(5)研修初日ー1-
「ようこそ神社本庁に、東辞君。この日を首を長くして待っていたよ。私は統理代理の守部と言います。どうぞよろしく」
また偉い人間が出てきたな、と智加は目の前の男を見やった。そこには、統理代理というにはあまりにも若い男が立っていた。
ここは、東京代々木にある神宮第一研修所の執務室だ。守部の横には、動きやすさを重視したのか、ジャケットのような浄衣に身を包んだ男が二名、静かに立っていた。
智加はスーツに細めのネクタイを締め、指定された二泊用の荷物を持っていた。
男が寄ってくると、
「東辞様、お荷物をどうぞ。お部屋のほうにお持ち致します」
十八十九の若造に、その言い方。ちらりと見ると、守部が笑顔で頷いた。断る理由もないので荷物を渡すと、男はそそくさと出て行った。
「さあ、どうぞお座り下さい」
守部がソファを勧めてきたので、智加は座った。すぐにもう一人の男が、日本茶を運んできた。テーブルに置く手が若干震えていた。智加は素知らぬふりをして、男を見なかった。自分の力のほどを、事前に聞いているのだろう。
「ありがとう。君、もういいよ。下がっておいで」
低く柔らかな声で、守部が言った。男は丁寧に頭を下げると、部屋から出て行った。途端、守部は撫で付けていた髪をぐしゃぐしゃと手で掻くと、そのまま顎をひと撫でした。なにやらしかめっ面だ。
「部下から、髭を剃れって煩く言われてましてね。久しぶりに剃刀なんて持つものじゃありません。おかげで切り傷だらけだ。さて、私はこんな性格で、堅苦しいのは苦手なんです。この部屋の監視カメラは、私が外しました。全く上のやることは理解できない。東辞君のお噂はかねがね。是非お会いしたいと思っていました」
手を組んで顎を乗せると、守部は目が細くなるほど微笑んだ。まるで子供が、新しいおもちゃでもプレゼントされて嬉々となった顔にそっくりだ。
守部はすっと名刺を目の前に差し出した。歳の頃は、四十歳前半といったところか。その年齢で統理代理を任されている事実は見逃してならないだろう。臆することなく、智加の目をまっすぐに見つめてきた。
「もっと早くご招待したいと思っていたんですが、なにせ頭の固い連中ばかりで」
やれやれと言って両手を広げると、破顔した。守部は浄衣も着用せず、普通のジャケット姿だ。それもカジュアルなチェック柄で、少し長めでウェーブのある髪は、グラデーションに染めていた。多分、ここでは異端だろう。となると、肩書は実力所以か。
「あの伝説の白山神道の末裔となると、当然でしょうが」
智加はぴくりと眉毛を上げると、ニタニタと笑う顔をうろんげに見返した。
色々調べ上げているというわけか。自分を神社本庁に呼ぶこと自体、異例なのだから仕方もない。自分らの手で一旦抹殺しておいて、その亡霊を呼び出しているわけだからな。
「更に、あなたは百年に一度の逸材」
智加は表情を変えなかった。呆れてしまう。どいつもこいつも、それが目的だ。
「変わりませんね。慣れてらっしゃる。あなたの人生を想像するに、そうなるでしょうね。よってたかって、腫れ物に触るようなものだ。ふふ。お気を悪くされないで下さい。私はただの研究者なのです。統理代理などと肩書きを頂いていますが、本当は知りたいだけなのです。……神は、本当に在らせられるのか? ということを」
食い入るように見つめてくる守部に、智加は妙な感じを受けた。ぎらりと目の奥が光り、強い視線だ。まるで恨みでもあるかのような。
「ところで、何故あなたのご実家が、白山の名を名乗れなかったのか、ご存知ですか?」
思いもしないことを問われ、智加は首をひねった。そんなこと考えたこともなかったからだ。
「東を辞する、つまり都を追われたわけです。さぞや無念だったでしょう。寂寞たる思いを忘れないよう、子々孫々に伝えるため名前に込めた。おのが一族にかけたある種の呪ですね。残酷な話だ」
ぎょっとなって、目を見開くと、思わず口が開いた。何か言おうとして、反射的に身体が固まった。すっと息を吸うと、肺に空気が入ってきて、智加はそれを飲み込んだ。
「そうそう、言葉を発することは禁じます。目立つでしょうが、慣れてますよね?」
物事をはっきり言う。
智加は黙って頷いた。
「ありがとう。他の研修者には喉を痛めていると健康上の理由にしておくので、お気になさらず。白山の名も伏せています。今回は総勢十名。日本を代表する神社の次期総裁になるだろう若手を呼んでいるのです。ああ、楽しみだ。スケジュールは、部屋のほうに用意しています。早速今日の午後からです。二人一部屋になっていますから、同室の方とは仲良くして下さい。同室は確か、」
そう言って、守部は顔を天井に向けて何やら思い出しているようだ。
「ああ、神室君だ。ご存知です? 三田神宮の」
その名を聞いて、智加は目を見開いた。
「では、のちほど」
守部はゆったりと微笑えむと、ドアのほうに手を差し伸べた。その瞬間、ドアが開いた。そこには先ほどの男が立っていた。
守部の手は細く、男にしては華奢な手をしていた。
(続く)