあったら仰って下さい」


前野が礼を言う。智加も同時に頭を下げた。


智加には慣れた状況だが、こうなると明来あきとの会話は稀なことだったのだとつくづく感じてしまう。


前野は智加に向き直った。


「お荷物とスケジュール表は、机の上に置いております。館内の案内図もありますので、ご参考にされて下さい。午後からは隣の棟で講義が始まります。1階のラウンジの奥は、食堂になっております。時間外は喫茶のご利用も可能ですので、どうぞご利用下さい。では何かありましたら、1階の事務局におりますので」


「僕は何度か来ているから、判らないことがあったら聞いて下さい」


啓一が言った。


前野は頭を下げると、部屋を出ていった。


啓一はくったくの無い笑顔で寄って来た。


「今日のスケジュールは、12時から食事、13時からは講義、16時からは討論会だ。きっとお題が出て、祝詞を作るんだろうね。毎年そうだ。東辞君は初めてだよね?」


智加は頷いた。


取りあえず、自分の荷物を左側の机に見つけ、そちらが自分の場所なのだろうと向かった。


スケジュール表があり、啓一が言った通りの内容が書いてあった。


2日目は午前中講義で、午後は討論会。三日目は一日討論会で、17時に閉会となっていた。


荷物のそばにあった春物のコートを取ると、クローゼットにしまった。二泊用の衣服の入った袋を入れると、パタンとドアを閉めた。


「喉を傷めているって言ってたけど、食べるのは支障ないのか?」


そうか。喉を傷めてるといった場合、外傷があって痛む、とそういう風に考えるのは普通か。


智加は笑顔で、大丈夫だと首を振った。

良かった、と啓一は呟いた。


本気で言ってるなら、おめでたいやつだ。仮にも神職につく者なら、声=祝詞だと思わないのか。声を出せない者がいるなら、自分なら怪しいと思うが。


智加はにっこりと笑った。こんな笑顔、明来にも見せたことがない。我ながら気持ち悪い。


出発前に高宮から散々言われたことがあった。


『いいですか。今回の目的は視察です。どんな人間がいるのか、どんな考えをしているのか。そして多くの人と交流をもって下さい。メアド交換して、友達になってもいいですよ』


高宮は言った。


は?っと呆れて、智加は眉根を寄せた。


『もちろんフリですよ。利用できるかできないか、それを考えて。東辞家以外の人間は、すべて貴方の敵なのですから。神社本庁で何かしかけるとは思いませんが、それでも十分注意して下さい』


智加はそっぽを向いて、高宮に背を向けた。


『それと、笑顔を絶やさずに。いいですね?』


高宮はにっと笑った。



智加は高宮の顔を思い出して、無性に腹が立ってきた。ふいに啓一から視線を外すと、バッグを開けて荷物の整理をしている風を装った。


「聞いてばかりで悪い。違う時だけ、表情を変えてもらえばいいよ。痛かったら、柔らかいものを注文したほうがいいかなって思って。普通食で無理な時は言ってくれ。ほとんど和食だけど、ここの食堂は結構旨いし融通がつくから。でも肉が食べたくなるってぼやくやつもいるけど。荷物が片付いたら、食事へ行こう。顔馴染みの連中だから、紹介するよ」


智加は頷いた。三田神宮様となると、神社本庁の研修会も恒例ってわけか。


「東辞君の家は、なんていう神社?」


智加は顔を横に振った。


え?という顔で一瞬止まった啓一だが、普通にまた喋りだした。


「いや、ごめん。みんな神社の息子ばかりだから、てっきりそうだろうと思って。いろんな宗派もあるし、それぞれだよな」


啓一は頭を掻くと、もう一度智加の顔を見て、すぐに視線を外した。何か言いたそうな含みのある感じだが、啓一は何も言わなかった。


神社の息子でもないのに、参加するのは不自然なのだろう。


想像するに、この研修会は毎年やっているようだ。そして毎回同じ顔ぶれか。今年は毛色の違う自分がいて、さぞや珍しいだろう。


「じゃあ、行こうか」


啓一が言う。ジャケットを脱いで、紺色のセーターにネクタイ姿だ。ポケットに携帯を突っ込むと、ドアに向かって歩き出した。


智加は机の上のバッグから財布を取り出した。


「ああ、支払いはないよ。僕らは招待客みたいなものだから。部屋には鍵もかからないけど、貴重品を盗るようなやつもいないから大丈夫」


啓一はにっこりと笑うと、自分の机の上の荷物を指さした。そこには手帳やら財布が乗ったままだ。


人懐こいというか屈託のない性格のようだが、危機感が無さ過ぎて、反対にイラっときてしまう。


智加は財布を置くと、啓一に続いて部屋を出た。



(続く)

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