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(2)ケガなんて平気だ

1時間ほどで、目的地の駅に降り立った。目の前には畑が広がり、菜の花の黄色い一群が遠くに見えた。空気が気持ちいい。ここは都会的なビルもなく商業地帯でもない、住宅と畑と小さな川が流れていた。


自分が住んでいる町とも違う空気だ。明来は大きく深呼吸をした。


リュックから地図を取りだすと、西のほうに向かって歩きだした。


駅前には、コンビニがあって、小さな個人病院や商店が並んでいた。その中に、「とんこつラーメン」という看板があって、博多っぽいなと珍しげに眺めた。


しばらく行くと、住宅地に入った。多分この一角にあるはずだ。どこも似たような作りで、最近は表札も出ていない家も多い。あまりじろじろ見ていても、怪しまれては困る。


取りあえず、住宅地を一周したら、離れてみとうと思った。住宅街に入ると、それぞれの家の個性があり、玄関にふんだんに花を植えている家もあれば、小さな庭にブランコや砂場のある家もあった。楽しげな様子を想像しながら歩くのは、楽しかった。


途端、犬の甲高い吠え声が聞こえてきた。

きゃーという女の子の声も聞こえる。場所の近いようだ。明来は声のほうに一気に走りだした。


住宅街の角を曲がると、白く大きな犬の姿が目に入った。痩せた身体に、神経質な甲高い吠え声だ。その前には、二人の幼稚園生くらいの子供が見えた。


今にも飛びかからんばかりだ。犬は首ひもが切れたのが、長いリールを引きづっていた。


(危ないっ)


明来は咄嗟に走り込んだ。勢いあまって、なんと犬の横っ腹に突っ込んでしまったのだ。

キャンという情けない声が聞こえるのと、明来が地面に突っ伏したのは同時だった。

頬を思いっきり地面にこすりつけて、ひどく痛い。肘やひざも打って、あちこちがぎしぎしと痛んだ。


頬を触ると、ざりざりとした感触に、うっすらと手に血がついてきた。


「おいっ」


と声をかけれて顔を上げると、目の前に男の子が立っていた。真黒な髪で、目がまん丸だ。息せき切っていて、汗をかいていた。その背に庇うように、女の子が目を真っ赤に腫らして泣きじゃくっていた。ふわふわとした柔らかい髪に、花柄のワンピースだ。


あたた、と言いながら、明来は立ち上がろうとした。その腕をぐいっと引っ張られた。はたっと目を上げると、男の子が手を掴んでいた。


「兄ちゃん、大丈夫か? すごいタックルだったけど」


「あはは。ありがとう。君たちはケガはないの?」


「へーき。あやちゃんも大丈夫だよね?」


男の子は後ろにいる女の子に向かって聞いた。女の子は怖かったのだろう、喋れずに、ただ頭を何度も振った。


男の子は明来のジーンズの裾についた砂を、パンパンと払った。


「ほっぺたすごいよ? 血が出てる」


「え。ああ、大丈夫」


触れるとざらりとする頬を押さえて、明来は苦笑いをした。本当はとても痛い。擦り傷がひりひりとして、涙が滲みそうだ。


「暗くなるよ。お家はここら辺なの? ええと、あやちゃんだっけ? まずはあやちゃんを送っていこう。あの犬がいたら怖いしね」


「あったりまえだ」


ふんと鼻息を鳴らすと、男の子はあやちゃんの手を掴んだ。ちょっと赤くなった顔がとても可愛い。短く切った黒髪になかなかの男前だ。


「行こう」


男の子は手を引くと、歩きだした。あやちゃんのバッグと自分のバッグを抱えて、とても歩きにくそうだ。明来は、持とうか、と声をかけようかと思った。


でも顔を真っ赤に上気させて歩く男の子を見ていると、これはこの子のプライドだろう。女の子を守ってちゃんと送り届けることに、とても懸命なのだ。


「あやちゃん。もう大丈夫だからな」


女の子はこくりと頷く。


目の前に歩く小さな姿が、とてもほほ笑ましかった。


明来はそっと後ろをついていった。あたりは薄暗くなり始めた。犬は鳴き声を姿も見えない。よほど横っ腹をどつかれのが痛かったのだろう。明来も怪我した甲斐があったというものだ。


あやちゃんを家まで届けると、男の子は振り返った。


「じゃあな。兄ちゃん」


「え? 君も危ないよ」


「は? 俺は大丈夫に決まってるだろ。あんなん怖くないよ」


「あはは。そうだね。じゃあ、僕が怖いから、途中まで一緒に行ってもいい?」


「え、怖いのか? 仕方ないなー」


男の子はいきなり明来の手を掴んだ。くるっと方向転換すると、がしがしと歩き出した。


明来は少し驚いて、言葉が出なかった。自分も女の子と一緒で、守ってやらねばという対象なのか。

だが、すっすと歩く男の子がとても逞しく思えた。

手がふわふわで小さくて、身長なんて小さくて、ひまわり園の子供たちの手より随分小さかった。


「兄ちゃん、どっから来たんだ?」


「ええと、電車に乗って」


「ふーん。この辺に住んでるのか?」


「いや。遠いところ。あ、僕は明来あきって言うんだ」


「へー。女みたいな名前だな」


「そうだね。明日が来るって書いて、明来。斉藤明来」


「へえ。俺はね、幸太こうた諏訪すわ幸太」


「え、諏訪?」


明来は息を飲んだ。この辺に住んでいて諏訪? 諏訪なんて珍しい苗字、そんなにないだろう。明来が会いたいと思っているのはその当主の諏訪隆すわたかしだ。


「なんで?」


「いや。何でもない。幸太君の家はこの辺なの?」


「この端っこ」


幸太は真っすぐに手を上げて指差した。住宅街の一番端のようだ。


しばらく歩くと端に着き、住宅街では一段と大きな玄関があった。表札を探したが、案の定、何も書かれていなかった。庭もかなり大きく、樹木が並び、春の花が咲き乱れていた。家や庭を大事にされている家庭なのだろう。


「お花が沢山咲いているね」


「母さんが、好きだからな」


幸太はぱっと顔をあげた。玄関前に着くと、途端がらっと開いて女性が飛び出してきた。ぱっと幸太を抱くと、明来をしげしげと見つめてきた。よそ者を見咎めるようなきつい目だった。頬に大きな擦り傷を作り、怪しいことこの上ない。


「あの、何か御用ですか?」


「あ、いえ。済みません。幸太君、じゃあまたね。ありがとう」


幸太は手を振った。


明来はそそくさその場をあとにした。


背後で幸太の声がした。


「母さん。大きな犬が吠えたんだ。あやちゃんが泣いちゃって。あの兄ちゃんが飛び込んできてさ」


怪しい人でないことは伝わっただろうか。明来は振り返らず、とにかくここから立ち去った。



ホテルに戻った時のは7時ちょっと前だったが、もう暗くなっていた。3月の福岡と言えど、夕方は肌寒かった。ジャンバーを1枚着込んだ軽装で、明来はちょっと震えながら帰ってきた。


フロントは担当が変わったのか、違う人が立っていた。なんだかちょっと残念な気がして、明来は自分の名前を言った。


「お帰りなさいませ。斉藤様」


「はい」


「お顔をいかがされましたか? 擦り切れておりますが」


フロントマンが心配げに覗き込んできた。


「あは。ちょっと転んでしまって」


明来はばっと頬を押さえた。駅のトイレで水洗いをしたのだ。確かにしみて痛かった。赤く擦り剥けて少々恥ずかしい。


「それはいけません。お時間ございましたら、どうぞこちらへ」


「いえ。大丈夫ですから」


「簡単ではございますが、手当てさせて下さい」


若いフロントマンは、思いつめたような必死な目だ。明来はなんだか断るのも申し訳ない気持ちになり、お願いします、と言ってフロントマンのあとをついていった。


(続く)



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